たぶん2017年のブログです
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松木邦裕さんほか編集の『抑うつの精神分析的アプローチ-病理の理解と心理療法による援助の実際』(2007・金剛出版)を再読しました。
この本もかなりの久しぶりで、抑うつの患者さんが多い世の中なのに、まったくの勉強不足だなと反省しきりです。
本書は松木さんらのていねいで正確な全体的な論文と、豊かで深みのあるいくつかの事例論文からなっており、そのいずれもがのそれぞれに読み応えがあり、勉強になります。
アンダーラインや付箋が賑やかな中で、今回、特に印象に残ったのは、松木さんの総説と鈴木智美さんの事例。
松木さんの論文は初心者にもわかるようなていねいな論文で、しかも、内容は深く、何度も読む必要がありそうです。
じーじは、この中でも、悲しみをこころに抱えることの大切さを論じたところに感動をしました。さらに読み深めたいと思います。
鈴木さんの事例は、精神科医の抱える環境としての働きかけを、いくつかの事例を挙げて論じていますが、どの事例もすばらしい治療で感心させられます。
そして、鈴木さんが、生まれ出たそのときから、死に向かっていく人生そのものが、悲哀を受け容れていく過程であり、同時に成熟していく過程ともいえる、と書かれているところに本当に感動をしました。
同じようなことはなんども聞いていますが、今回ほどこころに迫ってきたのは初めてでした。
それだけじーじが年を取り、死に近づいているせいもあるでしょうが、深く響く言葉でした。
精神分析らしい言葉といえば、そうでしょうし、しかし、ここには、人生の深さと喜び、美しさが現れているように思えます。
諦め、の深い理解とそれにまつわる生きることの深さや喜び、美しさ、そして、成熟が示されているように思います。
まだまだうまくご紹介できませんが、さらに、勉強と努力を続けていきたいなと思いました。 (2017?記)
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2020年12月の追記です
こころの成熟とは悲哀を受け容れていく過程である、との言葉はやはり深いです。 (2020. 12 記)
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2024年1月の追記です
唐突ですが、(たぶん)高校の倫理社会で習った、仏教でいうところの、四苦、生老病死、という言葉を思い出しました。
諦める、という言葉には、夏目漱石さんもおっしゃるように、仏教の、明らかに見る、という意味も含まれるのだそうですが、そうだとすると、上記のような悲哀の受容ということも含まれているのだろうな、と思ったりします。 (2024.1 記)