人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(初演当日編)2022年 ホセ・クーラ作曲レクイエム ハンガリーで世界初演

2022-05-14 | クーラ作曲「レクイエム」

 

 

ホセ・クーラが作曲したレクイエム「REQUIEM ATERNAM」、ついに2022年5月9日、ハンガリー・ブダペストのMUPAで、世界初演を実現しました。

放送は告知通り、ハンガリーのバルトークラジオで生中継されました。しばらくの間は、オンデマンドで聞くことができるようです。

今回は、公演後のクーラのFB投稿やハンガリー放送芸術協会のFBに掲載された写真、オンデマンドのリンクなどを紹介したいと思います。

なお、クーラのこの作品に託した思いや経過などについては、前回の記事「ラジオ生中継告知編」にクーラの解説をFBから紹介しています。また「告知編」でも以前のインタビューなどから抜粋して掲載しています。

 

 


 

 

 

 

≪ バルトークラジオのオンデマンドへのリンク ≫

 

下の画像にリンクをはっています。いつまで聞けるのかは不明ですが、音質も良く、興味をお持ちの方はぜひお早めにどうぞ。約1時間半の公演です。

始まる直前のタイミングで携帯電話の着信音がなり、クーラが「チェックして」と呼びかけるやり取りがありました。最近では残念なことにおなじみの光景になっていますが、ユーモラスに観客の直接語り掛けるのがクーラらしいところです。

 

 

JOSÉ CURA: REQUIEM ATERNAM - CONNECT THE BÉLA BARTÓK NATIONAL CONCERT HALL
2022-05-09
Klára Kolonits (soprano), Dorottya Láng (alt), Dániel Pataky (tenor), Marcell Bakonyi (bass)
Hungarian Radio Singing and Orchestra (conductor: Pad Zoltán), Hungarian Radio Children's Choir (conductor: Dinyés Soma), National Choir (conductor: Csaba Somos)
Conductor: José Cura

 

 

≪ 初演当日の舞台写真ーーハンガリー放送芸術協会のFBより ≫

 

●初演の演奏を終え、観客の喝さいを受けるクーラ

 

 

●他にも多数の舞台写真が掲載 (右上のFの字をクリックすると沢山の写真が見られます)

 

 

●バックステージ写真も沢山

 

 

●終演後、児童合唱団の子どもたちに囲まれるクーラ

 

 

 

≪ 初演を終えての思いーークーラのFBより ≫

 

作曲から40年近くかかった念願の初演を成功させることができ、クーラの感慨もひとしおだったようです。終演後、FBに投稿したコメントを紹介します。

 

●初演実現へ感謝のコメント

 

ーー昨日のコンサートを実現させてくれたすべての人々に感謝する。愛とプロ意識に満ちた250人の魂で満たされた、このような素晴らしいステージを作るのは、今日、簡単ではない。構想から40年後、そして私の故郷でレクイエムを初演しようと何十年も試みた後、私はついにそれをハンガリーで初演することができた。私が生まれた土地ではないが、いつももうひとりの息子として受け入れてくれる!永遠の感謝の気持ちを込めて!

 

 

●名誉指揮者タマシュ・ヴァザーリとともに

 

ーー昨日のコンサート終了後に、ハンガリー放送芸術協会の名誉指揮者である伝説のピアニスト、タマシュ・ヴァザーリ氏とともに。私の「レクイエム ・エテルナム」の初演の後、そのような偉大な人物が心動かされ涙を流すのを見るのは、とても感動的で名誉なことだった。タマシュは私よりちょうど30歳年上だが、彼の恵まれた頭脳と素晴らしい人生経験は、私のような「若者」にとって光となるものだ。

 

 

●合唱団の子どもたちとともに

 

ーーレクイエム初演後の忘れられない瞬間は、児童合唱団の子どもたちみんなが私をハグしにきてくれた時だ。いま体験した素晴らしい人生経験に深く感動して。しかし、あまりの純粋さと希望に涙したのは、本当は私だった。 愛する子ども合唱団、あなたたちの信じられないほどの愛と献身に感謝!

 

 

●指揮を終え、舞台裏に戻るクーラを待っていたのは…

 

ーーミッション達成:レクイエムの後、舞台裏に歩いていく。15分間の拍手の前に力を集める。予期していなかったのは、舞台裏でもみんな涙を流していたことだった...。

 

 

 


 

 

感動と涙の世界初演だったようです。情熱的で涙もろいクーラ。初演成功による感動とともに、そのために力をつくしてくれた舞台上の総勢250人ものオケ、ソリスト、合唱団と、スタッフ、劇場、芸術協会関係者など、様々な人々への感謝の思いがこみ上げ、何度も涙を流していたようです。写真をみても、劇場全体、出演者全体が、心から称え合い、喜び合っている様子が伝わってきて、子どもたちの純粋に喜び合う姿とともに、本当に素晴らしい公演だったのだと思います。

とりわけロシアによるウクライナ侵略の悲惨さ、事態が深刻化し、世界中で戦争NOの声が広がっているこの時、そしてクーラの母国アルゼンチンとイギリスとのフォークランド戦争(マルビナス戦争)から40年という節目の年、若きクーラが体験した戦争の犠牲者を追悼するレクイエムの初演が実現したことは、幾重にも意味があることだと思います。

