ガルガン&クニガン
{ガルガンはご先祖様の霊が現世に戻ってくる日とされており、またクニガンはガルガンでお戻りなったご先祖様の霊を再び送り出す日・・・}
先週の日曜日にクニガンを終えたバリ島です。
自分も、ご先祖様の霊がお戻りになるということで、寺院へ参拝に行きました。しかし、日曜日は野球の練習があり、どうしても時間が取れないため、クニガン当日での寺院への参拝がままならず、翌月曜日に朝から寺院への参拝をしてきました。
ご先祖様も、自分の野球馬鹿オヤジ度合いについては許してくれると、勝手に解釈をしていおります(大笑)
参拝に出向いた寺院はバリ島地図でいうと丁度、地図の中心部分に位置し、ウブド郊外にあるマスという地域にあります。
ウブド周辺は、オランダ統治時代からバリ芸術を発展させてきた場所になりバリ島文化の中心地」と称されるエリアです。ウブド周辺の村を見てみるとバティックで有名なトパティ村、石彫りのバトゥブラン村、銀細工のチュルク村、木彫りなどのマス村などがあります。
マス村はウブド近郊の小さな村で、バリ舞踊やバリ絵画で有名なプリアタンから南下した場所にあり、15世紀ごろから寺院や王宮に飾るための木彫りを作り始めたことから“木彫りの村”として有名になった経緯があります。
そして、今回、参拝に出向いたのが、このマス村にある「Pura Taman Pule」という寺院です。この「Pura Taman Pule」は16世紀にヒンドゥー教の高僧として有名なニラルタ僧侶が、バリ島内の多くの場所に信仰を定着させるために巡回をし、このマス村に定住をした由緒ある場所になります。
マス村に定住したニラルタ高僧は当時繁栄を期していたゲルゲル王朝の王家の娘と結婚をし、王室の相談役/ブラフマナ祭司の地位を得たのです。
また、バリ島観光の名所であるウルワツ寺院やタナロット寺院などの建立も、このニラルタ高僧が深く関わっています。
以上のことから、この「Pura Taman Pule」寺院はバリ島内でも非常に重要な寺院とされており、バリ島内から人々が参拝のために集まり、勿論、外国からの観光のお客様や、ジャワ島や他の島からの観光客の皆様も訪れている寺院です。
バリ島・・・
宗教に基づいた生活と芸術に触れることのできる「神々の島」・・・
この様な解釈から多くの観光客に愛されておりリピーターの観光客も非常に多いものです。また、バリ島に移住をされる外国人の方々も年々増加をしています。
その1つの要因は、バリ島全体が、宗教生活を基盤に置いているため、島全体がミステリアスで、エキゾチックな雰囲気を持っているのが最大の特徴にもなります。
その最大の特徴を浮き彫りにしているのは、バリ島の宗教体系です。
バリ島の人々は世界で唯一のバリヒンドゥー教の維持は「ガルガン&クニガン」などをはじめとする各儀式が象徴するところです。
これは揺ぎ無く周期的に訪れてくるルーテーンシステムがあり、この周期的なルーテーンシステムが宗教形態の破壊を防ぎ、確実に後世へと伝承をし続けて行くのです。
確かに、時代の流れの中で、細かい部分などが近代化されては来ていますが、その本質については、一切のブレはありません。
島全体による、町内会による、村の組織による・・・
何層にもなって周期的なルーテーンシステムを施こすバリ島・・・
このブレの無い伝承がバリ島を世界有数のリゾート地へと押し上げています。
参拝後のお供え物は既に意味の無い物と化します(上記写真のお花やお線香)
寺院などでは参拝の方々が多く集まり、参拝後のゴミとなったお供え物の数ももの凄い量になります・・・
また、参拝終了時には、数多く頭から聖水を浴びるために、衣服も濡れ、座っている場所も濡れてしまいます。時には衣類に花の色が付いてしまうことも・・・多々
散らかった花びら・・・
無造作に消されたお線香・・・
グチャグチャになった竹製のお供え皿・・・
この現象を見て「汚い」と捉えるのか?
この現象から「深い意味を汲み取る」のか?
もし、汚いと捉えるならば・・・
経済成長に伴いイメージ付いた「冷たく」「灰色的」な日本のイメージ色を変えることは難しいです。
また、「冷たく」「灰色的」なイメージ色と日本の持つ色を表現しましたが、これは、経済成長の中で多くの大切な物や事を見失ったがゆえのイメージ色と補足させて頂きます。
ですから・・・
経済後進国インネシアのバリ州における、この周期的ルーテーンシステムによる伝承法は、経済先進国にとっても多くの分野で見習うべき重要な部分だと思います。
特に、現在の日本復興へ際して、1つのヒントが隠されていると判断してなりません。
皆様はどうお考えでしょうか・・・