澤知世
室蘭栄高等学校、北星学園大学卒業。
京都府在住、26歳。
2010年7月、結婚。
2011年2月、緊急入院後、がんであると告知される。
2011年3月、本来なら手術前にしない、抗がん剤治療を開始。
2011年6月、子宮とその周りを全てとる手術をする。
2011年11月、その後のリハビリや、抗がん剤治療がすべて終了。
現在、経過観察中。
「人生はチャレンジだ!」というのを新しい目標に 様々なことに取り組み始めている。
今はラッキーパズルという組み合わせパズルのかたちを 120個すべて完成させることに夢中。
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こんにちは、澤知世です。
年は、今年27歳になります。
旦那の実家で主婦をしつつ、塾で講師をしていた経験を活かして近所のこどもの家庭教師をしています。
今は京都に住んでいますが、 産まれてから大学卒業まで、ずっと北海道で過ごしました。
なかでも長い時間を過ごした室蘭は、私にとって大切なふるさとです。
そんな私が今なぜ京都にいるかというと大好きな人と、ずっと一緒にいたいと思ったからです。
大学時代に、大好きな人とおつきあいをさせていただいて卒業と同時に、彼の実家がある関西に移り住みました。
そしてお互いに社会人として働き2年前の2010年7月に、結婚をしました。
今まで一人分だけ作っていた料理が二人分になって、洗濯物も倍になって、 慣れない家事にあたふたしながらも、楽しい新婚生活を過ごしました。
そして、2011年の2月、結婚して8ヶ月経ったときことです。
二人の生活も板について、そろそろ将来にむけて考え始めようかというときに、まさかの緊急入院をすることになりました。
診察室から担架で病室のベッドの上まで運ばれそのまま、 家に帰ることができず、何も知らされないまま、 検査のための入院が続きました。
そして1週間後、ついにがんだということを知らされました。
場所はこどもを産むための場所、子宮でした。
お医者さんの話を聞くと、 腫瘍はすでに子宮のかたちを変えるほどに成長しており、 大きさは、6センチ。
これは、子宮を残すには難しい大きさでした。
この大きさでは難しいといわれる手術を可能にするため、そして たとえ数%でも子供を産めるという可能性を求めて、 お医者の絶大なバックアップにもと、 本来はするはずのない、抗ガン剤治療に取り組みました。
そして3ヶ月に及ぶ抗がん剤治療の結果、腫瘍の大きさは、2センチに。
これは、子宮を残すためにはあと一歩というところでした。
やるだけのことはやろうと思い、セカンドオピニオンにも行きましたが、結果はやはり変わらず、子宮とそのまわりを全てとる手術をすることになりました。
こどもを産むという夢に向かって、 最後の最後まで、希望を捨てずにがんばりましたが、結果は出ませんでした。
手術のための入院をする前日の夜、悲しさが急にこみあげてきました。
がんばっても報われなかった自分を認めることができなくて、落ち込みました。
そのとき旦那が言ってくれた
「俺は、こどもよりも最初から知世の命が心配だった」
という一言に救われました。
子宮を残すことはできなかったけど、 腫瘍は小さくなり、私は生きることができた。
その喜びを忘れていました。
「できない」ことに苦しむよりは、 まだまだたくさんある、「できる」ことに向かって、 どんどんチャレンジしていこうと思えるようになりました。
結婚、出産、子育てという、大半の女性のみなさんが通る道からは外れてしまいましたが、私は今、自分なりの新しい道に向かって歩いています。
人前で、自分に起きたこと、感じたことを話すのも、 チャレンジのひとつだと思っています。
私が治療中に感じたことや、どれだけ周りに支えられたかを話すことで、 がん患者を支えていた人、支えてくれている人の力になれるような話がしたいです。
まだまだ踏み慣れていない、ボコボコの道なので、 みなさんと一緒に歩いて行けたら幸いです。