ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

パッチギ

2006-02-18 20:14:43 | 映画
前から見たいなと思っていた映画「パッチギ」、やっとビデオを借りられました。
いい映画でした。
まめどまめさんも、最近ブログで書かれていましたね。

1968年の京都、自分が小学6年生か中学1年生だった頃の話です。
いつも喧嘩の絶えない朝鮮高校に、先生に命じられサッカーの親善試合を申し込みにいった高校生が、フルートを吹く女の子に一目ぼれ、彼女と仲良くなりたい一心で彼女が演奏していた歌を覚え、言葉を覚えようとする。
そんな彼の気持ちは、彼女や彼女の友人に受け入れられたように思えたが。。。
日本と朝鮮の間にこういう歴史があった、ということが、まだ生々しい記憶だった頃の話。
だからといってすぐに、「謝罪しなければならない。」とは思いませんが、お互いの間に深い溝があるという事実は認識しなければいけません。

ラジオのディレクターの大友さんが、「この世に歌っていけない歌なんて、世界中どこにもないんだよ。」と、上司を殴ってまで主人公に歌わせた「イムジン河」、加茂川での決闘シーンと、アンソンの子供を生む桃子のシーンが同時で進行する映画のクライマックス、感動します。

音楽担当は、元ザ・フォーククルセダーズの加藤和彦その人。
このザ・フォーククルセダーズというグループ、活動期間が1年間のみと短期間だったため、知っている人は意外と少ないのではないかと思います。
大ヒット曲「帰ってきたヨッパライ」の影響でコミックバンドかと思っている人もいるかもしれませんが、基本は70年安保を意識した反戦バンド、わずか1年間の間にたくさんの名曲を残しました。
「イムジン河」は、ミリオンヒットを飛ばした「帰ってきたヨッパライ」に続き、フォークルの2枚目のシングルになるはずでした。
朝鮮が2つに分かれたことを批判するこの歌は、突然発売中止になりましたが、韓国か北朝鮮から抗議があったらしいというだけで、理由ははっきりとは分かりませんでした。
子供心に、「なんでだよ、表現の自由じゃないか。」なんて思ったのを覚えていますが、この映画で、初めて「ああ、そうだったんだ。」と疑問が解けました。
この曲が40年近い時空を越えてよみがえった、それだけでウルウルしてしまいました。

自分は、中学生のとき、フォークルの影響でフォークギターを弾き始めました。
後にほとんど弾くことの無くなったこのギター、それでも青春の思い出にとずっとおいておきました。
しかし、結婚したときに「家が狭いのに邪魔。」との理由で、嫁さんに捨てさせられました。
「会社を引退したら、またギター買ったろか。」なんて、ちょっと思っています。
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2 コメント

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フォークル (kinoko)
2006-02-19 22:18:26
加藤和彦より北山修が好きでした。北山医院とかはしだのりひこ経営の「まほろば」に修学旅行で行きました。ジュリーとかピーの自宅訪問の「ついで」でしたが・・'60年代シバリのカラオケなら自信ありです。
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北山修、、 (RASCAL)
2006-02-21 00:30:19
北山修は、音楽止めて医者になっちゃったんですよね。

そういうところが、当時としては本当に新鮮でした。



中3のとき、バンドを組んで、学校の謝恩会で、はしだのりひことシューベルツ(クライマックスだっけか?)の「花嫁」を演奏しました。

なつかしい。

まだ弾けるかな?
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