4月に北海道の道南エリア、渡島半島の函館、松前、乙部までを旅した。
函館は3度目、松前、江差は2度目の旅。
いずれも、メインは幕末の箱館戦争だった。
そのため、「道南12館(だて)」については、全くノーマーク。
今回、「続日本100名城」の勝山館(かつやまだて 冒頭画像も)と
志苔館(しのりだて)↓に出かけてみて、
その素晴らしさに圧倒され、同時に、
ここがアイヌ民族との戦いの場であったことを知った。
遅まきながら、アイヌと和人との戦いである「コシャマインの戦い」と
道南12館との関わりについて、ざっくりとでも調べ、まとめておきたい。
なお、本記事は、わたしの興味関心に沿った、備忘録であるため、
いわゆる北海道の歴史と言う点は、全く手薄になっていることを
最初にお断りしておく。
興奮は、まず、十三湊(とさみなと)に始まった。
↑勝山館ガイダンス施設のビデオで、
かつての勝山館の主人が十三湊からやってきた安東氏であることを知った。
十三湊は、青森県津軽半島に、かつて栄えていたという港。
2018年9月、津軽半島を旅した折、ちょうど豪雨に見舞われ、
その後、↓虹が出たことを覚えている。
ゆかりの史跡は残っていないらしく、近くの道の駅から十二湖↑を眺め、
名物の「しじみラーメン」を買っただけですませてしまった。
それが十三湊の記憶。
でも、確かに、お宿は「水軍の宿」で、安東水軍の美酒をいただいた!
その十三湊が、ここで出てくる!
永享4(1432)年、十三湊に拠点を置く安東氏、盛季(もりすえ)は、
これを狙う南部氏に破れ、夷嶋(えぞがしま)へと落ちのびた。
時の室町幕府将軍が和睦の仲介を試みるも、
結局のところ、安東氏が十三湊を取り戻すことはできなかった。
こうして安東氏は、夷嶋、今の北海道へと逃れてきたわけだ。
この安東氏は、本姓・安倍。
なんと前九年の役で滅亡した、安倍氏なのだそうだ!
安倍氏!
NHK大河ドラマ「炎立つ」以来、高橋克彦の原作はもとより、
当時の市川染五郎丈(現松本幸四郎丈)の「アテルイ」に
すっかり夢中となって・・・
岩手県や宮城県で、ゆかりの地を探し歩いたものだ。
田んぼの真ん中に館の跡を探して、小躍りしたのも懐かしい記憶。
ちなみに、去年、凶弾に倒れた安倍晋三氏は
この安倍氏の末裔にあたるそうな。
ともかく、十三湊を追われた安東氏が
奥州の安倍氏につながるとあっては、
俄然、興味がわくというもので・・・
さっそく、図書館から、わたしが絶大な信頼を寄せる、
山川の県史シリーズ『北海道の歴史』を借りてきた次第。
アテルイや奥州安倍氏を語り始めたら
とまらないので、本日は、この辺で。
本記事は、道南14館へのプロローグと言うことで、
お許しを。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
安東氏について調べているうちに、脱線してしまいました。
次回より、本テーマの「道南12館」とアイヌ、和人との関わりを
まとめてまいります。
参考:
田端宏他著『北海道の歴史』(「県史1」)山川出版社
画像:
高橋克彦『炎立つ』(講談社文庫)の書影はアマゾンからお借りしました。
十三湊など津軽の画像は、2018年9月に撮影しました。
勝山館(かつやまだて)は、本年4月に撮影しています。