僕が母親のお腹で生命を授かったとき、同時に僕は人を幸せにできる魔法を授かった。
10ヶ月間その魔法を使うときを楽しみしていた。
そして生まれ出た時、“それ今だ!”
「んぎゃーっ!」と泣くと、みんな笑顔になった。
みんなを笑顔するためにまた僕は泣いてみると、
みんなは「泣かないで」と僕を泣き止まそうとした。
そのうちに「もう泣かないで!」と困った顔をするようになった。
せっかく授かった幸せにする魔法はすぐに使えなくなった。
僕はもう一つ、とっておきの魔法を持っていた。
「ケラケラ」と笑った。
すると、みんなも笑顔になった。
この魔法はいつになっても、誰に対しても使うことができた。
そして時が経ち、僕は父親になった。
子どもが生まれ出た時、「んぎゃーっ!」という泣き声に喜び、笑顔になった。
まー坊、もこりこがケラケラ笑うと僕も笑った。
僕が父親になったとき、僕も魔法の言葉を授かった。
子どもたちが泣いたときや寂しそうなときに僕は子どもを抱きしめて言った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
子どもたちは泣き止み、笑顔になった。
昨年の2017年11月、僕の父さんは天国へ旅立った。
いつでも支えてくれた父さん。多くは言わないが、励ましてくれた。
最期は突然に病気でその声を失った。
「お前はもっと頑張れよ」とよく言われたもんだ。それがこの父さんなりの魔法の言葉。
きっと伝えたいことがもっとあったと思う。話したかったこともたくさんあると思う。
聞きたいこともたくさんあったし、教えて欲しいこともまだまだある。
突然に、その機会を失った父さんだけれど、最後まで笑っていた。子供の前では決してつらい顔を出さなかった。
「父さん、また来るね」と言うと、病室のテレビを見ながら僕をちらっと見て
うなづいた。意識のある父さんとの最後のやりとり。
意識を失い死を臨む時、父さんはそれぞれ離れて暮らす僕ら家族を集め、自分の生き様をしっかりと見せてくれた。
初めて父さんの手を握ったし、頬を撫でた。真っ暗な病室でこれまで話せなかったことや思い出を伝えた。
おでことおでこを合わせ、ありがとうと言った。
迷惑と心配ばかりかけてごめんよと言った。
俺はもっと頑張るよと言った。意識があるときにしていればよかったと後悔した。
やっぱり父さんには勝てないな、と思った。
「あんたバカねオホホ」「当たり前だのクラッカー」「パパちゃんは強いのだ」・・・
僕ら子どもに「くだらねー」と一蹴されながらも、笑いながらくだらないことを言う父さんの声がまた聞きたい。
長い間、子どもたちやカイ君と散歩をしてきた田万川。
たくさんの“はじめて”を一緒に経験してきた。
でももうそれができそうもない。
夕暮れ時に抱っこをしながら散歩をしていたリコが歌ってくれたな。
♫うえをむーいて あーるこーおおお なみだが こぼれ ないよぉぉに♫
その声はとってもキレイだった
カイ君、
九州からもらって来た君は初日に脱走し、僕は一晩中、近所に探し犬の張り紙を貼りながら探した。
臆病だから雷の日は血だらけになるほど玄関を噛み砕いたね。
一度人間に裏切られた君と、僕は最後まで一緒に過ごしたかった。
子供と愛犬を一緒に育てるという僕の夢、続けられなくなっちゃった。
また君をひとりぼっちにしてしまう。悲しいよね。寂しいよね。
絶対にまた会いに行くよ。一緒に走ろう。
全てが僕から離れた。突然に。
だから田万川散歩はこれでおしまい。
僕は魔法の言葉を使う機会が減ってしまったけれど、
遠くへ行ってしまった子どもたちへ届くように、これまでよりもっともっと大きな声で伝えてあげたい。
「だいじょうぶ。父さんは近くにいるよ」
子どもたちよ、どうか笑顔を忘れないで。
父親や子どもたち、カイ君と離れてしまったけれど、みんな心の中で繋がっています。
〜おわりに〜
長い間このブログを読んでくださった皆様、コメントをくださった方々、ありがとうございました。
昨年は激変の年となり、同時に色々と考える機会となりました。
失ったものも多々ありますが、得たものも多くあります。
「転ばぬ先の杖」ではなく、「転んだ先の杖」。
つまづいて立ち上がれそうにない時に、つかまって良いよ、支えてあげるよ、と助けてくれたみんな。
そんな仲間や家族に助けられました。
ブログを書いていると、思ってもいなかった近くの人から「ブログ見てるよ」と言われドキッとすることがありましたが
色々な人に子どもたちの笑顔と僕の拙い育児風景を伝えることができてとても嬉しかったです。
振り返って見ても、父親としてたくさん遊んだし、楽しい時間だったなと胸を張って言えると思います。
このブログはいつか子どもたちが大きくなった時の成長記として、大切に残したいと思っています。
また、新たにこのブログで僕を知ってくれた人へ若かりし僕の思いを伝えるため、
ザンビア滞在中の自称大人気ブログ「Jacarandaの木の下で」をリ・オープンしました。
あらためて読むと、なんとも幼い部分や書いてはいけないことも多々ありますが、若気の至りとご容赦ください。
システム上、写真がなくなってしまいましたが、ぜひご覧下さい。
→ https://blog.goo.ne.jp/tetsuyaself2
それでは、これまで大切な時間を本当にありがとうございました。
また気持ちや環境が「伝えたい」と向かうとき、新たな場を設けます。
♪知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
10ヶ月間その魔法を使うときを楽しみしていた。
そして生まれ出た時、“それ今だ!”
