中越地震から3年。陽光台に建つ仮設住宅を訪ねた。すでに一部の仮設は撤去され、現在住宅を建設している人達がこの11月末を期限に、生活を送っており、人の住んでいる気配は希薄なものを感じた。
それに、全村避難指示を解除されたとは言え、山に帰る人は震災前の6割とも言われ、過疎化の歯止めはかかりそうもない。
それでも、鯉、闘牛、農業の復活は日を追うごとに、復活の勢いをましており、壊滅したかと思われた、あの山古志は今復興へと力強く進み出したと思える。
12月からは、雪が降る。 3月の雪解けまでの間、大きな動きは出来ないが、確実に山古志は、新しい歴史を創る状況に入ったようだ。
写真 陽光台仮設住宅 青木さん 「明日 山に帰ります」。
それに、全村避難指示を解除されたとは言え、山に帰る人は震災前の6割とも言われ、過疎化の歯止めはかかりそうもない。
それでも、鯉、闘牛、農業の復活は日を追うごとに、復活の勢いをましており、壊滅したかと思われた、あの山古志は今復興へと力強く進み出したと思える。
12月からは、雪が降る。 3月の雪解けまでの間、大きな動きは出来ないが、確実に山古志は、新しい歴史を創る状況に入ったようだ。
写真 陽光台仮設住宅 青木さん 「明日 山に帰ります」。
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