本棚があふれてきたので、購入する書籍は文庫、新書のみ、単行本は体積の大きいものから再読してブックオフへ持っていくことにしています。
「国民の歴史」(西尾幹二/新しい歴史教科書をつくる会・編)は800ページ近い大書、再読するのに数か月かかりました。
日本と世界の関係史です。日本人の耳には心地よい、右寄りの史観の本。中韓や欧米には妄言、暴論と言われてしまうでしょうけど、正鵠を射ていると思われる部分も多々あります。
現在のことですら論争になる、いわんや歴史をや。歴史認識が国によって違うのはある程度当然のこと。教条主義というか、建前をきっちり作ってくる欧米諸国に比べ、日本は無防備に本音を言ってしまう。歴史認識も政治であり、外交手段であり、時としては形を変えた戦争であるということを教えてくれる一冊でした。
話は本からはそれますが、私は、大東亜戦争は、善悪とかそういうものを超越した、歴史の必然の帰結ではなかったかと思い始めています。
明治維新の目的は日本の自主独立。迫りくる欧米諸国から日本を守ることでした。
1904年、強い領土的野心を持って南下してくるロシアを日露戦争で撃退、やっと一息ついた日本に迫っていたのは米国でした。
太平洋の1万キロの波頭を越えて島伝いに西進、グアム、サイパン、フィリピンを自国領とし、日本にあと数千キロのところまで来ていました。海の向こうから匕首を突きつけられた、そんな感じでしょうか。
当時アジアで独立国だったのは事実上日本だけ。インドネシアはオランダ、ベトナムはフランス、ミャンマー、インドは英国の植民地でした。
日本の同盟国は英国、日露戦争は、出る杭を打ちたかった英国と日本の思惑が一致した戦争でした。
1910年の日韓併合、方法論はともかく、韓国に自主独立を維持する国力がない限りにおいて、二度と他国が入り込まないように、日露戦争の勝者である日本がこれを保護下に置くことは自然の流れでしょう。
列強の侵略を受けた清国が1912年に滅亡、中国大陸は無政府状態になりました。
1914年、日本は日英同盟に基づき第一次世界大戦に連合国側で参戦、ドイツから青島の権益を得ます。
ここからが日本の分かれ目、アジア唯一の先進国として列強と張り合うか、現状の自国ブロックのみを守り、アジアは列強のするがままに任せるか。
為政者としては後者を選択したかったはず。しかし、日露戦争ですら南樺太しか取れなかったと焼き討ち、暴動が起きたわけで、そんなことをすれば良くてマスコミに袋叩き、悪くすれば暗殺です。「アジアを白人の恣にして良いのか」新聞が売れそうな大義名分はいくらでも立ちます。
余談ですが、1921年に書かれた芥川龍之介の「アグニの神」に、商人が占い師に日米開戦の時期を尋ねる件がありました。すでに、米国は具体的な仮想敵国とみられていたということ。
1922年のワシントン会議で日英同盟が破棄されます。ロシアの脅威が去り、日本は、欧米にとって利用する国から「出る杭」になりました。
1924年に米国で排日移民法成立、唯一の有色人種の先進国・日本に向けられた米国のむき出しの悪意です。
恭順を選択することを、後の人は勇気ある決断と呼ぶのでしょうが、その時代を生きている人にとっては真逆でしょう。
1930年のロンドン軍縮会議を批准した浜口首相は、それが客観的に妥当な内容だったのにもかかわらず、民衆の放った凶弾に倒れます。この浜口の死が憲政の死だったのかも。これ以降の為政者の心に去来したものは、テロリズムに対する恐怖、生命の危険だったでしょう。
1931年、満州事変が勃発、日本は満州国を建国。その翌年のリットン調査団の報告は、満州国建国以外の日本の行動の正当性をほぼ全面的に認めるフェアなものでした。
これが最後のチャンスだったのでしょうが、結果は国際連盟脱退、国民もマスコミもこれを熱狂的に支持。日本は破滅への道を突き進んでいきます。
1937年、短期のつもりのシナ事変は、米国の中国支援で長期化。米国はABCD包囲網で日本を経済封鎖、石油の対日禁輸措置をとります。
主力兵器は船から航空機へ、軍艦も日露戦争当時の石炭から重油になっており、石油の8割を米国に依存していた日本は、このままでは戦わずして負ける。石油を確保するには蘭領インド、今のインドネシアを制圧するしかない。そのためには、その周囲の欧米の植民地も全部制圧するしかない。万事窮すです。
当時の日本人は、自分たちが帝国主義的野望をもって他国を侵略しているなどとは、全く思っていなかった。
でも、暴走する軍部を支持し、民主主義をポピュリズムに貶め、日本を戦争に向かわせたのは、マスメディアであり日本国民であったと思います。
戦後、米軍の論調に乗り、戦争責任は軍部や一部の戦犯にあるということになりました。
自分のせいじゃないと思っているから、あんなにも簡単に相手の言い分を認め、謝罪をしてしまう。
日本人は、先の大戦の総括をまだやっていない。私はそう思います。