動画の放送がなかったのは残念ですが、バルトークラジオによる生中継で、私も日本でリアルタイムで聞くことができ、クーラ指揮のレクイエム初演に立ち会う(ネットを通じてですが)ことができたのは、本当に嬉しいことでした。

ぜひオンデマンドで聞いてみてください。クーラのレクイエム、多彩なテーマが組み込まれ、宗教曲ではあるけれど、児童合唱団の声をはじめとして何とも言えない美しさに満ち、人間的な感情がほとばしるかのように、深い悲しみと痛み、怒り、怖れ、安堵、希望、祈り、崇高さ…戦争と平和、人間の生と死、命への深い思いが表現されていたと思います。同時に、全体を通じて、不思議な温かさに貫かれ、人間愛溢れる平和な世界への希求を感じさせ、それがクーラらしいなと私は思いました。

この曲は、自らのアーティスト人生の集大成だと語ったクーラ。今年12月にはちょうど60歳の誕生日を迎えます。歌手から、指揮・作曲・演出などに軸足を移してきたクーラ。ますますオペラ出演は減り、歌の公演も少なくなっていて、音楽産業、マスコミ等への露出もほとんどなくなっています。しかし、着実に自らの本来の志望であった、作曲家・指揮者としての道をあゆみつつあります。スターダムや商業的成功、金銭的利益より、真のアーティストをめざし、自分の足で歩み続けることを選択したクーラ、この世界初演は、その一つの重要な結節点のひとつであり、大きな成果になったと確信します。

 

 

*コンサートマスターと抱き合うクーラ。画像は協会のFBからお借りしました。

 

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(ラジオ生中継告知編)2022年 ホセ・クーラ作曲レクイエム ハンガリーで世界初演

2022-05-08 | クーラ作曲「レクイエム」

 

 

ホセ・クーラが作曲した「レクイエム」の世界初演、ハンガリーのバルトークラジオで生中継されることになりました。

ハンガリー放送芸術協会のゲストアーティストを3年の任期で務めたクーラ。パンデミックの時期にあたりキャンセルになった公演もありましたが、クーラ作曲の初めてのオペラ『モンテズマと赤毛の司祭』世界初演を実現したのをはじめ、とても実りあるものとなりました。今回は、ゲストアーティストとしては最後の公演になるようです。今後も協力関係が続くことを願っています。

すでに「告知編」で、これまでのインタビューから、「レクイエム」作曲の背景やクーラの思いなどを紹介してきました。今回は、ラジオ生放送のリンクや、その後の情報などについて掲載したいと思います。

 

 


 

 

 

 

 

BARTÓK RADIO
Requiem ternam   Premiere of José Cura's work live from Müpa

 

Klára Kolonits (soprano)
Dorottya Láng (alt)
Dániel Pataky (tenor)
Marcell Bakonyi (bass)
Dinyés Soma
National Choir (conductor: Csaba Somos)
Conductor: José Cura

 

José Cura: Requiem Æternam

premiere on 9 May at 19:30 in the Béla Bartók National Concert Hall of MÜPA

live on Bartók Radio

 

 

 

 

ホセ・クーラ作曲・指揮「レクイエム・エテルナム」(世界初演)

2022年5月9日(月)19時30分~

(日本時間)5月10日(火) 深夜2時30分~

ブダペストMUPAより、バルトークラジオで生中継

 

*画像にバルトークラジオの生放送サイトをリンクしています

 

 

*番組表より

 

 

 

 


 

 

≪ レクイエム世界初演に向けてーークーラのFBより ≫

 

 

●私のレクイエム ”Requiem æternam”(ラテン語で”永遠の安息”の意)について

 

 

 

私が『Requiem Argentino (アルゼンチンのレクイエム)』を書き始めたのは1982年だった。フォークランド諸島をめぐるアルゼンチンとイギリスの戦争が始まったばかりのとき、私は19歳だった。私の世代(1962年生まれ)は兵役を終えたばかりで、まだ正式に除隊していなかったため、真っ先に戦地に送られた。そのため私も戦わなければならなかったが、運命によって派兵を免れた。

80年代、アルゼンチンでは、兵役義務(後に廃止)に就く高校生を、政府が毎年くじ引きで全国から選んでいた。くじが引かれ、ラジオで生放送され、その年、IDカードの番号が100未満の私たちは、兵役を免除されることが発表された。私の番号は093だったか、097だったか(42年経ち、少し記憶があいまいになっている)。運命か、偶然かが......何と呼んでもいいが、私が兵役に呼ばれることを防いだ。私の世代の非常に多くの若者たちが悲しくも得られなかった幸運によって。

1982年4月、私は音楽院のカフェテリアのテーブルに座り、歴史上最も不必要な戦争の1つの始まりに関するニュース報道を見ていた(本当に不必要な戦争はこれまでにたくさんある)。私の親しい友人の何人かが「準備」状態に招集され、大西洋の戦場に送られるのを、不幸な徴兵の第一波のすぐ後で待機していることを知った... 。幸いなことに紛争が短期間で終わり、私の友人たちは島へ飛ぶ前にとどまった。しかし、私と同じくらいの年齢の多くの若者が、その約8週間の悲惨な期間に死んでいった。両方の側で。

このことは特定の場所、時代だけのことではなく、私には誰かを指さす権限もない。しかし、それまで平和に共存していた2つの国の間に起こった、このような無意味な戦争がもたらす恐怖と深い悲しみを、当時の私が感じたことは事実だった。

