上海の中央部、黄浦江西岸を通る中山東一路沿いが、外灘(ワイタン)あるいは英語でバンド。19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区で、当時、建設された西洋式建築がずらりと並ぶさまは壮観です。
なかでも「フェアモント ピース ホテル〜平和飯店」は、上海の歴史を雄弁に語るホテル。20世紀初頭に、上海の経済と不動産を支配したサッスーン家が、上海で最初に建築した高層建築で、当時の直線的なアールヌーボー様式の意匠が、いまも美しく残されています。
ピラミッド型の緑の屋根を持つ建物が旧サッスーンハウスで、通りを挟んだパレスホテルビルもホテルに属する建物。
ロスチャイルド家と、ユダヤと阿片でつながるサッスーン家
サッスーン家は、18世紀にメソポタミア地方で台頭したユダヤ人富豪一族で、トルコ治世下で財務大臣を務める政商となっていました。
1792年にこの一族に生まれたサッスーン財閥初代のデヴィッド・サッスーン(1792年-1864年)は、バグダッドで活動した後、シルクロード交易で富を蓄積した後、1832年に阿片利権を狙ってインドのボンベイに移住しました。
David Sassoon、1792年10月 - 1864年11月7日)
阿片を中国に輸出して銀を吸い上げる麻薬貿易が大発展し、そこにサッスーン家やロンドンのシティが関わり、莫大な利益を獲得していきます。
1840年、清朝は、イギリス船から阿片2万箱を押収し焼却する挙に出ました。 これに激怒したサッスーン家や背後にいたロスチャイルド家の指示で阿片戦争が勃発したといわれています。
1842年、清朝は屈服し、イギリスは香港を植民地とし、上海などを開港させて領事館を置きました。
この阿片戦争で莫大な富を築いたデヴィッドは香港・上海へ本格的に進出します。 彼が亡くなったあと、サッスーン家が主導して1865年に香港上海銀行が設立されました。 今日のHSBC(Hongkong and Shanghai Banking Corporation)です。
デヴィッドの長男で、二代目のアルバート・アブドゥラ・サッスーンは、インドで造船・海運業に乗り出し、同時に本拠をロンドンに移しました。
アルバートは、当時のイギリスの風刺漫画で、「インドのロスチャイルド」と描かれました。
そして、イギリス王室にもロスチャイルド家とともに取り入り、皇太子やレオポルド・ロスチャイルドたちと親しい間柄となり、ナイト(準貴族)の称号を受けました。
イギリス・ユダヤ人協会では、ロスチャイルドとサッスーンがともに副会長の座を占め、サッスーン家とロスチャイルド家は姻戚関係になっていきます。 アルバートの息子で三代目のエドワード・サッスーンの妻は、パリ・ロスチャイルド家のギュスターヴの娘アリーンです。
デヴィッドの次男エリアス・サッスーンは「香港キング」と呼ばれ中国社会に君臨し、東インド会社が商業活動を停止してアジア貿易が公式に解放されたとき、ロスチャイルド・グループとしてこの貿易ルートを受け継いだ中心的存在でした。
3男サッスーン・デヴィド・サッスーンの息子の妻は、ロシア系ユダヤ人の政商エドガー・ブロンフマンやアーマンド・ハマーなどを配下に置く「ロシアのロスチャイルド」と呼ばれる軍つブルグ男爵の娘でした。
5男アーサー・サッスーンは、「阿片王」と呼ばれ、東洋貿易を支配し、香港上海銀行の最大株主として金融業を発展させ、中国の公債発行を引き受け、鉄道路線を張り巡らせていきます。
香港上海銀行は、香港の実質的な中央銀行として銀行券(お札)を発行しました。
1881年、イギリス皇太子も出席して、レオポルド・ロスチャイルドとマリエ・ペルジアとの結婚式が挙げられましたが、マリエの姉と結婚したのがこのアーサーです。
