まぁいいんじゃない?

3男1女。予定外もあれば予想外も多発!!まぁそれもいいんじゃないかな?って日々(笑)

ヨンチャンが産まれて号泣した日のこと

2016-06-10 09:17:14 | ヨンチャンのこと(ダウン症のこと)
子供が産まれて2回O-sugiは号泣した。
嘘でも、偽りでも、私は笑っている人間を選んで1日を過ごす。
それに対して様々な意見はあるだろう。
でも、それは人それぞれで、O-sugiはそうだというだけである。

でも、時には一人抱えきれず涙があふれ、鏡で泣いた後が分からないかチェックする日もある。

もっともっと苦しい時には誰の目も気にせず涙が流れ声にならない時がある。

ヨンチャンが弱々しく胸を吸った時も
ヨンチャンがダウン症かもしれないと先生に言われた時も
ヨンチャンが手を離れて救急車に乗っていった時も
ヨンチャンがお腹の中にも腕の中にもいない夜も

笑う事ができた。

でも、2回だけ、子供を産んで泣いた。
号泣した。

その一回目は
助産院であったことが不幸中の幸いで、ヨンチャンが夜8時頃運ばれ、次の日の13時には先生が自ら付き添って面会に連れて行ってくれた。
産後18時間しかたっていないので、なんと車椅子♿で😅
申し訳ない申し訳ないと謝りつつ押されて行き着いたNICU
その中でもまた一人隔離された部屋で沢山の機器に小さな身体を囲まれたヨンチャンを見てその手を触った時
涙が次から次へと溢れ出て看護師さんが色々話してくれて、私も色々話したのに、何を聞いたのか全く思い出せない。
見ず知らずの場所に、人に、預けたヨンチャンの命が本当につながっていたこと。
たった一晩側にいなかっただけで、私は本当に子供を産んだのか?とさえ疑問を持ってしまう自分への情けなさ。
蓋をしてグルグル巻きに封印したものがドパァー🌊と溢れでてしまった。

そして、2回目は
自分が退院する日
母乳が出過ぎるO-sugiは、何とか乳腺開通をさせよう!!と、いう建て前で普通よりも1日長く入院させてもらった。
その入院期間中に何とか残りの子供達に笑顔でいつも通りの母でいられるように、ご飯をしっかり3食食べ、健康的であるよう。心の回復をしたかった。
結局産前から7日お世話になったのだが、先生に深々とお礼をし、子育て頑張ります💪と、宣言し、パパの運転する車に乗り込み走り出した後。
子供が一人もいない車内。
それに耐えられなかった。

これから、ヨンチャンを産む前と同じ生活に戻ってしまうことが耐えられなかった。
本当だったら赤ちゃんのいる生活で、もう4人に振り回されて(笑)
ってブーブー文句を言っているはずだったのに。
なのに、頭ではわかっているけど、まだヨンチャンのいる生活には慣れてなくて、これから始まる5人暮らしの方が違和感のない自分。
こんなに、母性がなかったのか。
どうして私の赤ちゃんは側にいないのか?
あんな状態のヨンチャンをほっておいて、普通の日々が始まろうとしている。

ゴチャゴチャだった。

ゴチャゴチャ全部を車内で全て涙として流した。パパは言葉少な目にひたすら共にいてくれた。パパだって同じ立場なのにね。本当にありがとう。

そのおかげで自宅の玄関を開ける瞬間😤
私のスイッチは 母 となって今に至る。

泣くことは大切だと思う。
泣いたあとの気だるさ。あれはきっと心の中の悪いものを吐き出したからなのではないだろうか?

責任があればあるほど人の事を考え自分を抑制してしまうだろう。
でも、その人その人に与えられた環境の中で必ず吐き出すものは吐き出さないと心に暗い部分が出来てしまう。

暗いところに堕ちない為に
もう一度やり直すために
そんな先の光の為に誰かに付き添ってもらって流す涙はきっと自分を助けてくれる。

もし、今 誰も自分のことを分かってくれない。そんな風に辛くなってしまっている方がいたら、辛いけど今泣いていい時かな?今こうしてていいときかな?と、辛い自分を奮い立たせてみて。まわりの人をみてみて。そうして、まわりの人をみて、自分が十分に優しく振る舞えている人に辛い心を受け止めてもらって!

何回も何回も笑顔と涙を繰り返して心が静かになりますように。
誰か1人でもこの方法でこれ以上心が苦しくなりませんように。

そうそう🎉
YouTubeでみつけたのだけど、パンパースのCM
これとっても今の私の心を楽にしてくれます。何回みても涙がジワリ(笑)



あーリンクの仕方がわからない!!
パンパース きみにいちばんのこと
で検索してみて🙌

ま、全ては過去ですよ😂

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