そしてその年、私は「Fac eas, Domine, de morte transire ad vitam」(主よ、死から生へと受け継ぐことをお許しください)という言葉にとりつかれ、レクイエムの「Offertorium」(奉献唱)が生まれた。この「アカペラ」の部分は、当初は1つの合唱団のために書いたが、その後、「アルゼンチンのレクイエム」の残りの部分は3つの合唱団(子どもの合唱団を含む)によるものへと大幅に発展し、2番目の合唱をより大規模な「パレストリーナ」(16世紀イタリアの作曲家)スタイルで書きあげた。

残りの部分は1984年から1985年にかけて書いたが、キリエについてはあまり満足していなかったため、最終的に2016年に現在の最終的な作品に差し替えた。その時点では、『アルゼンチンのレクイエム』は「Agnus Dei」(アニュス・デイ)の後、合唱が再開する「Señor, pon tus ojos en tus hijos y dales tu Santa Bendición(主よ、あなたの目をあなたの子どもたちに向け、彼らにあなたの聖なる祝福を)」で終了していた。しかし、2020年のパンデミックによって世界が一時停止され、この大きな休止は、私にレクイエムのフルスコアを刻む機会を与えた。元のAマイナーの追悼のトーンでなく、より前向きな方法で作品を締めくくるために、最後に「Lux æterna」を追加する必要性を感じた。

実現の見通しのないまま、私は90年代から「アルゼンチンのレクイエム」を初演しようと試みてきた。アルゼンチンとイギリスの合唱団が平和的で象徴的なコラボレーションのために集まることを願って、その実現につながる可能性のあるあらゆる扉を叩いてきたが、残念ながら実現しなかった。だから私は、「アルゼンチンのレクイエム」を「レクイエム・エテルナム Requiem æternam(æternamはラテン語で永遠の命の意味)」という新しい名前で初演することが、最終的にこの作品を生かす、より非政治的な方法になることを理解した。

しかし、レクイエムが初演される頃に、世界がまたしても別の無意味な戦争に巻き込まれていることを私は予期していなかった…。

ホセ・クーラ
マドリード、2022年4月26日

 

 

●クーラの「レクイエム」スコアーーウィーンのドブリンガー社発行

 

 

”私の「レクイエム・エテルナム」世界初演は、中央ヨーロッパ時間2022年5月9日(月)にハンガリーのラジオで放送される”

 

 

 

≪ ハンガリー放送芸術協会のFBより ≫

 

●リハーサル中の様子

 

 

 

 

 

●ブダペストに到着し、インタビューのためTV局へ






 


 

 

80年代から作曲し推敲を重ねてきたクーラの「レクイエム」、ついに初演の日を迎えます。

今回ご紹介したFBでのコメントに見るように、母国アルゼンチンの青年期、軍事独裁政権が起こした無謀で無意味な戦争に直面し、戦争の「恐怖と深い悲しみ」を痛感したクーラ。自身は派兵を免れたものの、戦争が長引けばいつ出兵となるか、その不安は本当に大きなものだったと思います。この戦争での両国の犠牲者は900人にものぼったようです。

戦争終結後も、経済的混乱は続き、音楽で生活していくことはできず、渡欧を決意して今日に至る歩みは、これまで何回かこのブログでも紹介してきたとおりです。戦争は本当に多くの犠牲をもたらし、人々の運命を狂わせました。また当時の軍事独裁政権は、自由な発言を圧殺し、暗黒の政治を行っていました。このことは独裁・専制政治と戦争が一体のものとなることを示していると思います。当時のアルゼンチンについては多くの映画や書籍、証言が残され、今も事実が発掘されているようですが、私が鑑賞した映画「ローマ方法になる日まで」でも描かれていました。

(ブログ記事「ホセ・クーラと母国アルゼンチン――映画『ローマ法王になる日まで』を見て」

今年はフォークランド戦争(マルビナス戦争)からちょうど40年です。1982年4月~6月にかけてのことでした。直後に作曲され、長い間、初演の日を待ち続けていた作品が念願の初演を迎えますが、クーラがFBで触れていたように、まさかロシアによるウクライナ侵略戦争の最中になるとは。本当に、クーラの言う「意味のない戦争」は、ウクライナだけでなく、今も世界からなくなっていません。

クーラが作曲に込めた平和への願い、追悼の思いと世界の未来への希求、世界へのラジオ放送で伝わることを願っています。

 

 

 

 

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(インタビュー編) 2022年 ホセ・クーラ、ヴェルディのエルナー二を指揮

2022-03-25 | オペラの指揮

 

 

ホセ・クーラは2022年3月、ブルガリアとルーマニアで、ヴェルディのオペラ「エルナー二」の指揮に取り組んでいます。主催はブルガリア南部の都市ルセのルセ国立歌劇場で、公演は、3月16日にルセで初日、18日にブルガリアの首都ソフィア、25日はルーマニアの首都ブカレストとなっています。また指揮の合間に1回だけ、ルセでアルゼンチン歌曲のリサイタルも行いました。

公演の様子を紹介する前に、クーラのインタビューが現地のマスコミに掲載されましたので、そこから抜粋して、インタビュー編として紹介したいと思います。

ルーマニアは北側がウクライナに接した国。ブルガリアも、国境は接していませんが同じ黒海沿岸です。今回のインタビューでは、ロシアのウクライナ侵略の問題についても質問され、クーラが答えています。

