今日の空。
夕刻の空から。神々しい光に満ちて日没です。
今日も雨がざーっと強く降ったり、晴れたりの忙しく落ち着かない空でした。
今も強風が吹いて、かなり寒い。
昨日、書こうと思っていたことに到達しなかったばかりか、クラスメイトとの
話も中途半端になってしまったので、今夜は続きを。
私のことを嫌って、私が生徒会で決まったことをクラスで伝達して、取り組んで
もらおうとすると、大きな声で、「なんでそんなことしなくちゃならないの?
バカみたいっ」と言い放って、邪魔をして来るようなことをしていたAさん。
そんな決まりごとは守らないといった行動はしながら、先生たちには親しく
近寄って内申書の評価を上げようといった努力は怠らなかったAさん。
私は内申書を気にした行動を考えることは全くなかったし、先生方にも評価を
上げてもらおうといった近寄り方なんて、とてもできない性格。正義感が
とても強くて、不正を感じるようなことはしたくない人間でした。
あまりにも考え方が違うので、大学進学したあと、アパートの部屋が隣りどうしに
なったとしても、私とは付き合いたくないだろうなあと、そっとしておいた
わけですが、Aさんのお母さま経由で友達になって欲しいとの依頼ありきで、
交友がはじまったものの、相変わらず、Aさんと私は考え方が違い
過ぎて、ため息が出るようなことばかり。
考え方の違いは行動を彼女に合わせる必要はないと思っていたので、
彼女に何も言う必要はなかったのですが、Aさんはご自分のお母さまに
私の素行が悪いといったことを告げ口して、お母さまが私の母と一緒のときに、
みなさんの前で口にするので、母が迷惑を蒙っているということが悩みの
種でした。
私の素行が悪いなんて、どの口が言っているのやら。ため息しか出ず。
母は私に対しては大変、あたりがきつくて、親子関係は良好とは言えない
ものの、東京に進学した娘に関しては、人さまがおっしゃることよりも、
私がそんなことをするはずはないと信用してくれました。
その姿勢は意外でしたが、本当にありがたくて、感謝の思いでした。
まあ、勉強はしなくても、素行だけはまじめで常にクラス委員をつとめ、
学校と家との往復で遊びに行くこともなく、母が不在時には家のことも
きちんとやっていた私は、学校でも裏表なく、クラス全員が放置した
掃除をひとりでやっているような人間でしたから、東京に出ただけで、
そこまで変わることはないと思ってくれた様子でした。
「素行が悪い」とはどの程度のことを言うのか、まじめだけが取り柄だった
私には理解できませんでしたが、Aさんは煙草を吸い、お酒を飲み、男性
との関係も躊躇がなく、大学1年時には堕胎までしていていました。
男性とお付き合いしたこともなければ、恋愛感情も持ったことがなかった私が
彼女に「素行が悪い」と言われる要因はないだろうと思いつつ、私は母に、
Aさんの素行についてを耳に入れるのも違う気がして、Aさんの
男性関係の派手さについては、何も口にしないでいたのです。
私の方はAさんについて母に何も言っていないのに、私のことはうそを
でっちあげて言うAさんに、やはり、高校時代からの考え方は変わら
ないんだなと苦い思いをしつつ、彼女との付き合いは続けていました。
といっても、私の方は楽しい学生生活をしていたので、さほど苦痛では
なく、距離感を保ちつつ、交友を続けたといったところです。
とはいえ、彼女の方は私のプライベートに踏み込んで来たがり、大学の
夏休みにはお互いに地元に帰ってから「家(実家)に遊びに行きたい」と
言うので、どこかで嫌な気持ちはしたのですが、断るのも
断り切れず、家に招いたものの、やはり、Aさんのお母さまにうその
告げ口をしたAさん。それは、Aさんのバッグから煙草の吸殻が出て
来たのをAさんのお母様が見つけて、「これは何?どういうこと?」と
問い質されたとき、自分が吸っているとは言えないAさん。
何しろ、そんなことは全くしていないという体でお母さまには
言っているわけですから、その煙草の吸殻は私の父が「処分しておけと、
押し付けて来た」と、またまた、うそをついたらしく。
それは父が気の毒過ぎる。いくら毒親に近い行動を私に対してはやって
いた父でも、そんな風紀的にどうかと思うようなことを他人さまの大事な
娘さんにするはずはない。うそをつくにしても、やはり、Aさんは自分さえ
よければ、関係ない人間を傷つけても問題ないと考えることが私には驚異。
今は女性でも煙草を吸う方は多くいらっしゃると思いますが、私たちの
時代は煙草は厳禁。特に女性が吸うなんて不良と思われていて、私は
自分で吸うなんて考えたこともなく。
ただ、Aさんが吸いたいなら、それを否定するつもりはありませんでした。
大学の友達も煙草を吸う人はいましたので、特にどうこうとは思いませんが、
吸いたいなら、お母さまにもうそをつく必要はないのではないかと。
特に濡れ衣を人にきせて平気という姿勢が私には理解できなかったのでした。
東京にせっかく上京させてもらい、高い授業料も払ってもらっているのに、
世間的な常識を身に付けて、親にうそをつくといったことはやめた方が
いいのに。なんだかなあ。私やうちのことを貶めて何がしたのやら。
そういった私にとっては迷惑行為をするAさんと距離を取りたかった私は、
3年生に進級するときに大家さんの都合で、住民全員がアパートを出ないと
