ホセ・クーラは2022年5月、ハンガリーの首都ブダペストで、自ら作曲した「レクイエム」の世界初演を行う予定です。
クーラはハンガリー放送芸術協会のゲストアーティストとして招聘されていて、今回は2021年/22年シーズンでクーラが出演する3公演の最後のプログラムです。(今シーズン1回目はオペラ「道化師」コンサート形式上演、2回目は指揮=未紹介)
●2021/22シーズンプログラムのパンフレットより
José Cura: Requiem
- 9 May 2022, Monday
- 7:30 pm — 10 pm
- Béla Bartók National Concert Hall
Conductor: José Cura
soprano: Szilvia Rálik
alto: Bernadett Fodor
tenor: Dániel Pataky
bass: Marcell Bakonyi
Hungarian National Choir (choirmaster: Csaba Somos)
Hungarian Radio Choir (choirmaster: Zoltán Pad)
Hungarian Radio Symphony Orchestra
このクーラの「レクイエム」は、下記で紹介している短いインタビューでも書かれていますが、クーラが1984年に作曲した作品をもとにしています。
クーラが生まれ育ったアルゼンチンは、70年代後半から80年代初めにかけて、クーデターによる軍事独裁政権の支配下にありました。クーラが国立ロサリオ芸術大学に在学中の1982年(3月~6月)、軍事政権はイギリスとのフォークランド諸島をめぐる戦争(フォークランド紛争またはマルビナス戦争と呼ばれる)を開始します。当時、徴兵制が敷かれていたため、クーラも予備役に招集されていたそうですが、幸いにして派兵前に戦争が終わったために戦場に行くことはありませんでした。しかし友人やまわりの人々は派兵され、アルゼンチン、イギリスともに多くの犠牲者が出ました。
クーラがこの戦争の犠牲者を追悼するために書いたのが、今回初演されるレクイエムです。これまでも何回か、これに言及したクーラのインタビューを紹介していますが、大学で作曲と指揮を専攻して、作曲家・指揮者をめざして学んでいたものの、軍政が倒れた後も経済的混乱が深刻で音楽家として生きていく条件がなく、やむなく91年にイタリアに渡ります。お金がなく、ガレージに住んだり、皿洗いやストリートミュージシャンなど様々な仕事をしながら、ようやくテノールとしてその声を認められ、世界的なキャリアを歩みだしました。
そういう状況のため、作曲活動にさける時間がとれないままに長い年月が過ぎたそうですが、近年、ようやく作曲や指揮の活動に力点をおいていくことができるようになってきました。
今年は、フォークランドをめぐる戦争から、ちょうど40年という節目の年です。これまでもクーラはこのレクイエムを、当事国のイギリスとアルゼンチンの両方の合唱団によって上演することを願って働きかけをしてきたようですが、やはり様々な事情から実現には至らなかったようです。そして今年、念願の世界初演を迎える予定です。
折しも、長く続くパンデミック、そしてロシアによるウクライナへの侵略、核使用の危機…、世界的に命と平和が脅かされるきわめて深刻な状況です。平和への祈りと命を悼むクーラの思いが込められたレクイエム、無事に初演が成功することを祈っています。
●2月始めに公表された告知用インタビューより
≪ レクイエムの初演が終わったら、満足して、引退してもいいと思うだろう ≫
2022年5月、世界的に有名なアルゼンチンのテノール歌手、指揮者、作曲家であるホセ・クーラがフォークランド戦争の犠牲者を追悼して1984年に作曲したレクイエムが、ハンガリーで演奏される予定だ。クーラは、この作品を発表することで、自分のプロとしてのキャリアが完成すると感じている。
このレクイエムは、もともとホセ・クーラが1984年に作曲した作品。今年5月にハンガリーで、作曲者であるクーラ自身が指揮するハンガリー放送交響楽団によって演奏される予定だ。レクイエムは、1982年にアルゼンチンとイギリスの間で起こったフォークランド諸島をめぐる戦争の犠牲者を追悼するもの。
クーラは、「5月の初演を終えられたら、私は、歌手、指揮者、作曲家としての自分の役割を完全に果たしたという気持ちになれるだろう。もし、次の日に引退しなければならなかったとしても、やりたいことをやったのだから幸せだ。それほど、5月の初演は私にとって非常に重要だ」と語った。そして、「自分にとってそれは、キャリアの集大成になるだろう」と付け加えた。
アルゼンチン出身のオペラ歌手、作曲家、指揮者であるホセ・クーラは、ハンガリー放送芸術協会の初の常任ゲスト・アーティストであり、ハンガリーの聴衆の前に姿を現すのは初めてではなく、ハンガリーの音楽家と幾度となく共演してきた。
彼はまた、2月8日の夜にリスト音楽院でコンサートを行い、ハンガリー放送交響楽団・合唱団の指揮者として、レスピーギとプッチーニの作品を指揮する。
彼はこれまでに、ハンガリー人と仕事をするのは、燃えるように激しく、危険だと語ったことがある。
(「papageno.hu」)
●2021年9月のルーマニアでのインタビューより抜粋
≪ 和解と平和のシンボルとしてレクイエムを ≫
Q、1980年代にあなたが作曲した「レクイエム」について
A、レクイエムは1985年(1984年?)に書いたものだ。私たちの世代(1962年から1963年生まれ)は、アルゼンチンとイギリスの間で起こった愚かで無駄な戦争(注*フォークランド紛争やマルビナス戦争と呼ばれる)を戦った世代だということを知っておいてほしい。私には戦争で戦った多くの友人がいるが、私は幸運にも招集されず、予備役にいただけだった。だから私は、両陣営で失われたすべての命に敬意を表してこのレクイエムを書いた。
20世紀から21世紀にかけて、いまだに戦争が行われているのはとても愚かなことだ。戦争には勝者と敗者がいるのではない。実際には、敗者、損失しかない。
この作品は、アルゼンチンとイギリスの2国間の和解と平和のシンボルとして、少なくとも1度はアルゼンチンとイギリスの合唱団によって演奏されるという夢をもって、2つの合唱団のために書いた。初演はアルゼンチンかイギリスでと考えていたが、政治的な問題もあって、作曲から36年後の今日まで実現しなかった。
この作品は、2022年にブダペストで、ハンガリー放送管弦楽団と合唱団との共演で、ついに完全な形で初演されることになった。いつそれが可能かわからなかったので、ここ数年は、他のコンサートでレクイエムの一部を紹介してきた。このキリエ(別々に歌うときはModusと呼ぶ)だけでなく、ディエス・イレやラクリモサの一部も、私のコミックオペラ『モンテズマと赤毛の司祭』に組み込んでいる。いつの日か、ブカレストのエネスク・フェスティバルで、このレクイエムを完全な形で演奏できるのを願っている。
*画像はハンガリー放送芸術協会のサイトや報道などからお借りしました。