いつものように誤訳等あると思いますが、お許しください。リンク先の原文をご参照ください。

 

 


 

 

●インタビュー(2022.3.16)ーー「エルナー二」プレミア上演前に

 

 

 

≪ ホセ・クーラ "起きていることは超現実的であり、時代錯誤" ≫

 

 

今夜3月16日、ジュゼッペ・ヴェルディの初期の傑作の1つであるオペラ「エルナーニ」が、ブルガリア・ルセのドホドノ・ズダニエ劇場の大舞台で初めて上演される。このイベントは、第61回「ルセ3月音楽祭」の一環として行われるもの。

また、ルセ国立歌劇場の新しい大型プロジェクトである「エルナー二」は、3月18日に首都ソフィアの国立文化宮殿のホール1で上演される。演出はオルリン・アナスタソフ、指揮は世界的に有名なテノール歌手ホセ・クーラが担当した。

 

「 世界が困難な情勢にあり、緊張状態にあって、ここから遠くない場所で戦争が起こっている今、みんなが、最高の形で舞台を見せたいという強い思いをもっており、職場の雰囲気はとてもいい。人々が尊厳と欲求を持って良い音楽を作ることは非常に大切なことだ」

 アルゼンチンのマエストロ、ホセ・クーラは、オペラ「エルナーニ」の初演を前に、ルセ国立歌劇場のソリスト、合唱団、オーケストラとの共演について、このように語った。

「歌手や声について言えば、私は常々ブルガリアには偉大な声があると言っているので、驚くことはない」と、絶賛されたテノールであり指揮者は付け加えた。

「『エルナー二』には、例えば『ナブッコ』の「行け、我が想いよ」のような合唱はないが、人気のあるソプラノとバリトンのパートがある。愛好家にとっても魅力的だし、『このオペラは何だろう?』と思う非専門家にとっても好奇心をそそるものだ」とホセ・クーラは言う。彼は2003年にソフィアでシンフォニーコンサートを指揮して以来、ソフィアへの再訪を心待ちにしている。「私はあなたたちの首都に歌手として招かれたことがない」とマエストロは言う。

 

ホセ・クーラは、クラシック音楽界を代表するテノールとして国際的なキャリアをスタートさせた当初から、指揮台での仕事と卓越した声楽のパフォーマンスを見事に融合させてきた。生来の音楽的才能は、彼を指揮者としての独自の解釈を形づくるように導いた。そのため、世界的な歌手としてのキャリアの全盛期においても、指揮者としての仕事は止むことがなかった。ヴェルディのあまり上演されないオペラ「エルナー二」をホセ・クーラがルセ歌劇場で解釈することは、音楽史に残るだろう。オペラ歌手、指揮者でありながら、作曲家としても活躍している。宗教的音楽、オラトリオのジャンルでの「スターバト・マーテル」、「マニフィカト」、三部作「この人を見よ」、「テ・デウム」、「レクイエム」や、バロック時代の作曲家アントニオ・ヴィヴァルディに捧げたオペラ「モンテズマと赤毛の司祭」は、レコーディングやコンサートなどで聴衆の注目を浴びている。

 

今回、ホセ・クーラは、ルセの観客の前でだけ、歌手、作曲家として登場する。3月20日18時から、ルセのフィルハーモニーホールで行われる「From Bulgaria to Argentina」と題したリサイタルでは、ブルガリアのソプラノ歌手Tsvetelina Vassilevaとともに、アルゼンチンの作曲家の作品やクーラ自身のオリジナル曲を演奏する。ツヴェテリナ・ヴァシレヴァは、ブルガリアの作曲家による曲を歌う。ピアノ伴奏は、ハンガリーのピアニストKatalin Cilagとブルガリアのピアニスト兼指揮者Viliana Valchevaが担当する。

「”自国の文化大使 "であることが重要だ。パブロ・ネルーダやルイス・セルヌーダなど、詩的な歌詞が素晴らしい楽曲を紹介する。ブルガリアのいくつかの歌とともに、ブルガリアとアルゼンチンの兄弟愛を表現する」と語った。

 

ーーロシアによるウクライナ侵攻について

起きていることは超現実的であり、時代錯誤でもある。現代社会ではあり得ないと思っていたことが起きている。80~100年前はそうだったが、2022年の今、人類は過去を捨て、インターネットやその他のイノベーションによって現代に移行したと思っていた。決して「油断」することなく、そういう人間の思考が、我々の敵になるまで、常に警戒を怠ってはいけないようだ。

ウクライナへの侵攻だけでなく、私たちが生きているのは、すでに信じられないような困難な状況だ。人々の顔は苦痛に満ちている。経済的、地理的、文化的な違いを超えて、兄弟愛や私たちの間にある愛などの共通のもので結ばれる理想の社会には、まだまだ遠いということを改めて見せつけられた。私の60歳の年齢からするとナイーブに聞こえるかもしれないが、これが自然の教訓であり、そうあるべきなのだ。私たちが対立の中で生きていたら、私たちが住んでいると思う現代的な社会へ、この一歩を踏み出すことはできないだろう。そして突然、中世を思わせるような状況に置かれた。自分たちを現代人だと思っているのに、まるで洞窟の中で暮らしているかのように振る舞う。間違いは甚大だ。理想の世界への道のりはまだまだ長い。それは、人々が家の中でどこでもインターネットが使えるということだけではない。