いけなくなったということに関してうれしくなって、そそくさと物件を
見つけて、引っ越し業者を手配。
「わあ。ここまできれいに梱包をしているお客さんはなかなかいないですよ」
なんて、業者さんに感心されつつ、とっとと引っ越した、という経緯だった
のです。梱包が上手なのは、父が転勤族だったので、何度も引っ越しを経験
していたという「慣れ」ですね。
Aさんがどこに引っ越したのかは知りませんでしたが、私は大学の通学に
便利のいい沿線に住みましたので、おそらく、大学の場所が違うAさんと
近くなることはないだろうと、安心していました。
ただ、母は早速、Aさんのお母さまから「お宅のお嬢さんは自分で物件を
見つけて引っ越し業者も手配して・・なんとまあ」と、皮肉を言われたそうです。
そういったことは親が上京して決めてあげるのが親の役目だとおっしゃった
ようですが、母はそういうことができる娘であることに問題を感じて
いなかったのでスルーしたようでした。
Aさんたち姉妹はお母さまが上京されて決めるとのことで、引っ越し先は決ま
っておらず、私が先に引っ越ししていたのでした。
母が4年間の大学生活で来てくれたのは入学時(入学式にはいませんでしたが)
と卒業式の2回だけ。父は一度も来たことがなかった。
「自分のことは自分で」を家訓?にしていた父ですから、自立してひとり
暮らしをはじめた娘に親が手出しをするといったことは必要がないと
思っていたようでした。私も親に何かを相談するといったことを思いつきも
せず、ひとりで問題なく解決していましたので。20歳になっていましたし、
物件探して決めて契約して、業者を手配なんて、あたりまえのことかなと。
当時、ありがたかったのは、電話敷設料金が高かったので私の部屋に電話が
なかったこと。
そのおかげで、部屋がとなりではなくなったら連絡の取りようがない。
ほっとしていたのですが、またまた、Aさん母が暗躍(笑)
Aさんに「電話をして会ってやって欲しい」とのことを母経由で伝えられました。
やれやれ。やっと、距離を十分に開けられたのになあと、残念に思い
ましたが、またまた、母からのお願いであることから、母の顔を立てて、
Aさんに連絡。ただ、隣りにいたときのようにはお付き合いはする必要が
なくなったのはたしかでしたから、「とりあえず」の復活。
Aさんは行動的で魅力のある人でしたから、嫌いというわけではありません。
ただ、ただ、お母さまにうそを告げ口して、お母さまが私の母のいる
たくさんの方の前で、私のことを中傷されるのが娘としては母に申し訳なく、
納得できないことだったのです。
私はまじめなだけが取り柄の平凡な人間ですから、常にまじめである
ことをバカにされたり、見下されることが多く、その後の人生でも同様な
いじめに近いことはされ続けたので、どうも、私のことが心底、嫌いという
方が世の中にはたくさんいらっしゃることは自覚しています。
それでも、どうして、そういった人間と付き合いたいという意志を示す
のかがいまだによくわからない点です。
Aさんもそういったうそをお母さまに吹聴するくらいに私のことを貶めたいと
思うのなら、わざわざ交友する必要はないはずでは?と。
なんというのか、おもちゃとしていたぶるのがおもしろいとか?
私には共感できない心模様です。
とりあえず、そういったミニバトルの繰り返しがあったとしても、当時の
私は大学の親しい友達とは全くゆるぎない関係を築き上げていましたので、
落ち込む必要はありませんでしたが、高校時代は結構にへこみました。
やはり、自分のことを認めてくれる人がそばにいることは、人に力を
与えるものだと思います。大学時代、私のアパートに遊びに来てくれた
同級生や先輩たちは述べ40人くらいいました。
その後、大学を卒業してからもAさんとの付き合いは続きましたが、ある日
とうとう、母が音を上げました。
「(私)子さんがそんなことをしていないと私は信じているのよ。でもね。
Aさんのお母さんがみなさんの前であなたのことを中傷するのがもう
耐えられないの。申し訳ないけれど、Aさんとのお付き合いは止めて
もらえないかしら?」
滅多なことでは、人のことを悪く言うことなどなくて、どなたとでも
仲よくお付き合いをしていた母でしたから、こんなことを言うのは、
よほどの思いだったのでしょう。私は母のためにAさんとお付き合いを
していましたから、「はい。喜んで。あなたのために」お付き合いは
「やめさせていただきます」となったのでした。
具体的にはちょうど契約更新があり、理由があって引っ越しする
タイミングだったので、引っ越して電話番号も変えたという、何度目かの
フェードアウト←さすがに不便なので、当時はもう、高いお金を払って
電話は引いていました←当時は初任給分くらいかかったのです。
その後、やはり、Aさんのお母さまから私の行方?を母は聞かれたものの、
うまく言い訳をして回避。そのため、また、苦情を言われたらしいのですが、
母は徹底してスルーさせていただいたようです。
誤魔化すといったことは私も母も性分としては好きではないのですが、
いたしかたなしといったことは人生にはつきものかなと思う次第。
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