関ジャニ∞ music.jp 入会退会編
笑えるね。
でも、結構斬新なCMと思う。
関ジャニ∞ music.jp 入会退会編
笑えるね。
でも、結構斬新なCMと思う。
九州の歴史をひも解く上での重要キーワード。
今回の旅でも、
長崎はもちろん、熊本、佐賀、福岡、
あちらこちらで目にしたことば、
キリシタン。
ポルトガル語でキリスト教徒の意。
(英語の「Christian(クリスチャン)」
元来はキリスト教徒全般を指すが、たとえば外国人などは、キリスト教徒であれ、キリシタンとは捉えられていない。
漢字では吉利支丹などと書く。江戸時代以降は禁教令等による弾圧に伴い侮蔑を込めて切死丹、鬼理死丹という当て字も使われるようになった。なお、5代将軍徳川綱吉の名に含まれる吉の字をはばかって、綱吉治世以降は吉利支丹という字は公には使われなくなり、切支丹という表記が一般となった。
現在では、「キリシタン」という言葉は「キリシタン大名」や「隠れキリシタン」などの歴史的な用語として使う場合がほとんどであり、現代のキリスト教徒のことを指す場合は英語読みの「クリスチャン」を用いることが一般的である。また、カトリック・プロテスタントを問わず日本のキリスト教徒が「キリシタン」と自称することもほとんどない。特に長崎県などでは、かつての禁教・迫害などのつらい歴史を連想させるためか、この呼称を嫌うカトリック信徒も少なくない。
とのことです(ウィキペディアより)。
なんとなくそんな感じではあろうと思っていたけど、
つまりそういうことだったんだ。
博多から名古屋まで3時間20分。
うどんを食べたものの、手元に何かないと落ち着かない。
DEITOSの和菓子屋さんで黒豆のお菓子を買ったとき、
「保冷剤をお入れしますが、家までどれくらいですか?」
と聞かれたので、「4時間くらい。名古屋まで帰ります」と答えると、
驚いた表情で、お土産にどうぞとくれた、みそまん。
承天庵という老舗和菓子屋さんのお饅頭。
何度もこしたに違いない、薄味のこしあん。
このあん、どこかで食べた記憶が。。。
そう!
高島屋に入ってる鈴懸の味だ。
そういえば、鈴懸も福岡だったね。
このあんは、福岡の人が好きな味なのかな。
上品なさらさらのこしあん。
承天庵本店
福岡県福岡市博多区対馬小路4-10
092-272-2354
いつものように思いつきで出かけた旅でしたが、
思いつきの割に期待以上の収穫を得ることができました。
いつも思うことだけど
やはり旅って、本や映像で味わうのとは違う、
実際にその地に行って、そこで立ってみて
はじめて感じることができる何かがあるのですよね。
今回の旅は、一ヶ所をじっくり見物する旅ではなかったけど、
各所で吹かれた風の匂いと五感に訴える感覚は、
とても貴重な体験として身体に染み入りました。
一言で九州と行っても、
鹿児島、福岡、佐賀、熊本、長崎、
それぞれ独自の文化があるし、
以前鹿児島に行ったときも思ったけど、
九州って、日本の文明を築き上げてきた深い歴史からか
豊かな土壌を感じるんですよね。
あー
楽しかった!!
さてそろそろ名古屋に戻ります。
博多から名古屋に帰る最終列車。
19:30博多発のぞみ96号。
こんな時間まで博多にいて、
その日のうちに帰れるなんて、ホントいい時代。
博多。
今回、DEITOSしか足を踏み入れることはなかったけど、
博多もなかなか奥が深そうで、
次回までのお楽しみだな。
大阪通過22:00、
名古屋着22:50。
さて、旅も終わり、名古屋に戻ります。
新幹線に乗る前に、
博多駅でさくっといけるレストランを食べログで調べたら、
おなかにもよさそうで、なかなか評判もよかったので
うどん屋さんをセレクト。
因幡(いなば)。
リーズナブルな価格設定。
ごぼん天うどん450円をオーダー。
揚げ玉の上にごぼうスライスがのっている
ちょっと見たことのない形状のてんぷら。
薬味は、卓上に置いてあるねぎ、七味、一味。
おいしかったです!
こういう、しょうゆじゃなく出汁で食べるうどんは好みです。
出汁は、昆布、いりこ、そして、
たぶんかつおと「あご(とびうお)」。
あごが入ると、ちょっとコクが出ると同時に、少しだけクセも出ますが、
まじりっけなしの出汁は、体に優しい感じでおいしかったです!
ただ、味噌煮込みの固い麺に慣れ親しんだ名古屋人としては、
あの、ふにゃふにゃの茹ですぎのような麺では、
のど越しを楽しめない(笑)。
場所かわればうどんの固さも変わります。
おいしかった!また食べたい!
