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池永陽『コンビニ・ララバイ』2005・集英社文庫-「赦し」と「救い」を問う

2024年11月29日 | 小説を読む

 2018年のブログです

     *

 池永陽さんの『コンビニ・ララバイ』(2005・集英社文庫)を読みました。

 いい小説です。

 おとなの小説です。

 実は読んでいる途中で、前に一度読んだことがあるような気がしてきて、既視感も確かに感じたりもしたのですが、しかし、あいかわらず記憶があいまいで(!)、もっとも、このすばらしいラストは本当に新鮮に読めましたので、やはり初めてなのかな、と思ったりしました。

 まあ、大切なことは、1回目か、2回目か、という事実はどうであれ(?)、いずれにせよ、今の64歳のじーじにとって、初めての(あるいは、初めてと同様の)いい小説に出会てよかった、ということが真実だということでいいのではないか、と思っていますが、どうなのでしょうか。

 事実と真実の問題というのは臨床心理学的にも大きな問題だと思うのですが、これを機にじーじもこの問題にチャレンジしていこう(?)と思っています。

 さて、例によって、あらすじはあえて書きません。

 池永ワールドを堪能したい人は本書を購入して、じっくり味わってくださいね。

 ただし、性的な場面も少し出てきますので(なんせ、おとなの小説ですからしかたありません)、20歳未満の人は遠慮してもらったほうがいいかもしれません。 

 さらには、内容や伝えたいことがらがおとなの世界のことなので、精神年齢が20歳、あるいは、30歳、ひょっとすると、40歳以上でないと、しっかりとは理解できない小説かもしれません。

 個人的には、主人公が亡くなった奥さんの言葉に救われる場面がいいなあと思ったのですが、人が精神的に救われるということも臨床心理学的に、さらには、宗教的にも、相当に大きな、難しい問題だろうと思います。

 このあたりは、50歳、60歳になっても、理解できたとはいえませんし、永遠の課題なのでしょう。

 池永ワールドに浸りながら、ゆるりゆるりと考えたいと思います。

 なお、北上次郎さんの解説によれば、本書は「本の雑誌」が選ぶ2002年上半期ベスト1に選ばれたということで、本当に秀作だと思います。        (2018.11 記)

     *

 2024年11月の追記です

 6年前の文章です。

 若気の至りで、なんか挑戦的な雰囲気が漂っていて(?)、今、読んでいて、少し恥ずかしくなりました。

 問題意識は今も変わりません。

 回答は当然、出ていません。

 わからないことに耐えることが大切ですからね(?)。

 わからないことに耐えることは長生きの秘訣かもしれません。        (2024.11 記)

 


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