 

ーーロシアの音楽家のプロ契約解除について

物事を別々に検討し、実際の事実と実際の相互関係を評価すべき微妙な問題だ。私はゲルギエフとプーチンの関係も知らないし、ネトレプコとプーチンの関係も、親しいのかそうでないのか、友人なのかそうでないのかも知らない。自分がよく知らないことは判断できないが、新聞で読んだり、ラジオで聞いたり、テレビで見たりした。新聞を読んで、起こってはならない重大なことについて意見を述べる責任がある。何が正しいか正しくないかを言うためには、メディアが発信している情報よりもう少し多くの情報を持っている必要がある。

 

classicfm.bg

 

 


 

 

 

≪ ルセ歌劇場で受けた素晴らしい人間としてのレッスンーーどのような状況下でも人は創造することができる ≫

 

彼は非常に熟練したミュージシャンであり、自分の才能に忠実で、妥協することなく懸命に働くことをいとわなければ、どのようなことも可能であることを実際に示している。スカラ座、コベントガーデン、ウィーンなど世界の舞台での成功に甘んじることはなかった。テノールとして、作曲家、指揮者として…。今回、彼はルセでヴェルディのオペラ「エルナー二」のブルガリア初演の3公演を指揮する。ルセでの3月音楽祭で大成功をおさめ、今夜ソフィアで、そして3月25日にルーマニアのブカレストで上演される。

クーラはルセでのドレスリハーサルの開始前に、特別にインタビューに答えた。リハーサルがどのように行われるのか、初日にむけて何が残されているのかまだわからないが、彼は1つのことを確信しているーー「聴衆に”エネルギーのブースター”を与えることができるだろう」。

 

 

Q、あなたに関して情報を調べると、「三大テノールに続く4番目のテノール」、「世界で最も傲慢なテノール」、さらには「世界で最もセクシーなテノール」などといわれていたが、あなたは自分をどう定義する?

A(クーラ)、あなたは初めて私に会ったが、私をどのように認識する?

 

Q、あなたはすぐに相互の距離を縮め、氷を壊したいと思っている人だと思う。表現力豊かで、反応が早い。

A、「第4のテノール」や他の同様の定義は、一般のメディアの決まり文句。しかし90年代にはインターネットがなかったので、レコード会社のPR担当者にとってはそのような決まり文句が重要だった。25年前は今よりもメッセージを送るのがはるかに困難だった。そのような決まり文句を克服するのに私は何年もかかった。「第4のテノール」と言われるのは誇らしいことだと自分自身に言い聞かせたが、しかし他の3人が私の父の年齢と同じだとしたら、何の意味があるのだろう?

 

Q、1997年には「新しいオテロがうまれた」と書かれた?

A、そう、しかし彼らは「新しいオテロを見つけた」とは書かず、「生まれた」と書いた。それは全くの嘘だ。誰かが生まれた時、私たちは彼が成長するのを待ち、どうなるか見なければならない。私はオテロに生まれたが、その役柄を成熟させるのには少なくとも15年かかった。その点は真実だ。

 

Q、あなたは歌い、同時に指揮し、また管弦楽曲をつくり、歌うが、とても驚くべきことだ。そのような共存関係は何から導かれている?

A、それは違う。時系列でみると、私のキャリアはアルゼンチンの大学の音楽院での作曲家・指揮者として始まった。私がプロとして歌い始めたのはずっと後のことで、作曲家として生計をたてることが非常に困難だったためだ。そして今日でも、作曲した作品だけで生きていくことは非常に困難だ。作品を演奏したり、教師になったり、歌ったりする必要がある。200年前は可能だったが、しかし現代では、すべての作曲家がそうではないが、作曲とともに他に何かをやっている。

80年代と90年代において、アルゼンチンで作曲家や指揮者になることは非常に難しかった。軍事政権の後、経済、国が回復する途上で、私は若く、仕事がなかった。それで歌い始めて、ある日、自分が有名になっていたことに気が付いた。運命のいたずらであり、それに逆らうことができただろうか?

その後の25年間、私の歌手としてのキャリアは非常に重要で多忙だったために、指揮と作曲は、後景に押しやられた。私は常にそれらを維持し続けてきたが、しかし指揮に専念することはできなかったし、作曲は不可能になった。例えば5分時間があるから作曲しよう…というのは、モーツァルトだけができることで、普通の人間にはできない。私たちには時間が必要だ。

パンデミックは状況を大きく変えた。私は他の人々と同じように、ほぼ2年間、毎日24時間、家にいた。それで作曲に戻った。ギター協奏曲、テ・デウム、交響曲の組曲を書き、今年2022年5月にブダペストで初演されるレクイエムを完成させた。不満は言えない。もちろんコロナ禍は大惨事であり、多くの人が愛する人を失った。私は幸いにして家族の誰も失わなかったが、友人を失った。コロナ禍で、私は、優先順位を再編成することにした。

週に3回のコンサートを行い、1か月に5か所のホテルを移動する…こんな騒がしすぎる生活を送ってきた人間にとっては、すべてが止まった。突然、走り回ることのない自分自身を見つけた。そしてともに過ごし、周りを見渡し、いる場所の美しさに気づいた。もちろん、私はもう60歳間近で、この現実に40年近くいるので、こう言うことができる。トップに立ち、プロフェッショナルのトップパフォーマーでありたいという私のニーズは、長く満たされてきた。

 

Q、ルセでは、あなたは本当に歌劇場のチームにエネルギーを与え、彼らは非常に感謝している。ブルガリアのアーティストのチームは?