四代目「上海キング」と呼ばれたエリス・ビクター・サッスーン(1881年ー1961年)です。 大東亜戦争前の上海に巨大な財力で盤踞(ばんきょ;根を張って動かない事)し、日本政府や日本軍に恐れられていました。
ジャーディン・マセソン商会
サッスーン家と並んで、インドや香港で、インドや香港で、ユダヤ系のイギリス人ウィリアム・ジャーディンよジェームズ・マセソンの名を冠したジャーディン・マセソン商会も阿片と茶を扱って存在感を示していました。
阿片戦争が終わると、同商会は香港に本社を置き、東インド会社末期の利権をめぐって、サッスーン家に対抗しました。ジャーディンは1870年代に入って海運業に乗り出し、この分野でもサッスーン家に挑みました。
このジャーディン・マセソン商会の社員だったのが、明治維新で坂本龍馬と組んだ有名なトーマス・グラバーです。 グラバーは独立してグラバー商会を設立しました。
アメリカの南北戦争が終わり、余って在庫となった武器・兵器・戦艦などは上海に流れ込み、それらをジャーディン・マセソン商会が取り扱い、グラバー商会は代理店となって、坂本龍馬を通して、維新軍に大量の武器・兵器・戦艦が流れて、徳川を破り、明治維新は、イギリス(大英帝国)主導で、
実現されました。
ちなみに、グラバーもジャーディン、マセソンもイギリス人という子になっていますが、生まれはスコットランドのフリーメーソンで、スコットランドがイギリスに制圧されてイギリス領となったからイギリス人と呼んでいるだけです。
太く強固なロスチャイルド家とサッスーン家の同盟
ロスチャイルド家は、1840年前半には、列強大国のグレート・パワーから独立した、列強の同盟全体以上の力をもった存在とみられていました。
サッスーン家はもちろん、ジャーディン・マセソン商会も傘下に加え、東アジアを含めた全世界で唯一無二の力を示していました。
ロスチャイルド家とサッスーン家の同盟関係は太く強固で、サッスーン家の何人かは、ロスチャイルド家本拠のイギリスに定住しました。
1881年から1887年にかけて、ロンドン家は6400万ポンドものインド鉄道債の発行を担いました。 サッスーン家との協力の賜物です。
ちなみに、サッスーン家は21世紀に入ってからも、巨大なビジネスを展開しながら、母親がシフ家出身である当主ジェームズが、イギリスで特別につくられた閣僚ポスト(財務商務大臣、2010年ー2013年、キャメロン内閣)に就いたり、日本の三菱UFJ銀行のグローバルアドバイザリーボードに入ったりと、国際的に大きな影響力を保持しています。
Load James Sasoon(ジェームズ・サッスーン卿)
三菱UFJ銀行 グローバル・アドバイザリー・ボード委員、平成2016年4月1日~
ジャーディン・マセソン・ホールディングス取締役
元英国財務省商務大臣
中国に進出するフリーメーソン
「1841年1月7日、アンソン湾において、サルファー号、カライオペ号、ラーン号、スターリング号を伴った
イギリス東インド会社の誇る鉄製汽船ネメシス号による中国の軍用ジャンク船撃滅図」(アヘン戦争図)
中国(清)進出
フリーメーソンが中国に進出した最初は、アヘン戦争後に勝利したイギリスが1842 年に香港を植民地とした2 年後の1844 年に、
イングランド系フリーメーソンである「ロイヤル・サセックス結社」第501 号が香港に開設されたのが始まりです。
これが中国で最初にできた、フリーメ-ソンのロッジで、
続いて1846 年に同じイングランド系の「ゼッドランド結社」が開設されています。
「ロイヤル・サセックス結社」は間もなく広州に移り1863 年には上海に進出しています。
