どうも、ren.です。
今日は日差しが温かく、陽だまりで勘違いしたタンポポが一斉に花を咲かせていました。
さて、今日は先週から始まった「けものフレンズ3」の9章の後編が配信されました。
いわば、サービス開始から始まったストーリーの第1部完結。
ということで、後編を一気にプレイしてノーマルクリアしましたよ。
ストーリーのネタバレははっきりと書かない形で、ちょっと感想を。
わずかなネタバレも回避したい人はここまででお願いします。
毎回、フレンズと隊長さん(プレイヤー)の心をえぐってきたメインストーリー。
8章ラスト、9章前編ラストと、畳みかけるような絶望ストーリーは、さすがの鬼脚本家(w
そして待ち望まれた9章後編。
「けものフレンズ」シリーズには、よく"奇跡の大安売り"という批判があります。
なので私は、「けもフレ3」でも8章辺りから連呼され始めた"奇跡"の扱いに注目していました。
批判的に使われる"奇跡"は、つまりは"ご都合主義"です。
まあ、創作においての"奇跡"は、多かれ少なかれ、話の結末に整合性を付ける"ご都合主義"です。
なので、必要なのは"ご都合主義"を"奇跡"と納得づける理由や論理です。
「けもフレ3」では、それを"思い出"に求めました。
ゲームシステムとしてフォトというパワーアップ装備があり、世界観的にはそれを"思い出"の象徴と位置付け、成長台詞や「ちょこっとアニメ」で強く推しています。
アーケード版では、プレイヤーが撮影したフォトを印刷してカードにできますしね。
はて、思い起こせば……
ネクソン版の冒頭文、「あなたは忘れてしまうでしょう」。(まさかこれが、ね。)
アニメ1期の最終回、サーバルのセリフ「一番最初に会った時にしたお話憶えてる?」。
"けものパレード"の歌詞、「君の姿、星の記憶」。
……そうか。
ここまでのシリーズでずーっと、"奇跡"の正体は"思い出"だと明かされていたんですね。
しかも、カレンダによって何度も"奇跡"を否定し、"思い出"を後悔させてからですから、納得力もひとしお。
こうしたセンテンスを拾い上げて結晶化した脚本家は、鬼ではなく神だった(w
プレイヤーの大切な"思い出"となった、ここまでの「けもフレ3」。
でも、まだまだ終わらない。
これからも続く"奇跡"を、これからも期待しましょう。
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