ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

貧民窟跡を歩く(四ツ谷編)

2023-01-27 10:09:04 | 街歩き・お散歩ジョグ
江戸時代から明治時代にかけて、下谷万年町(現・台東区東上野四丁目の一部及び北上野一丁目の一部)、芝新網町(現・港区浜松町二丁目の一部)、四谷鮫河橋(現・新宿区南元町及び若葉二,三丁目)が三大貧民窟と呼ばれていたそうです。

その後関東大震災や大東亜戦争で東京の様相は一変し、もちろん現在はいずれの地域でもその頃の面影は全くありません。

四谷鮫河橋はその中でも最大のもので、明治20年で1370戸の細民長屋があり、「日稼人足(日雇い労働者)」「人力車夫」「くずひろい」「芸人」「鋳掛屋」「蝙蝠傘なおし」「露店で商う小商人」などを生業とする人々が住んでいたそうです。

自分がこの場所を改めて歩いてみようと思い立ったのは宮内悠介さんの「かくして彼女は宴で語るー明治耽美派推理帖」というミステリー小説に出てきたこの場所が、ジョギングやお散歩で自分の良く知っている場所だったからです。
知らずに歩くのと、知ってからそう思って歩くのとでは、やはり見える景色が違いますね。

四ツ谷駅から迎賓館方面へ歩くと、迎賓館を正面に見て道が二手に分かれます。この右側の、学習院初等科がある方の坂(鮫河橋坂)を下りていくと、ほどなく右手に「みなみもと町公園」という大きな公園があります。
この公園の南側の一画に「せきとめ稲荷」があります。

どうやらここに坂の名前になっている鮫河橋というのがあって、ここでその流れを堰き止めていたようです。

ここから高速道路の高架下をくぐってまっすぐ行くと、やがては上り坂(円通寺坂)になって新宿通り(甲州街道)に至るのですが、その間の谷間の地形の道筋がその貧民街だったようです。

確かに、微妙に曲がりくねった道は川跡を思わせるものですし、両側はかなり急な坂になっており、さぞかし昔は水の出やすい、じめじめした場所だったんだろうなあということは想像がつきます。
街の雰囲気も、細い路地が多かったり、建物にも何となく下町感は残っているのですが、いかにも高級なマンションも次々と建設されており、やはり貧民街だったと言われても想像がつきません。
地形より、そうだったんだろうなーと想像するしかないですね。

この界隈、とにかくお寺が多い。
あの大ヒットアニメ「君の名は」のラストシーンで、主人公の二人がすれ違う石段(男坂)のある須賀神社もこの道沿い。


せっかくですので、主人公の二人になった気分で、石段を上り下りしてみました。

瀧くん目線。


三葉目線。

須賀神社に至る道の反対側も急な上り坂、こちらにもお寺がありました。





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