当時、先に上海には「ノーザン・ロッジ・オブ・チャイナ結社」も進出しておりましたが、「ロイヤル・サセックス結社」が中国大陸進出の最大拠点と成りました。
その後、天京(南京)を占領していた洪秀全を首領とする「太平天国」軍が、上海を攻撃しようとした動きがありましたが、これに対抗し 「太平天国の乱」は常勝将軍のフリーメーソンであるゴルドンによって鎮圧されました。
これを機に、上海にはフリーメーソン組織が激増しています。
スコットランド系の「コスモポリタン結社」、イングランド系の「タスカン結社」、アメリカ系の「エンシェント・ランドマーク結社」等が設立され、漢口・鎮江・天津・芝罘・九江・青島等でも結成されていきました。
「移動結社」英国東洋艦隊内フリーメーソン
1901 年に開設されたイングランド系の「デンドリー結社」は面白く、英国東洋艦隊内フリーメーソン会員による「移動結社」であります。
第一次世界大戦までは、フリーメーソンの勢力図は、イギリス系が強く、中国を南北に2分していました。
華北・華中・満州は上海・天津・北京を中心とした「イングランド系北支地区大結社」が担当し、上海に本部を構えましたが、麻薬王として有名な上海のサッスーン財閥を創設したD・E・サッスーンがフリーメーソン首脳の一人でありました。
サッスーンは、ゾロアスター教のペルシア人で、インドを間接支配するために、イギリスやロスチャイルド財閥が利用した男で、アヘンで巨大な冨を得ることになりました。
今日でも、インドを支配しているのは、タタ財閥で、彼らはペルシア系の人達です。
イングランド系華南地区大結社
中国の南部、華南を支配していたのは「イングランド系華南地区大結社」です。 香港に本部があり、アモイ・満州・広東・スワトウにも結社を持っていました。
第一次世界大戦後に、イギリスの海外植民地支配の力が弱まり、アメリカが台頭し、中国におけるアメリカ系フリーメーソンの勢力が強くなってきました。
当時アメリカは、満州方面に注目しており、中国大陸への進出を考えており、同時に北中国でのフリーメーソン組織も活発化してゆきました。
先ず1916 年に北京でマサチューセッツ系「インターナショナル結社」が発足。
続いて大連の「大連結社」、天津の「カレドニア結社」、奉天の「ハイクス記念結社」、ハルピンの「スンガリー結社」、また「パゴダ結社」は 張作霖と長男の張学良を加盟させ、「反日親米」を謀らせた事で有名であります。
リースロス博士(フリーメーソン会員のユダヤ人)
1934 年、中国側のフリーメーソンの協力を得て、「国際ユダヤ財閥会議」がロンドンで開かれ、「国家最高経済顧問」であるリースロス博士(フリーメーソン会員のユダヤ人)等はそこで、中国経済改革の為の経済政策を決めました。
これは、上海を基点とする中国横断鉄道計画、沿線各地の開発など、中国利権を求めてイギリスのサッスーン財閥、フランスのオットー・ウルフ財閥、アメリカのユダヤ系各財閥が参加する事が決定。
日本にも参加を求める為、リースロス博士を団長とする経済使節団が派遣されましたが、国際感覚の無い日本政府は一蹴してしまいました。
一方で、蒋介石はリースロス案に直ちに乗り、「弊制改革」は急速に実現し1935 年11月4 日から蒋介石は「銀本位制改革法令」を発布して、忽ちの内に「中国農工銀行」を発行。
この紙幣は国立銀行発行の法廷通貨と同等に承認され、銀貨の大部分が英米系財閥に集まり、彼らは銀相場操作で6 割以上の利益を挙げました。
また、蒋介石政権もこれを軍用金として利用し、浙江財閥を率いる宋子文も大いに儲けたのでありました。
江戸時代の世界覇権はロシア帝国vs大英帝国(バックはロスチャイルド)。尊王攘夷と口だけで大騒ぎ、実はイギリスに尻尾を振ったのが、ヘタレの長州の下級武士たち。
