高校の同窓の大学教授の推薦図書、「日本人の経済観念」、「それでも、日本人は戦争を選んだ」に続き3冊目。
ライトノベルに流れがちな私に難しい本を推薦してくれるM野教授、感謝しています。
坂野潤治さんという東大教授が最近書いた、新書のくせに460ページもある分厚い本で、幕末の1857年から日中戦争の1937年までの80年間を、「改革」「革命」「建設」「運用」「再編」「危機」の6段階に分けて解説しています。
「建設」が西南戦争後の1980年まで。
明治維新というのは、実に徹底した革命だったんだなと感じました。
多少の流血はありましたが、国を戦禍で大きく疲弊させることなく、前支配者層を断頭台に送ることなくこの革命を成し遂げた、これは日本人として歴史を誇ってよいと思います。
「運用」は日清戦争の前夜まで。この時代はまだ憲法もなく、選挙も議会もない。
にもかかわらず、維新戦士の生き残りである藩閥政府と、彼らが養成したエリート官僚が実によく国を導きました。
TVドラマ「坂の上の雲」の冒頭のナレーションの通り、まことに小さな、何もなかった国が、日清、日露戦争に勝利するわけです。
私は、近代史における外交の一手段としての戦争を否定しませんが、国民の生命と税金を大量消費する戦争は、その目的が明確に独立自尊、国体と国民の生命、財産を守ること、これのみに限られるべきと思います。
朝鮮半島が大国の占領下におかれると日本の独立は危うくなる、これは元寇など歴史の証明するところであり、朝鮮半島の占領を目論んだ清国とロシアを撃退した日清戦争、日露戦争は評価に値すると思います。
それが、日露戦争の勝利の後、「再編」の時代の後半からぶれ始めました。
近代憲法ができ、選挙がおこなわれ、国会が開催され、二大政党による議員内閣制となり、世に言う「大正デモクラシー」の世に、日本はおかしくなっていきました。
一度肥大化させてしまった軍隊という組織を元の大きさにまで縮小すること、明治維新の後にはできたことが、今度はできなかった。
清国、ロシアに勝利したことで、朝鮮半島の独立を脅かすものは何もなくなったはずなのに、日露戦争で手にした満州の権益に目がくらんで、これという産業も何もない、どう考えても日本にとって割に合わない韓国併合を実行し、大陸にも軍隊を派兵してしまいました。
この後は坂道を転げ落ちるようでした。
「危機」の時代、普通選挙が行われ、二大政党による議会制民主主義の世の中になったのに、ビジョンなき坩堝の中の政争で政局は混迷、緊迫する国際情勢をよそに憲法論議や内部抗争を繰り返す。
これでは国防など出来ぬとした軍部の広義の国防論(軍拡と国民生活の向上の両立)に、社会主義政党までが賛意を示す状態になってしまいました。
「昭和維新」を標榜し、指導力なき政府に見切りをつけた青年将校の暴走に、政治家たちは、ある者は老い、あるいは暗殺されてその力を失い、軍首脳もこれを抑えることができず、国の方針が全く出せない状態になってしまいました。
この本は1937年で終わっていますが、その後は泥沼化した日中戦争についに米英が参戦し、日本は完全な崩壊に至りました。
「戦争の原因は軍部の暴走」ではなく、「軍部が暴走したのはなぜか」「誰が軍部を暴走させたのか」これが歴史から学ぶということの意義だと思います。
あとがきに恐ろしいことが書かれていました。この崩壊に至る80年と、戦後65年を経過した今の日本の状態が似ているという話です。
確かに、小泉首相以降政局は混迷し、国外に目を向ける余裕もなく相対的に国際的地位を低下させ続けています。
東日本大震災という国難にも有効な手が打てず、完全な財政破綻に落ち入りながらも増税法案が与党内で、戦前の危機の時代に酷似した政局が今ここにあります。
37年からの戦前の崩壊の時代に、戦後という革命~建設の時代の建設を担う人材も力を蓄えていた、だから日本は復興できたということなのですが、そういう人材、今の日本に育っているのでしょうか。
この本を読んで、歴史から学ぶこと、歴史教育の意義を改めて痛感しました。