お土産におつゆを買って、固めにゆでたうどんと共に食べました。おいしかった~満足です!
因幡うどん(いなばうどん)博多デイトス店
福岡県福岡市博多区博多駅中央街1-1
博多デイトス B1F
092-441-7851
PS。会社にて福岡ご出身の方にお尋ねしたら、この因幡さん、福岡ではかなり知られたうどん屋さんだそうで、やはり、開口一番、麺柔らか過ぎるでしょ?と言われたのでした。味噌煮込みのうどんとは言わないまでも、讃岐のコシは欲しい!
実は、
今回天草に来るまで、全く知りませんでした。
天草四郎って人のこと。
天草四郎(1621~1638)。
享年17歳。
江戸時代初期のキリシタン。
本名は、愛知時貞(えちときさだ)という説もあるらしいから、
愛知県民としては全く縁がないというわけでもないよね(笑)。
島原の乱の指導者とされ、幕府の攻撃による原城陥落により自害した。
どの像を見ても、少年の天草四郎像ばかりだったのは、
そういうことだったんだ(↓)。
以下、某HPより抜粋。
元和7年(1621)江部村(現在の宇土市旭町江部)に生まれる。父益田甚兵衛はキリシタン(切支丹)大名小西行長の元家臣で、小西家没落後、江部村で農業を営んでいた。家族ともに敬謙なキリシタン信徒だった。当時の天草・島原地方は、飢きんや重税とキリシタン弾圧に苦しみ、民衆の不満は頂点に達していた。慶長18年(1613)、マルコス宣教師が追放される時「25年後に神の子が出現して人々を救う」という予言を残す。その予言にある25年目の寛永14年(1637)、長崎留学から帰った四郎が様々な奇跡を起こし、神の子の再来と噂される。四郎の熱心な説教は人々の心をとらえ、評判は天草・島原一帯に広まり、遂には一揆の総大将に押し立てられた。
慶長6年(1601)、唐津城主の寺沢広高が旧小西領だった天草を統治する。その際、領内の石高を定めるが、耕地面積に乏しい天草にとって、4万2千石というのは実情を無視した余りにも過大な数値だった。寛永11年(1634)から続いた大凶作の中でも年貢の取立ては容赦ない。、生きたまま海に投げ込んだり、火あぶりの刑など想像を絶するキリシタン信者への迫害。このような過酷な徴税と弾圧に絶え切れずに、起こるべくして起きた一揆と宗教戦争が「天草・島原の乱」だった。寛永14年(1637)10月、年貢納入期を前に島原で農民が蜂起。呼応して天草でも一揆が起こり、島原半島に渡って島原勢と合流する。天草四郎は一揆軍の精神的支柱となり、幕府軍と果敢に戦うことに。しかし、正規軍の幕府連合軍(12万人)と素人寄せ集め集団の一揆軍(3万7千人)、力の差は歴然。寛永15年(1638)2月、島原城の落城ととも一揆軍は全滅。幕府軍にも8千人の死傷者を出して終結となった。当時、四郎はわずか16歳、一揆軍全員玉砕という結末はキリストへの厚い信仰心の証だったのかもしれない。
天草・島原の乱で全滅したと思われていたキリシタンだったが、明治のキリシタン解禁までの300年近く、厳しい弾圧に耐え忍びながらも、信仰の火を守り続け、明治6年(1873)のキリスト教解禁後、大江や崎津などに天主堂が建設され、キリスト教徒として次々と復活した。
天草から博多に向かう途中、
天草四郎の銅像を横目に見ながら
天草パールロードを走るバスの中、
聴きたくなったのはやっぱりこれ、
今回私を長崎へいざなったこの曲。
ゴスペラーズのLove Notes。
いい曲だなぁ~
ホントに。
ゴスペラーズ / Love Notes II 【CD】
天草五橋(あまくさごきょう)。
熊本の宇土半島(上天草)と天草を結ぶ
上天草市内の5つの橋の総称。
1966年開通。
当初の見込みは、償還期間39年のところ、
わずか9年で償還が完了し無料化された、とのこと。
一号橋から五号橋の間は、
天草で真珠の養殖が盛んなことから天草パールラインと名付けられ、
日本の道100選にも選ばれている。
天気がよかったら、きれいだっただろうなー
あー今度は自分でドライブしたい!
鬼池港でのランチは海鮮バーベキュー。
炭火で。
まずはサザエとイカ。
プリップリッでどちらもおいしかった!
トリは、あわび。
生きてました。
養殖かもしれないけど、生きてるアワビは初めて食べた。
個人的にはしっかり火を入れたものが好みです
グニュグニュしてて見た目ちょっとキモかったけど、
おいしかったです!
お肉NGの私にとって、海産物の食事はありがたい!
ひさしぶりに、マジでお酒飲みたくなった~
飲まなかったけど!
えらい!自分!