ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

真夜中の騎行

2018-04-17 | アメリカ事情

 ED VEBELL/GETTY IMAGES

 

 

4月18日は、一体どんな歴史的意味を持つのか? 歴史、特に宗教史と合衆国史にはまっている私なので、今日はこの日について書きたい。また銀器と詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの大ファンでもある私なので。

 

1775年4月、ボストンの英国軍が、マサチューセッツのコンコードにアメリカの愛国主義者が備蓄している武器、弾薬、その他を奪取する作戦を展開することが明らかになり、おそらく超法規的な植民地議会のメンバーを逮捕するだろうことも明るみに出た。 問題は、英国軍がボストンからコンコードまでのどのような道筋をとるか、だった。

4月中旬、「自由の息子達」安全委員会のメンバーである銀細工師ポール・リヴィアは、ボストンのオールド・ノース・教会管理人のロバート・ニューマンと、いざと言う時のための簡単な合図システムを用意した: 鐘楼に置かれた角灯の灯される数によって、 英国軍がどのようにコンコードへ向かっているのか示すのだった。 1つの角灯は、英国人がボストンネックを経由して陸地伝いに来ることを意味し;2つの角灯ならば、水路チャールズ川を横断してケンブリッジに到着することを示した。

1775年4月18日の夜、ジョセフ・ウォーレン博士は、リヴィアを呼び出し、その夜、チャールズ川を渡って英国軍隊が移動するのを計画していると告げた。 彼は、リヴィアにレキシントンに赴き、指導者であるサミュエル・アダムスとジョン・ハンコックに、英国軍による2人の逮捕が差し迫っている可能性を警告するように頼んだ。

その会合の後、リヴィアはオールド・ノース教会で2つのランタンを点灯させた。 (トーマス・バーナードが見張りのため尖塔の外に立ち、ロバート・ニューマンと指揮官ジョン・プリングが角灯を鐘楼に運んでいった。)そして、寸時を惜しんで旅装に着替えるのに家に帰った。 「自由の息子達」が合図を見たか確かめる為チャールスタウンへ寄り、それからリヴィアはチャールズ川を渡るために船を漕いだ。次に馬を借りて、有名な 「真夜中の騎行」でレキシントンに向かった。

ウィリアム・ドーズとサミュエル・プレスコットを含む他の愛国主義者達は、他の経路に沿ってこのニュースを広めた。

英国軍の斥候に出会い、捕獲されてしまったリヴィア、ドーズ、プレスコットであったが、プレスコットとドーズは逃亡し、結局うまく逃げおおせたのはプレスコットであった。銃声がしてそれに気を取られた英国軍は、捕らえられていたリヴィアを農地に残した。4月19日朝リヴィアは馬を取られていたので、他の捕虜と共に歩いてレキシントンへ戻ったが、その時にはすでに戦いの火ぶたは切られていた。最初の銃弾を放ったのは、どちら側だったのかは、知られていない。

ポール・リヴィアの(真夜中の)騎行

リヴィアの死後43年経って書かれた1861年のヘンリー・ワズワース・ロングフェローの詩「ポール・リヴィアの騎行」は、リヴィアを偉大な英雄に仕立て上げ、国民の間で神話的存在となった。「聞きなさい、ポール・リヴィアの真夜中の騎行が聞こえるだろう」、に始まるが、そこには歴史的な不正確さが多分に含まれている。 例えば、リヴィアは夜間の騎行を通じて警報を叫ぶことはなく、愛国主義者の逮捕を避けるために、できるだけ静かにニュースを広めたのだ。 秘密の任務であるからには、英国軍の斥候を避けなければならなかった。つまり「イギリス軍が来ているぞ!」(The British are coming!)という有名なセリフは決して叫ばれはしなかった。リヴィア自身の証言によれば、彼は「正規兵がやってくる」(the regulars are coming out)と言ったと言う。

 

Listen, my children, and you shall hear お聞きよ子供達。これは聞いとくべきだよ

Of the midnight ride of Paul Revere, ポール・リビアの真夜中の騎行の話だ

On the eighteenth of April, in Seventy-Five; 時は1775年、4月18日の夜

Hardly a man is now alive 今はもうだれも生きてはいないよ

Who remembers that famous day and year その有名な日と年のことを憶えている人は

On the midnight ride of Paul Revere ポール・リビアの真夜中の騎行

ーHenry Wadsworth Longfellow


戦後リヴィアは、銀細工よりも鉄、銅などの加工に興味を持ち、その分野で活躍したが、彼が作ったリヴァティ・ボウルと呼ばれる銀製品は、今も多くの銀製品会社が製作するが、私は、その一つを持っている。結婚した時に夫の叔母がくれたものだが、私の好きなボウルの一つである。オリジナルのリヴィア製のボウルには、Sons of Liberty(自由の息子達)のメンバー達の名前が刻まれており、現在ボストン美術館に保管されている。

 

Photo credit: Boston Museum of Fine Arts

 


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