ライトノベルに流れがちな私に難しい本を推薦してくれるM野教授、感謝しています。
坂野潤治さんという東大教授が最近書いた、新書のくせに460ページもある分厚い本で、幕末の1857年から日中戦争の1937年までの80年間を、「改革」「革命」「建設」「運用」「再編」「危機」の6段階に分けて解説しています。
「建設」が西南戦争後の1980年まで。
明治維新というのは、実に徹底した革命だったんだなと感じました。
多少の流血はありましたが、国を戦禍で大きく疲弊させることなく、前支配者層を断頭台に送ることなくこの革命を成し遂げた、これは日本人として歴史を誇ってよいと思います。
「運用」は日清戦争の前夜まで。この時代はまだ憲法もなく、選挙も議会もない。
にもかかわらず、維新戦士の生き残りである藩閥政府と、彼らが養成したエリート官僚が実によく国を導きました。
TVドラマ「坂の上の雲」の冒頭のナレーションの通り、まことに小さな、何もなかった国が、日清、日露戦争に勝利するわけです。
私は、近代史における外交の一手段としての戦争を否定しませんが、国民の生命と税金を大量消費する戦争は、その目的が明確に独立自尊、国体と国民の生命、財産を守ること、これのみに限られるべきと思います。
朝鮮半島が大国の占領下におかれると日本の独立は危うくなる、これは元寇など歴史の証明するところであり、朝鮮半島の占領を目論んだ清国とロシアを撃退した日清戦争、日露戦争は評価に値すると思います。
それが、日露戦争の勝利の後、「再編」の時代の後半からぶれ始めました。
近代憲法ができ、選挙がおこなわれ、国会が開催され、二大政党による議員内閣制となり、世に言う「大正デモクラシー」の世に、日本はおかしくなっていきました。
一度肥大化させてしまった軍隊という組織を元の大きさにまで縮小すること、明治維新の後にはできたことが、今度はできなかった。
清国、ロシアに勝利したことで、朝鮮半島の独立を脅かすものは何もなくなったはずなのに、日露戦争で手にした満州の権益に目がくらんで、これという産業も何もない、どう考えても日本にとって割に合わない韓国併合を実行し、大陸にも軍隊を派兵してしまいました。
この後は坂道を転げ落ちるようでした。
「危機」の時代、普通選挙が行われ、二大政党による議会制民主主義の世の中になったのに、ビジョンなき坩堝の中の政争で政局は混迷、緊迫する国際情勢をよそに憲法論議や内部抗争を繰り返す。
これでは国防など出来ぬとした軍部の広義の国防論(軍拡と国民生活の向上の両立)に、社会主義政党までが賛意を示す状態になってしまいました。
「昭和維新」を標榜し、指導力なき政府に見切りをつけた青年将校の暴走に、政治家たちは、ある者は老い、あるいは暗殺されてその力を失い、軍首脳もこれを抑えることができず、国の方針が全く出せない状態になってしまいました。
この本は1937年で終わっていますが、その後は泥沼化した日中戦争についに米英が参戦し、日本は完全な崩壊に至りました。
「戦争の原因は軍部の暴走」ではなく、「軍部が暴走したのはなぜか」「誰が軍部を暴走させたのか」これが歴史から学ぶということの意義だと思います。
あとがきに恐ろしいことが書かれていました。この崩壊に至る80年と、戦後65年を経過した今の日本の状態が似ているという話です。
確かに、小泉首相以降政局は混迷し、国外に目を向ける余裕もなく相対的に国際的地位を低下させ続けています。
東日本大震災という国難にも有効な手が打てず、完全な財政破綻に落ち入りながらも増税法案が与党内で、戦前の危機の時代に酷似した政局が今ここにあります。
37年からの戦前の崩壊の時代に、戦後という革命~建設の時代の建設を担う人材も力を蓄えていた、だから日本は復興できたということなのですが、そういう人材、今の日本に育っているのでしょうか。
この本を読んで、歴史から学ぶこと、歴史教育の意義を改めて痛感しました。
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