先日の東京出張の折に訪れた建物です。
自由学園の来歴は、
クリスチャンだった女性思想家の羽仁もと子と羽仁吉一の夫婦によって1921年4月15日、キリスト教精神に基づいた理想教育を実践しようと東京府北豊島郡高田町(現・豊島区)に設立された。1934年に校舎を東京府北多摩郡久留米町(現・東久留米市)に移転し、現在にいたる。
経緯はしっかり調べていませんが、
帝国ホテルの設計を依頼されたF.L.ライトさんが日本滞在中に
設計した建築として有名な建物であります。
プレーリースタイルというライトさんのオリジナリティがよく表現されています。
北海道の建築家の草分けと言われる田上義也さんも弟子のひとり。
田上義也さんの建物はよく目にする機会があり、
ごく日常的に接してきている。
なので、ライトさんのデザインははじめて見学しましたが、そのディテールは
おおむねよく目に触れているデザイン。
はじめてだけれど懐かしいというような感覚に近い。
逆に言うと、ライトさんのデザインに初めて会った気がしなかった。
子どもとよく遊んでいて、そのそっくりのお父さんに会ったような感覚。
ある種、「源流に触れる」というような感覚とも言えるのでしょうか。
こういうことって、
なかなかにいろいろなことを考えさせてくれる体験です。
そういえば田上義也さんは「えぞライト」というように愛称されていたそうです。
そのような中央に対する「鄙」の感覚って、探求の余地がある。
推測としては、中国という国民性の中心的なところに「模倣性」がありますね。
現代では、世界の有名建築がそっくりコピーされているそうです。
きっと「中華思想」の一表現形態なのではないかと思われますが、
そういったこととも通底しそうなアジア的感覚なのかも知れません。
オリジナリティということへの態度がどうも未分明のような気がする。
ただ、日本という民族歴史は受容とオリジナリティの間で揺れ続けてきた。
古くは漢字文化・律令制国家から、今日世界の西洋文明受容まで、
どんどん受容し、それへの尊崇も失わないけれど、
やがて、茶の湯のような独自文化も生み出す。
それに対して中華思想の国家たる中国は、どうも「尊崇」という態度は存在しないか、
決定的に足りないのではないかと思います。
オリジナルのデザイン世界に触れて、
そんなようなことを感じ続けておりました。