北海道の開拓期については、
北海道内の小学校でも触れられている(ハズ)ですが、
・・・って、いま坊主に確認したら、
「いや、そんなの習ってないよ」
という返事。
わたしが習った小学校低学年歴史教育のスタートは
「地域の歴史」のようなものでしたが、
そういうの、やっていないのでしょうか?
わたしたちのころには、いちばん初めの頃に
この人の名前が登場することになっていました。
北海道の開拓の基本計画を定めた人物として知られています。
大久保利通に連なる薩摩の本流政治家・黒田清隆が
初代の「北海道開拓使」次官(長官は宮様)になったとき、
北海道の開拓方針を諮問すべき人物として目を付けた人物。
当時、アメリカ合衆国の「農務局長」を務めていた。
明治維新政府にしてみれば、当時のアメリカを
ヨーロッパ移民による新開拓地として見ていたので、
当然、日本にとっての北海道をそうしたアナロジーで見ていたなかで、
基本的な開拓策として、北米の体験を輸入しようと考えたものと思えます。
司馬遼太郎さんの数少ない、北海道に関する記述が
「街道を行く」シリーズにあります。
わたしは司馬さんのファンなので、これまであんまり検証せずに
その記述を信用してしまっていたのですが、
どうも、司馬さんの認識違いかも知れない点を発見してしまったところ。
司馬さんの記述にはホーレス・ケプロンを「農務長官」と書いてあるのですが、
どうも、そうではなく、「農務局長」が正しいらしい。
わたしも何回か、講演などで司馬さんの記述に沿って発言したので、
ちょっと冷や汗、というところです。
当時のアメリカの政治・政府組織制度などを確認もしなければならない。
現在の常識で考えると、「農務局長」はいわば官僚機構のトップという響きであって、
大臣・長官という政治家ではないと、認識できる。
ただし、アメリカは現在でも政権が変わると、一気に実務組織トップも替わると言われる。
日本の常識とも違いがあるので、難しい。
というところで、やや袋小路に入ってしまいました。
さてさて、歴史に関する記述の確認って難作業ですね、ふ~。
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