「んぎゃーっ!」と泣くと、みんな笑顔になった。
みんなを笑顔するためにまた僕は泣いてみると、
みんなは「泣かないで」と僕を泣き止まそうとした。
そのうちに「もう泣かないで!」と困った顔をするようになった。
せっかく授かった幸せにする魔法はすぐに使えなくなった。
僕はもう一つ、とっておきの魔法を持っていた。
「ケラケラ」と笑った。
すると、みんなも笑顔になった。
この魔法はいつになっても、誰に対しても使うことができた。
そして時が経ち、僕は父親になった。
子どもが生まれ出た時、「んぎゃーっ!」という泣き声に喜び、笑顔になった。
まー坊、もこりこがケラケラ笑うと僕も笑った。
僕が父親になったとき、僕も魔法の言葉を授かった。
子どもたちが泣いたときや寂しそうなときに僕は子どもを抱きしめて言った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
子どもたちは泣き止み、笑顔になった。
昨年の2017年11月、僕の父さんは天国へ旅立った。
いつでも支えてくれた父さん。多くは言わないが、励ましてくれた。
最期は突然に病気でその声を失った。
「お前はもっと頑張れよ」とよく言われたもんだ。それがこの父さんなりの魔法の言葉。
きっと伝えたいことがもっとあったと思う。話したかったこともたくさんあると思う。
聞きたいこともたくさんあったし、教えて欲しいこともまだまだある。
突然に、その機会を失った父さんだけれど、最後まで笑っていた。子供の前では決してつらい顔を出さなかった。
「父さん、また来るね」と言うと、病室のテレビを見ながら僕をちらっと見て
うなづいた。意識のある父さんとの最後のやりとり。
意識を失い死を臨む時、父さんはそれぞれ離れて暮らす僕ら家族を集め、自分の生き様をしっかりと見せてくれた。
初めて父さんの手を握ったし、頬を撫でた。真っ暗な病室でこれまで話せなかったことや思い出を伝えた。
おでことおでこを合わせ、ありがとうと言った。
迷惑と心配ばかりかけてごめんよと言った。
俺はもっと頑張るよと言った。意識があるときにしていればよかったと後悔した。
やっぱり父さんには勝てないな、と思った。
「あんたバカねオホホ」「当たり前だのクラッカー」「パパちゃんは強いのだ」・・・
僕ら子どもに「くだらねー」と一蹴されながらも、笑いながらくだらないことを言う父さんの声がまた聞きたい。
長い間、子どもたちやカイ君と散歩をしてきた田万川。
たくさんの“はじめて”を一緒に経験してきた。
でももうそれができそうもない。
夕暮れ時に抱っこをしながら散歩をしていたリコが歌ってくれたな。
♫うえをむーいて あーるこーおおお なみだが こぼれ ないよぉぉに♫
その声はとってもキレイだった
カイ君、
九州からもらって来た君は初日に脱走し、僕は一晩中、近所に探し犬の張り紙を貼りながら探した。
臆病だから雷の日は血だらけになるほど玄関を噛み砕いたね。
一度人間に裏切られた君と、僕は最後まで一緒に過ごしたかった。
子供と愛犬を一緒に育てるという僕の夢、続けられなくなっちゃった。
また君をひとりぼっちにしてしまう。悲しいよね。寂しいよね。
絶対にまた会いに行くよ。一緒に走ろう。
全てが僕から離れた。突然に。
だから田万川散歩はこれでおしまい。
僕は魔法の言葉を使う機会が減ってしまったけれど、
遠くへ行ってしまった子どもたちへ届くように、これまでよりもっともっと大きな声で伝えてあげたい。
「だいじょうぶ。父さんは近くにいるよ」
子どもたちよ、どうか笑顔を忘れないで。
父親や子どもたち、カイ君と離れてしまったけれど、みんな心の中で繋がっています。
〜おわりに〜
長い間このブログを読んでくださった皆様、コメントをくださった方々、ありがとうございました。
昨年は激変の年となり、同時に色々と考える機会となりました。
失ったものも多々ありますが、得たものも多くあります。
「転ばぬ先の杖」ではなく、「転んだ先の杖」。
つまづいて立ち上がれそうにない時に、つかまって良いよ、支えてあげるよ、と助けてくれたみんな。
そんな仲間や家族に助けられました。
ブログを書いていると、思ってもいなかった近くの人から「ブログ見てるよ」と言われドキッとすることがありましたが
色々な人に子どもたちの笑顔と僕の拙い育児風景を伝えることができてとても嬉しかったです。
振り返って見ても、父親としてたくさん遊んだし、楽しい時間だったなと胸を張って言えると思います。
このブログはいつか子どもたちが大きくなった時の成長記として、大切に残したいと思っています。
また、新たにこのブログで僕を知ってくれた人へ若かりし僕の思いを伝えるため、
ザンビア滞在中の自称大人気ブログ「Jacarandaの木の下で」をリ・オープンしました。
あらためて読むと、なんとも幼い部分や書いてはいけないことも多々ありますが、若気の至りとご容赦ください。
システム上、写真がなくなってしまいましたが、ぜひご覧下さい。
→ https://blog.goo.ne.jp/tetsuyaself2
それでは、これまで大切な時間を本当にありがとうございました。
また気持ちや環境が「伝えたい」と向かうとき、新たな場を設けます。
♪知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
