1月11日-15日、台湾に行ってきました。
目的は単なる観光ではなくて、母校の大学のバレー部の台湾遠征の帯同でした。
母校のバレー部の創設は戦前、関東にまだバレー部のある大学が10校しかなかった頃の話です。
10校とは、東京六大学に日大、中大、筑波大、それに我が母校の一橋大学。
私が現役のころから、中大をはじめとするいわゆるセレクションを行っていた大学は前日本選手も排出してましたので、一緒に名前を挙げるのもおこがましいのですが、創部百年を無事に迎えるべく、最低限部を存続させるのがOBの務めというもの。
そのためには、学生たちから見て、バレー部が魅力的でなければなりません、現役の部員は、部の主役であるとともに、獲得しなければならないお客様でもあるわけです。
海外遠征もそんな思惑から始められました。
原則隔年開催だったのですが、コロナの影響で、ようやく四年半ぶりに実現しました。
交流相手は国立台湾大学、台湾でいうところの東大です。
12日は午前中が5セットマッチの試合、午後が討論会。
13日は午前中が試合で、午後は1時間ほどのキャンパスツアー。
すごい立派な体育館でした。
試合の方は、初日は年末年始休み明けのためかミスだらけで0-3の敗戦、2日目は初日のミスを修正して3-0の勝利。
初日午後の討論会は、「若者の政治参画意識」「少子高齢化」「コロナ下の助成の在り方」、日台で共通する部分、相異する部分につき、つたない英語で一生懸命議論をしていました。
目的は単なる観光ではなくて、母校の大学のバレー部の台湾遠征の帯同でした。
母校のバレー部の創設は戦前、関東にまだバレー部のある大学が10校しかなかった頃の話です。
10校とは、東京六大学に日大、中大、筑波大、それに我が母校の一橋大学。
私が現役のころから、中大をはじめとするいわゆるセレクションを行っていた大学は前日本選手も排出してましたので、一緒に名前を挙げるのもおこがましいのですが、創部百年を無事に迎えるべく、最低限部を存続させるのがOBの務めというもの。
そのためには、学生たちから見て、バレー部が魅力的でなければなりません、現役の部員は、部の主役であるとともに、獲得しなければならないお客様でもあるわけです。
海外遠征もそんな思惑から始められました。
原則隔年開催だったのですが、コロナの影響で、ようやく四年半ぶりに実現しました。
交流相手は国立台湾大学、台湾でいうところの東大です。
12日は午前中が5セットマッチの試合、午後が討論会。
13日は午前中が試合で、午後は1時間ほどのキャンパスツアー。
すごい立派な体育館でした。
試合の方は、初日は年末年始休み明けのためかミスだらけで0-3の敗戦、2日目は初日のミスを修正して3-0の勝利。
初日午後の討論会は、「若者の政治参画意識」「少子高齢化」「コロナ下の助成の在り方」、日台で共通する部分、相異する部分につき、つたない英語で一生懸命議論をしていました。
天上サーブ(死語?)が有効だったかも知れません(笑)。
天上サーブ(死語?)が有効だったかも知れません(笑)。
台湾大學の体育館は台湾バレーボール実業団リーグの決勝ラウンドが行われる会場で、数回観戦に行ったことがありますが、良い体育館だと思います。