私は文京区小石川の出身なのですが、その実家の前の通りが、その昔は川だったという都市伝説がありました。
片側一車線ではありますが、交通量の多い、普通の都内の道路、でも、そもそもが地名が小石川だし、小学校や公園に礫川(れきせん)という名前も残っているし、正式名称ではないのでしょうが、実家の前の通りをなんとなく「せんかわどおり」ということがあるし。
夏目漱石の「三四郎」で、この界隈を、雨が降ると泥んこになってどうしようもないところみたいな記述があって、明治末期には、川ではなかったものの、自然河川の跡っぽい感じ。
この道、東京ドーム、すなわち徳川御三家の水戸藩の江戸屋敷跡にぶつかって終わっているので、もしかして江戸時代の千川上水の分水路?とも想像してました。
調べてみたら、本当にそうらしい。
確かに地形的には高台に挟まれた谷のような地形。
地下鉄丸ノ内線後楽園駅は、地下鉄なのに、この部分だけ高架になってますから。
で、さっそく走って確認してみました。
全く川の痕跡のない道を行くことしばし、通りから1本北側の小石川植物園の前の道を行きます。
子供のころ、よくここでザリガニをとったりして遊びました。
植物園に沿って、歩道を作る工事をしてたのですが、至るところに水が溜まっている。
だから川だったとは言えませんが、水が流れ込みやすい地形であることは確かです。
簸川(ひかわ)神社。
名前に川がついてますが、祭神も大黒様に素戔嗚命姫の出雲系、これは東京に200ほどもある氷川神社の字違いでしょう。
でも、氷川神社って、川のそばにあることが多いのですよね。氷川神社と川との関係、これも一度確認してみたいテーマです。
印刷工場と住宅が並ぶ道は、やがて文京区から豊島区に、道はゆるやかに蛇行を始めます。いよいよ川筋らしい感じの道になってきました。
三業通りという通りを抜けて、JR大塚駅前に出ました。
名前の通り、ちょっと色街の雰囲気の通りでした。
都電の通るガード下を抜けて、山手線の外側へ。
再び川の痕跡のない片側一車線の普通の道、でも、「空蝉橋下」という名前の交差点を発見。
近くに橋の跡があるのではと探しましたが、確認できませんでした。
行くことしばし、豊島区の看板に、正解がすべて書いてありました。
この道は、谷端川という川だったが、昭和40年ごろまでに暗渠になった。
下流は小石川と言って、水道橋のあたりで神田川に注いていた。
水源は西武池袋線・椎名町近くの神社の池。
かつては千川上水から分水を受けていたので、「千川分水」とも呼ばれていた。
道の左は豊島区上池袋、右は北区滝野川。区界も暗渠のしるし。
JR板橋駅のガードをくぐると、「谷端川」という文字が書かれた遊歩道。
そして橋の跡。
暗渠は東武東上線「上板橋」の駅をまたいで続きます。
線路の下に川の痕跡。
道は大きく左カーブして一転南下。ほぼ山手通りと並行して走ります。
右手は豊島区、左手は板橋区。
大通りの山手通りではなく、この小さな緑道が区界になっているところが、何とも言えぬ存在感。
暗渠サインの銭湯もありました。
かなりレトロな雰囲気の道が続き、遊歩道は西武池袋線の線路に突き当たって、突然終わります。
山手通りの反対側に渡ってみると、いかにも暗渠という感じの道を発見。
でも、水源まではよくわかりませんでした。
近くの大きな公園で、本日の探検ジョグ終了。
片側一車線ではありますが、交通量の多い、普通の都内の道路、でも、そもそもが地名が小石川だし、小学校や公園に礫川(れきせん)という名前も残っているし、正式名称ではないのでしょうが、実家の前の通りをなんとなく「せんかわどおり」ということがあるし。
夏目漱石の「三四郎」で、この界隈を、雨が降ると泥んこになってどうしようもないところみたいな記述があって、明治末期には、川ではなかったものの、自然河川の跡っぽい感じ。
この道、東京ドーム、すなわち徳川御三家の水戸藩の江戸屋敷跡にぶつかって終わっているので、もしかして江戸時代の千川上水の分水路?とも想像してました。
調べてみたら、本当にそうらしい。
確かに地形的には高台に挟まれた谷のような地形。
地下鉄丸ノ内線後楽園駅は、地下鉄なのに、この部分だけ高架になってますから。
で、さっそく走って確認してみました。
全く川の痕跡のない道を行くことしばし、通りから1本北側の小石川植物園の前の道を行きます。
子供のころ、よくここでザリガニをとったりして遊びました。
植物園に沿って、歩道を作る工事をしてたのですが、至るところに水が溜まっている。
だから川だったとは言えませんが、水が流れ込みやすい地形であることは確かです。
簸川(ひかわ)神社。
名前に川がついてますが、祭神も大黒様に素戔嗚命姫の出雲系、これは東京に200ほどもある氷川神社の字違いでしょう。
でも、氷川神社って、川のそばにあることが多いのですよね。氷川神社と川との関係、これも一度確認してみたいテーマです。
印刷工場と住宅が並ぶ道は、やがて文京区から豊島区に、道はゆるやかに蛇行を始めます。いよいよ川筋らしい感じの道になってきました。
三業通りという通りを抜けて、JR大塚駅前に出ました。
名前の通り、ちょっと色街の雰囲気の通りでした。
都電の通るガード下を抜けて、山手線の外側へ。
再び川の痕跡のない片側一車線の普通の道、でも、「空蝉橋下」という名前の交差点を発見。
近くに橋の跡があるのではと探しましたが、確認できませんでした。
行くことしばし、豊島区の看板に、正解がすべて書いてありました。
この道は、谷端川という川だったが、昭和40年ごろまでに暗渠になった。
下流は小石川と言って、水道橋のあたりで神田川に注いていた。
水源は西武池袋線・椎名町近くの神社の池。
かつては千川上水から分水を受けていたので、「千川分水」とも呼ばれていた。
道の左は豊島区上池袋、右は北区滝野川。区界も暗渠のしるし。
JR板橋駅のガードをくぐると、「谷端川」という文字が書かれた遊歩道。
そして橋の跡。
暗渠は東武東上線「上板橋」の駅をまたいで続きます。
線路の下に川の痕跡。
道は大きく左カーブして一転南下。ほぼ山手通りと並行して走ります。
右手は豊島区、左手は板橋区。
大通りの山手通りではなく、この小さな緑道が区界になっているところが、何とも言えぬ存在感。
暗渠サインの銭湯もありました。
かなりレトロな雰囲気の道が続き、遊歩道は西武池袋線の線路に突き当たって、突然終わります。
山手通りの反対側に渡ってみると、いかにも暗渠という感じの道を発見。
でも、水源まではよくわかりませんでした。
近くの大きな公園で、本日の探検ジョグ終了。
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