三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

隙間の「みえる化」

2014年04月10日 06時22分48秒 | Weblog


写真は青森市浪岡にある古民家の縁側。
雨戸を閉じているのですが、その隙間から春の陽光が床面に透過している。
ちょっと不思議な美しさを放っていた。
わたしには、そのように感じられてなりませんでした。

高断熱高気密住宅のことを中心的に扱っている雑誌発行者ではありますが、
別にだからといって、吉田兼好の、あるいは、徒然草的な世界が
まったく嫌いだ、というようなわけではない。
先日、伝統木造のひとたちと接触したときに
こちらがわを射すくめるような視線のなかに、
このような日本的わびさび精神を全否定しているに違いない人種だ
というような断定的な光を感じたのですが(笑)
そんなことはまったくありません。
むしろ高断熱高気密住宅という日本の木造技術の進化を経て
なお、徒然草的な精神世界はどのように可能かと、
いつも考えているように思っている。

だから、こんな思いがけない素材と陽光の一瞬のふるまいに
捨てがたい美を感じて、立ち止まってしまうのを禁じ得ない。
ただ、このような戯れてくるような美におぼれるのではなく
それを科学的に捉えて、柔軟に対応していきたい。
こうした美が否定されていく、とまで捉えるのは自由だけれど、
ちょうど障子の紙が、圧倒的な現代文明によってガラスに置き換えられたように
住宅性能という技術を使って
あらたな世界のなかでの価値観を見出していくべきだと思う。
まさか、方丈記のような山奥での庵暮らしを
現代に生きるふつうの人々に説き、そのライフスタイルを強制はできないだろう。
この写真のような住宅に暮らした日本人の生き方の光景は、
いまはもちろん失われていくだろうけれど、
そこで感受した美であるとか、
心象風景での「隙間」のような空気感自体は、
つぎの空間ステージで、どのように活かしていくかと考えるべきだと思う。
木造住宅の隙間が持っていたある精神作用、
日本人的なこころのひだ、というようなものを
どんなかたちで次の世代に渡していったらいいのか、
隙間の「みえる化」のようなことが、必要だとも思えた次第です。

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東北と「黄金」

2014年04月09日 06時02分54秒 | Weblog


写真は先日、東京の博物館で見掛けた気仙地域の歴史展示より。
金鉱りの歴史についての展示なんです。
金という希少金属は、人間の歴史において、
かなり決定的な要因になったに違いないのに
それが通り過ぎてしまうと、忘却される人類的体験記憶でしょう。
リアス式海岸地域というのは、
日本の歴史の中でも特異的な発展をしてきた地域だろうと思うのですが
そのなかでも黄金産出に伴っての特殊性が大きかったのではないか。
きのうは「津軽地域」を歩いていたのですが、
津軽というのも、発展の仕方がかなり独特だと思う。
それとの対比でも、気仙、リアス式海岸地域もかなりの独特さ。
ことばの異質感は、どちらも日本語の語彙との距離感がハンパない。
そういう部分に、今日までもしっかりと残滓が残っていると思う。

いわゆる日本という文化は、基本的には縄文的な
漁労+森からの採取という生活様式をベースにして
それに「ムラ」社会を生み出した共同生産体制としての
コメ生産社会様式が重層していったものだろうと考えられるのですが、
やはり、それとはまったく異質に近い金属発掘型の社会というのも
日本には多様に存在していたと思われます。
日本歴史では、前九年後三年合戦の合間に、この地域政治勢力を
清原氏が攻めたという記録が残されている。
東北は各地で独立的な発展を遂げてきているけれど
やはり東北の中央権力は、奥六郡地域か、仙台平野地域に存在した。
そことは、陸路での交流はあまりなかったに違いなく、
また、河川による交流も大きな川が存在していないので
たぶん、北上川河口地域から海路で交流していただけなのではないか。
そういった交通の隔絶性が独自の発展の要因にもなった。