A、そう、私はソフィアとプロブディフで働いたことがある。

私はプロフェッショナルであり、この職業で生計を立てている。これが私の仕事だ。私は、請求書や子どもの学費の支払いのため、または子どもたちが孫を連れてくるにを助けるために生計を立てている。これが私たちの仕事であり、私たちはそれを忘れてはならない。なぜなら、人々は、文化について、楽しい仕事だとか、なんてロマンティックだ、と言う…。そう、それは正しい、しかし仕事だ。真面目な仕事であり、難しく、非常に緊張が強いられる仕事。ギターを手にパブで歌うのではない。これは産業だ。ショービジネスは産業であり、巨大で重要な産業だ。世界中の何百万人もの人々がこの業界に依存しているーー映画で、そして劇場、合唱団、オーケストラとオペラで。私たちはそれを忘れてはならない。

人々が文化とショービジネスを混同することを、私は非常に懸念している。これら2つは異なるものだ。ショービジネスは、文化が製品である産業だ。ショービジネスがなければ、例えば今回のオペラ「エルナー二」のような重要な仕事はなかっただろうから、これは良いことだ。「エルナー二」で300人を雇用している。ショービジネスがなければ、これは全く不可能だった。もちろん、ショービジネスがなくても、文化、芸術、音楽、その他すべてが存在し続けている。しかし運命論に陥ってはならない。経済的危機で、文化は苦しんでいる……いや、ショービジネスが苦しみ、文化も苦しむ。それは世界の文化の多くに起こったこと。ショービジネスは世界中の何百万もの人々が文化からお金を稼ぐようにする。

私たちには使命がある。私たちはプロフェッショナルだが、私たちの使命は、この業界の文化的製品である作品を人々に伝え、積極性をもたらし、基準を構築し、良いものを創造することだ。素晴らしい芸術と同じように。偉大なカラヴァッジョの絵を見れば、視覚的基準を育てることができる。そして、それほど良くないか、全く良くない何かを見た時に、あなたの頭の中で、偉大なものと偽物を区別する。これはアーティストとしての私たちの人生において、非常に重要な使命だ。人々が素晴らしい芸術作品に到達するのを助けるために、日々、コミュニケーションをとる特権を持っている。人間の基準が、崇高なものと無駄を区別できるように。

ルセで苦しんでいる素晴らしいチームと出会った。劇場は破壊されたが、彼らは素晴らしい。リハーサルはとても大変だった。しかし一方で、それは私にとって、素晴らしい人間的なレッスンだった。彼らが教えてくれたのは、どのような状況においても、創造することができるということだ。

 

Q、今住んでいるのは?

A、マドリード

Q、一番好きな場所は?

A、マドリードの家。マドリードだからではなくて自分の家だから。

Q、世界中で一番好きな場所は?

A、幸運にも、オーストラリアの珊瑚礁からシベリアまで見たことがあるが、ひとつを選ぶのは難しい。しかし私は、大都市の賑やかな雑踏よりも、自然の素晴らしい美しさの方が明らかに好きだ。何回問われても、ニューヨークやロンドンよりも、グレートバリアリーフやサンフランシスコ湾の方を選ぶ。フランスの田舎の牧歌的な風景が好きだが、パリは2日で無理だ。たぶん子どもの頃、アルゼンチンの田舎で、馬に乗ったりして育ったので、自然の無限の広がりを現在も愛している。

Q、もし一瞬で家をどこかに移動できるとしたら?

A、たぶんパタゴニア。世界で最も素晴らしい場所の1つだから。

 

Q、ウクライナの戦争についてどう思う?

A、ひどい時代錯誤だ。21世紀において、人々が互いに殺し合うことなどあってはならない。そう、ロシアが侵略者だ。しかし、両方の側で人々が死につつある。そしてもう一つ、情報過多の時代に、誤った情報が多すぎるということも逆説的だ。明らかなのは、戦争は時代錯誤であり、人々の殺害を止めなければならないということだ。交渉がどのように可能かはわからないが、止めなければならない。

 

(「utroruse.com」)

 

 


 

 

●クーラのFBより リハーサルの様子について

 

 

「友人のイワン・キルクチエフが私に『エルナーニ』を指揮するよう私に誘ったとき、彼は、”ホセ、私の芸術チームの気分を高めるのを助けるために一緒に働いてほしい”と言った。実際、洪水や火事の後、劇場は大規模な再建の準備が整い、最終的に劇場を取り戻すことができるまで、全員が心ひとつに必死に耐えて働いている。暖房のない中でのリハーサルも、(外はマイナス気温だが)目標達成の妨げにはならない。「ジャケットと手袋をし、スカーフを巻いて、さあ、出発だ」というのが、暗黙の了解のようだ。誰も文句を言わない。この勇気と謙虚さを教えてくれたルセ歌劇場に感謝する。悲惨なウクライナにとても近く、それでも音楽をあきらめないことは、コミットメントの1つの大きな例であり、心を癒してくれるものだ。」

 

 

●テレビのインタビュー動画

クーラがインタビューに応える動画(英語だがブルガリア語通訳が重なります)やリハーサルの様子などが収録されています。

 

 

 


 

 