「国民の歴史」(西尾幹二/新しい歴史教科書をつくる会・編)は800ページ近い大書、再読するのに数か月かかりました。
日本と世界の関係史です。日本人の耳には心地よい、右寄りの史観の本。中韓や欧米には妄言、暴論と言われてしまうでしょうけど、正鵠を射ていると思われる部分も多々あります。
現在のことですら論争になる、いわんや歴史をや。歴史認識が国によって違うのはある程度当然のこと。教条主義というか、建前をきっちり作ってくる欧米諸国に比べ、日本は無防備に本音を言ってしまう。歴史認識も政治であり、外交手段であり、時としては形を変えた戦争であるということを教えてくれる一冊でした。
話は本からはそれますが、私は、大東亜戦争は、善悪とかそういうものを超越した、歴史の必然の帰結ではなかったかと思い始めています。
明治維新の目的は日本の自主独立。迫りくる欧米諸国から日本を守ることでした。
1904年、強い領土的野心を持って南下してくるロシアを日露戦争で撃退、やっと一息ついた日本に迫っていたのは米国でした。
太平洋の1万キロの波頭を越えて島伝いに西進、グアム、サイパン、フィリピンを自国領とし、日本にあと数千キロのところまで来ていました。海の向こうから匕首を突きつけられた、そんな感じでしょうか。
当時アジアで独立国だったのは事実上日本だけ。インドネシアはオランダ、ベトナムはフランス、ミャンマー、インドは英国の植民地でした。
日本の同盟国は英国、日露戦争は、出る杭を打ちたかった英国と日本の思惑が一致した戦争でした。
1910年の日韓併合、方法論はともかく、韓国に自主独立を維持する国力がない限りにおいて、二度と他国が入り込まないように、日露戦争の勝者である日本がこれを保護下に置くことは自然の流れでしょう。
列強の侵略を受けた清国が1912年に滅亡、中国大陸は無政府状態になりました。
1914年、日本は日英同盟に基づき第一次世界大戦に連合国側で参戦、ドイツから青島の権益を得ます。
ここからが日本の分かれ目、アジア唯一の先進国として列強と張り合うか、現状の自国ブロックのみを守り、アジアは列強のするがままに任せるか。
為政者としては後者を選択したかったはず。しかし、日露戦争ですら南樺太しか取れなかったと焼き討ち、暴動が起きたわけで、そんなことをすれば良くてマスコミに袋叩き、悪くすれば暗殺です。「アジアを白人の恣にして良いのか」新聞が売れそうな大義名分はいくらでも立ちます。
余談ですが、1921年に書かれた芥川龍之介の「アグニの神」に、商人が占い師に日米開戦の時期を尋ねる件がありました。すでに、米国は具体的な仮想敵国とみられていたということ。
1922年のワシントン会議で日英同盟が破棄されます。ロシアの脅威が去り、日本は、欧米にとって利用する国から「出る杭」になりました。
1924年に米国で排日移民法成立、唯一の有色人種の先進国・日本に向けられた米国のむき出しの悪意です。
恭順を選択することを、後の人は勇気ある決断と呼ぶのでしょうが、その時代を生きている人にとっては真逆でしょう。
1930年のロンドン軍縮会議を批准した浜口首相は、それが客観的に妥当な内容だったのにもかかわらず、民衆の放った凶弾に倒れます。この浜口の死が憲政の死だったのかも。これ以降の為政者の心に去来したものは、テロリズムに対する恐怖、生命の危険だったでしょう。
1931年、満州事変が勃発、日本は満州国を建国。その翌年のリットン調査団の報告は、満州国建国以外の日本の行動の正当性をほぼ全面的に認めるフェアなものでした。
これが最後のチャンスだったのでしょうが、結果は国際連盟脱退、国民もマスコミもこれを熱狂的に支持。日本は破滅への道を突き進んでいきます。
1937年、短期のつもりのシナ事変は、米国の中国支援で長期化。米国はABCD包囲網で日本を経済封鎖、石油の対日禁輸措置をとります。
主力兵器は船から航空機へ、軍艦も日露戦争当時の石炭から重油になっており、石油の8割を米国に依存していた日本は、このままでは戦わずして負ける。石油を確保するには蘭領インド、今のインドネシアを制圧するしかない。そのためには、その周囲の欧米の植民地も全部制圧するしかない。万事窮すです。
当時の日本人は、自分たちが帝国主義的野望をもって他国を侵略しているなどとは、全く思っていなかった。
でも、暴走する軍部を支持し、民主主義をポピュリズムに貶め、日本を戦争に向かわせたのは、マスメディアであり日本国民であったと思います。
戦後、米軍の論調に乗り、戦争責任は軍部や一部の戦犯にあるということになりました。
自分のせいじゃないと思っているから、あんなにも簡単に相手の言い分を認め、謝罪をしてしまう。
日本人は、先の大戦の総括をまだやっていない。私はそう思います。
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