どっぷりハマっていた「官材川下之図」でありますが、
飛騨の幕領の山から切り出された材木は河川流通を経て尾張熱田の
「白鳥湊」に集結され、そこから江戸へ大坂への経済大動脈・回船へ。
この絵巻の北大DBでは「官材」という意味合いが
「伊勢神宮への奉納」というような説明がされているのですが、
どうもこの絵巻を詳細にチェックして見ると「官材」というのは、
幕府が直接管理している材木、というような意味合いに近いのではないか。
文字通り、官が下げくだす「材木」という意味での「官材」。
上の絵は上下巻の下巻の最後の方にあるのですが、
本来の「伊勢神宮への奉納」図絵は上巻の末尾に挿入されています。
伊勢への奉納がメインであれば荷揚げされて奉納されるシーンが
もっと描かれてもいいハズ。そういう絵図は見られないので、
伊勢神宮云々は、そういうルート目的もありましたよ、
っていうような扱いだったように思われる次第。
ちなみに次の絵図が、「伊勢神宮への奉納」とされるシーン。
「神事」として芝居がかって演出されている様子がわかる。
幕府が直轄管理する材木産出地・飛騨材はこの尾張白鳥湊から、
全国に回船輸送された。沖に停泊した大型船に小型船から荷積みされている。
江戸期は平和が達成されたことと、各地の「封建領主」たちの
経済的生き残りを懸けた地場産品の開発努力が盛んであり、
そうした産品が活発に交易されていた。日本の豊かな「地方性」は
アジア国家の中で唯一のこの「封建」の根付きが大きいと言われる。
この江戸時代がなければ、今日に至る地方経済基盤はなかったのではないか。
北海道は「北前船交易」でいまにも続く「北海道の味覚」昆布やサケなどや
さらに豊富に獲れるニシンが魚肥として綿花栽培の必需品になった。
しかしそういった北海の産品はそれまでの国内交易の中では
「ニュースター」だったに違いなく、基盤的な交易産品は
やはりこの「飛騨や木曽」の材木などが主力だったのだろう。
北前船でも「千石船」が就航していたけれど、この白鳥湊出入りの船も
千四百石積載船という説明書きが見られる。
「衣食住」という人間社会の基本需要に対して住の最大原材料は
このように市場投入されていた実態なのでしょう。
こうしたいわば市場経済での原材料流通は、江戸大坂といった
「消費都市」への原材料供給であって、それ以外の地域では基本的には
「自給自足」的な体制が取られていたのが江戸時代だったのでしょう。
制度としての封建と市場経済化とが機能していたということ。
この絵図のようにして運送された材木が、伝説の紀伊国屋文左衛門のような
材木商を江戸で「豪商」として成立させていったのでしょう。
さらに探究を進めると木材の流通、末端での木造建築に興味は向かう。
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