いつもリハーサルの時は半袖Tシャツ1枚のことが多いクーラですが、FBに投稿していたように、劇場が再建中で暖房もない中、さすがのクーラも厚手のパーカーのようなものを着ていました。非常に困難ななかで、リハーサルを乗り越え、公演は大きく成功したようです。本当に良かったです。

今回は、ロシアによるウクライナ侵略の最中で、ウクライナに近い国での公演でした。インタビューでもこの問題について問われ、クーラは「戦争は時代錯誤であり、人々の殺害を止めなければならない」と断言していました。

母国のアルゼンチンで軍事政権のもとでのフォークランド紛争(マルビナス戦争)を体験し、もう少し長引けば派兵させられるところだったクーラ。常に平和と社会的公正を求めて発言してきましたので、今回のような意思表明は当然だと思います。

「理想の世界への道のりはまだまだ長い」と言いつつ、しかし「理想の世界」、戦争の時代と決別した真の「現代」を目指すべきであり、それが自然の教訓であり、そうでなければならない、と断言しているのは、やはり理想主義者であり、熱い心のクーラらしい発言です。

ロシアのアーティストの契約解除については、個々の関係を見て判断すべきであり、また責任をもって発言するためには表面的な報道にとどまらない情報が不可欠だと、穏当な指摘をしています。この問題については音楽業界でも様々な見解・態度があり、個々の是非は別としても、アーティストの生き方、芸術と政治権力との関係、距離、権力と商業主義……いろいろ考えさせられます。戦争と言論弾圧、民主主義破壊は常に一体のものでもあります。侵略を止めさせ、一日も早く戦争が終わることを願わずにいられません。

 

 

*写真は劇場FBや報道などからお借りしました。

 

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(告知編)2022年 ホセ・クーラ作曲レクイエム ハンガリーで世界初演

2022-03-09 | クーラ作曲「レクイエム」

 

 

 

ホセ・クーラは2022年5月、ハンガリーの首都ブダペストで、自ら作曲した「レクイエム」の世界初演を行う予定です。

クーラはハンガリー放送芸術協会のゲストアーティストとして招聘されていて、今回は2021年/22年シーズンでクーラが出演する3公演の最後のプログラムです。(今シーズン1回目はオペラ「道化師」コンサート形式上演、2回目は指揮=未紹介)

 

 

 

●2021/22シーズンプログラムのパンフレットより

 

CLASSICAL MUSIC, OPERA, THEATRE

José Cura: Requiem

  • 9 May 2022, Monday
  • 7:30 pm — 10 pm
  • Béla Bartók National Concert Hall

Conductor: José Cura
soprano: Szilvia Rálik
alto: Bernadett Fodor
tenor: Dániel Pataky
bass: Marcell Bakonyi
Hungarian National Choir (choirmaster: Csaba Somos)
Hungarian Radio Choir (choirmaster: Zoltán Pad)
Hungarian Radio Symphony Orchestra

 

 

このクーラの「レクイエム」は、下記で紹介している短いインタビューでも書かれていますが、クーラが1984年に作曲した作品をもとにしています。

クーラが生まれ育ったアルゼンチンは、70年代後半から80年代初めにかけて、クーデターによる軍事独裁政権の支配下にありました。クーラが国立ロサリオ芸術大学に在学中の1982年(3月~6月)、軍事政権はイギリスとのフォークランド諸島をめぐる戦争(フォークランド紛争またはマルビナス戦争と呼ばれる)を開始します。当時、徴兵制が敷かれていたため、クーラも予備役に招集されていたそうですが、幸いにして派兵前に戦争が終わったために戦場に行くことはありませんでした。しかし友人やまわりの人々は派兵され、アルゼンチン、イギリスともに多くの犠牲者が出ました。

クーラがこの戦争の犠牲者を追悼するために書いたのが、今回初演されるレクイエムです。これまでも何回か、これに言及したクーラのインタビューを紹介していますが、大学で作曲と指揮を専攻して、作曲家・指揮者をめざして学んでいたものの、軍政が倒れた後も経済的混乱が深刻で音楽家として生きていく条件がなく、やむなく91年にイタリアに渡ります。お金がなく、ガレージに住んだり、皿洗いやストリートミュージシャンなど様々な仕事をしながら、ようやくテノールとしてその声を認められ、世界的なキャリアを歩みだしました。

そういう状況のため、作曲活動にさける時間がとれないままに長い年月が過ぎたそうですが、近年、ようやく作曲や指揮の活動に力点をおいていくことができるようになってきました。

今年は、フォークランドをめぐる戦争から、ちょうど40年という節目の年です。これまでもクーラはこのレクイエムを、当事国のイギリスとアルゼンチンの両方の合唱団によって上演することを願って働きかけをしてきたようですが、やはり様々な事情から実現には至らなかったようです。そして今年、念願の世界初演を迎える予定です。

折しも、長く続くパンデミック、そしてロシアによるウクライナへの侵略、核使用の危機…、世界的に命と平和が脅かされるきわめて深刻な状況です。平和への祈りと命を悼むクーラの思いが込められたレクイエム、無事に初演が成功することを祈っています。

 

 

 

●2月始めに公表された告知用インタビューより

 

≪ レクイエムの初演が終わったら、満足して、引退してもいいと思うだろう ≫

 