日本を植民地化したい大英帝国とロシア帝国がぶつかったのが江戸末期です。 狡猾な大帝帝国は、日本を代理人として、ロシアと戦わせたのです。
日本は大英帝国主導で明治維新を実現し、ロシア帝国と戦ったにすぎません。
国力の差から、当時の日本が単独でロシアを倒す力はありありせんでした。 戦時国債を発行しようとするも、どの国も日本の負けが分かっているので国債を購入してくれませんでした。
そして、まだ当時は、イギリス・アメリカと仲の良かった日本。
ロシアが、ポグロムと呼ばれるユダヤ人虐殺をしていたので、ユダヤ人のクーンローブ商会のシフ(アメリカ)とロスチャイルド、鉄鋼王ハリマンなどが資金援助してくれたおかげで、またアメリカの仲裁で、なんとか日露戦争に勝利することが出来ました。
アメリカの鉄道王・ハリマンは、日本と満州鉄道の共同運営の約束(桂・ハリマン協定)を結んでいました。 そして、日本は日露戦争に勝利し、中国東北部(満州)と満州鉄道を手に入れました。
ところが、ポーツマス条約から帰国した小村寿太郎が、「桂・ハリマン協定」を猛烈に反対します。
その理由は日露戦争で日本は9万人も戦死者を出したので、戦利品である満州鉄は独占すべきという意見を持っていたのです。 外交センスのない偏狭な愛国心?
当時、ハリマン一行は日本政府から熱いもてなしを受け、本国に桂・ハリマン協定(満鉄共同経営)を報告していました。 帰途でこの協定が、何も話し合いなしに日本側から一方的に破棄されたことを知り、激怒。
当時、絶対に敵に回していけない、ユダヤ系金融資本のロスチャイルド、フリーメーソンを敵に回してしまい、英米を敵に回し、第二次大戦では、一歩間違えば、2600年続いた日本という国家が亡くなる寸前まで破壊され尽くしました。
ここに、フリーメーソンつながりで、当時日中戦争をしていた蒋介石に、日米関係と日英同盟を潰す画策され、アメリカの民主党(ユダヤ系ロスチャイルド財閥がバック)は日本を敵視するようになり、第二次世界大戦も、アメリカの民主党は日本に厳しく対応してきます。
明治時代から、日本とイギリス(ユダヤ系ロスチャイルド財閥がバック)は蜜月の関係にありましたが、国際感覚の無いお馬鹿な政治家により、大英帝国やロスチャイルド、そしてアメリカを敵に回してしまい、その後、大変な目に合わされてしまったのです。
【原子力産業を支配するロスチャイルド一族】
1939年、原爆製造のマンハッタン計画がスタートします。ウランの調達は、アフリカのベルギー領コンゴ、カナダのグレートベア鉱山、アメリカのコロラド州カルノー鉱山で行われましたが、3カ所ともロスチャイルド一族の支配下にある鉱山でした。
広島に落とされたのがコンゴのウランを使用し、長崎に落とされたのがカナダのウランを使用したものです。
マンハッタン計画の監督を務めたのが、ロスチャイルド一族で、のちにハンブローズ銀行の会長となるチャールズ・ハンブローです。
CIAの前身である諜報機関OSSを設立した超大物であり、南アフリカの鉱山を握る「ブリティッシュ南アフリカ社」の重役でもありました。
マンハッタン計画は、核物理学や資源確保という面で国際的な作戦計画であり、そのリーダーは、のちに国際原子力機関(IAEA)を創設するベルトラン・ゴールドシュミット。
このベルトラン・ゴールドシュミットの妻は、ヴィクター・ロスチャイルド卿の再従妹ナオミ・ロスチャイルドです。
このように、今日も原子力産業は、原料のウランを含め、ロスチャイルド一族が支配しております。この一族と仲間になれば最強ですが、絶対のに敵に回してはいけない一族なのです。
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