ジョージ・パッカード(1932- )
米日財団理事長
SAIS 学院長
米日財団理事長 ジョージ・パッカード
SAIS(ジョン・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院)学長の肩書を持つジョージ・パッカードも日本と非常に関りの深い人物です。
彼もまた、ライシャワー駐日大使の特別補佐官を務めた人物であり、SAISのライシャワー研究所設立の立役者です。
パッカードは、1932年、ペンシルベニア州のクエーカー教徒の一家に生まれました。
セントポール校に入学し、プリンストン大学を卒業後、日本に駐留米軍将校として来日しています。
東京大学で学んだ後に、ライシャワー大使の補佐官をセイヤー(当時報道官)と二人三脚で務め、民間に転出しました。
『ニューズウィーク』のワシントン特派員などを経験したほか、共和党の上院議員候補としての出馬経験(1976年)まであります。
1976年から79年までは、ウッドロー・ウィルソン国士問題研究所で副所長を務めましたが、当時のジョンソン大統領のヘッドハンティングにより、14年という長きにわたって、SAISの学長を務めました。
この辺の事情は、彼自身の自伝的著作『アメリカは何を考えているのか』(講談社992年)に詳しくしるされています。
パッカードは日本のマスコミにも頻繁に登場し、日本語も非常に堪能な人物です。1992年の大統領選挙の際にはフジテレビのワシントン・スタジオに呼ばれて、日本語で大統領選挙の分析を行っていました。
日本との関りはそれだけではありません。 パッカードは、新潟県の魚沼群にある国際大学で国際関係論の教鞭をとっていたこともあります。
国際大学は、「財界の鞍馬天狗」の異名を持つ、中山素平(なかやまそへい)元経団連会長が資金を募って設立した日本初の国際大学(初代学長は大来佐武朗(おおきたさぶろう)元外相)です。
国際大学の現在の学長は日本人ですが、1998年頃まで、パッカードが学長を務めていました。
現在のパッカードは、笹川良一(ささがわりょういち)元日本船舶振興協会会長が
設立した「米日財団理事長」を務めるほか、富士通総研の顧問を、岡崎久彦元タイ大使などと一緒に務めるなど、、「知日派」ネットワークの要(かなめ)としての存在感を示し続けています。
(関連情報)
ジャパン・ハンドラーズ ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bee052b51016155e76d0eed671e29139
ジャパン・ハンドラーズ ジョンズ・ホプキンス大学-2 ケント・カルダーhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/53e1c4bddaab8814da918705716a9729
ジャパン・ハンドラーズ ジョンズ・ホプキンス大学-3 CIA情報官ナサニエル・セイヤーhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40241cc6f2fde1c7bd5dc94c73f948b0