2022年5月、世界的に有名なアルゼンチンのテノール歌手、指揮者、作曲家であるホセ・クーラがフォークランド戦争の犠牲者を追悼して1984年に作曲したレクイエムが、ハンガリーで演奏される予定だ。クーラは、この作品を発表することで、自分のプロとしてのキャリアが完成すると感じている。

このレクイエムは、もともとホセ・クーラが1984年に作曲した作品。今年5月にハンガリーで、作曲者であるクーラ自身が指揮するハンガリー放送交響楽団によって演奏される予定だ。レクイエムは、1982年にアルゼンチンとイギリスの間で起こったフォークランド諸島をめぐる戦争の犠牲者を追悼するもの。

クーラは、「5月の初演を終えられたら、私は、歌手、指揮者、作曲家としての自分の役割を完全に果たしたという気持ちになれるだろう。もし、次の日に引退しなければならなかったとしても、やりたいことをやったのだから幸せだ。それほど、5月の初演は私にとって非常に重要だ」と語った。そして、「自分にとってそれは、キャリアの集大成になるだろう」と付け加えた。

アルゼンチン出身のオペラ歌手、作曲家、指揮者であるホセ・クーラは、ハンガリー放送芸術協会の初の常任ゲスト・アーティストであり、ハンガリーの聴衆の前に姿を現すのは初めてではなく、ハンガリーの音楽家と幾度となく共演してきた。

彼はまた、2月8日の夜にリスト音楽院でコンサートを行い、ハンガリー放送交響楽団・合唱団の指揮者として、レスピーギとプッチーニの作品を指揮する。

彼はこれまでに、ハンガリー人と仕事をするのは、燃えるように激しく、危険だと語ったことがある。

 

(「papageno.hu」)

 

 

 

 

●2021年9月のルーマニアでのインタビューより抜粋

 

≪ 和解と平和のシンボルとしてレクイエムを ≫

 

Q、1980年代にあなたが作曲した「レクイエム」について

A、レクイエムは1985年(1984年?)に書いたものだ。私たちの世代(1962年から1963年生まれ)は、アルゼンチンとイギリスの間で起こった愚かで無駄な戦争(注*フォークランド紛争やマルビナス戦争と呼ばれる)を戦った世代だということを知っておいてほしい。私には戦争で戦った多くの友人がいるが、私は幸運にも招集されず、予備役にいただけだった。だから私は、両陣営で失われたすべての命に敬意を表してこのレクイエムを書いた。

20世紀から21世紀にかけて、いまだに戦争が行われているのはとても愚かなことだ。戦争には勝者と敗者がいるのではない。実際には、敗者、損失しかない。

この作品は、アルゼンチンとイギリスの2国間の和解と平和のシンボルとして、少なくとも1度はアルゼンチンとイギリスの合唱団によって演奏されるという夢をもって、2つの合唱団のために書いた。初演はアルゼンチンかイギリスでと考えていたが、政治的な問題もあって、作曲から36年後の今日まで実現しなかった。

この作品は、2022年にブダペストで、ハンガリー放送管弦楽団と合唱団との共演で、ついに完全な形で初演されることになった。いつそれが可能かわからなかったので、ここ数年は、他のコンサートでレクイエムの一部を紹介してきた。このキリエ(別々に歌うときはModusと呼ぶ)だけでなく、ディエス・イレやラクリモサの一部も、私のコミックオペラ『モンテズマと赤毛の司祭』に組み込んでいる。いつの日か、ブカレストのエネスク・フェスティバルで、このレクイエムを完全な形で演奏できるのを願っている。

 

festivalenescu.ro

 

 

 

 

*画像はハンガリー放送芸術協会のサイトや報道などからお借りしました。

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ホセ・クーラのクリスマス in ウィーン(2007, 2009年)

2021-12-18 | コンサート ③

 

 

 

毎年12月にウィーンでは、コンツェルトハウスの大ホールで ”CHRISTMAS IN VIENNA” のコンサートが開催されてきました。例年、スター歌手が出演し、ウィーン少年合唱団やウィーン・アカデミー合唱団と共演する豪華なイベントです。

しかし大変残念なことにコロナ禍のため、2020年に続き今年2021年の開催もキャンセルとなってしまいました。

今回は、これまでホセ・クーラが出演した2007年と2009年の2回のコンサートから、いくつかの動画をご紹介したいと思います。

珍しくクーラがドイツ語で歌っているものもあります。

 

 

 

 

2007 – Elīna Garanča, José Cura, Eteri Lamoris, Paul Edelmann

2009 – José Cura, Bernarda Fink, Tamar Iveri, Boaz Daniel

 

ーー歌手と聴衆にとっての ”CHRISTMAS IN VIENNA”の重要性は、ホセ・クーラの言葉でよく示されている。

  "一生に一度はウィーンでクリスマスを歌わなければならない" (ホセ・クーラ)

 

 

 

 

 

 

●2007年 モーツァルト「ベネディクトゥス」 "Benedictus" Mozart

 

 

●2009年 クリスマスのうた Lieser rieselt der Schnee & Frohliche Weihnacht

 

 

●2007年 ビゼー「アニュス・デイ」

 

 

 

 

 

●2009年  アルバート・ヘイ・マロッテ「主の祈り」

Jose Cura "The Lord's Prayer" (Albert Hay Malotte)  Christmas in Vienna 2009

 

 

●2009年 「アウローラ」から「旗の歌」 

 

 

●2007年の公演 全体の動画

Chrismas in Vienna 2007HD

 

 

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