さて、黄金であります。
東北が日本史と交錯するときに一番のキーワードは
やはりこれなんでしょう。
清原氏による軍事的なこの地域の征服を経て
東北中央権力は黄金産出地域の支配権を確立して
その経済的利益を集中させることができた。
王朝政府側も、坂上田村麻呂以来の直接的軍事支配が
どうしてもうまくいかない現実の中で
安定的な黄金の日本中央、畿内地域社会への導入を優先して
奥州藤原氏という、のちの鎌倉幕府の政体のモデルになるような
「独立権力機構」の存在を容認した。
奥州藤原氏も、遠のみかどとしての多賀城国府を尊重し、
年貢負担などの最低限の日本国家への従属義務を果たし、
強い自治権力の構築を実現させていた。
こういった日本史、東北史のなかで、
さて黄金産出産業は、どのような経緯をたどっていたのか、
つまびらかにしてくれるような歴史研究者の仕事を探したりしていますが、
なかなか前途の遠さを感じてきている次第であります。

この東京での展示も、
まるで偶然のように飛び込んできた情報機会。
じっと目をこらして見入ってしまった次第であります。
ふ~~~む。
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駒ヶ岳

2014年04月08日 06時32分07秒 | Weblog


きのうは札幌を出て青森までの出張。
青森までは列車を利用することが普通であります。

学生時代以来、
この函館本線はずいぶん利用させてもらっている。
で、函館に近づくと豊かな山容を見せてくれるのが駒ヶ岳。
わたしは、岩見沢市のとなりの栗沢で生まれ、
3歳から札幌で過ごしていたので
「大きな山」というのを見て育たなかった。
そういう人間にしてはじめて見初めた大きな山がこれでした。
日本列島を北上してきて、北海道に上陸してはじめにある
大きな噴火を感じさせる山容を持っているのがこの駒ヶ岳。
まぁわたしの場合は、
北海道を札幌から南下していって、
羊蹄山は千歳回りの列車からは見えないので
本格的な独立火山という山容をはじめて感じさせてくれた存在なのです。
駒ヶ岳は、上部が噴火で吹き飛んだ富士山型。
その男性的なフォルムで惹き付けられる。

人間の感覚というのは不思議なもので、
大きな山というのには不思議なパワーを感じる。
日本という国は、自然崇拝的な神道がベースにあると思うのですが、
それは、国土が火山列島であり、
大きな山というものが、民族の共通体験として大きかったのではないかと
そんな風に思っています。
春の穏やかな陽射しの中で
久しぶりの対面を楽しませてもらった次第です。
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クッションフロア(CF)床の張り替えDIY~2

2014年04月07日 05時41分17秒 | Weblog


さて、上の写真がクッションフロア(以下CF)を剥がした後の様子。
被覆されているCFの下から、肉に似たコンクリート土間床が露出する。
てっきり平滑かと思っていたら、
筋状の凹凸が施されているように見えます。
なにやら、筋肉のスジを思わせるかのようですね。
CFはこの面に対して、接着材で固定されていたのでした。
カッターでの裁断は、はじめはなんとも頼りなく、
「これホントに切れているのかな」
という不安が先立ってくるものでした。
で、徐々に右手で切るのと同時に左手で「剥がす」ようにしたら、
施工の感覚が見えてくるようになりました。
頼りないプラスチック製の「物差し」を当ててやっていましたが、
「まっすぐに切る」というのは、予想以上に難しいことに気付きます。
金尺を買って使用した方がいいだろうと思いますが、
そこまでの準備はしていませんでした。
何度もラインがずれて、微妙にカーブしてしまう・・・。
力加減が難しいのと、下地のコンクリート面が平滑ではないことが
影響してくるのだろうと思われますね。
本当は最初にカットラインをきちんと直角を出して線描してから、
その線に沿ってカットすべきでした(反省)。
でもまぁ、素人DIY、なるようにしかならない、
覚悟を決めて前に行くしかない、という開き直りであります(笑)。



で、カットし終えてから、
見てみると案の定、やはりきちんとした直角ではない、
不定形の四角形形状に切断面がなってしまっていた(汗)。
そこに購入してきたCFを当てて形状通りにカットしようとしたのですが、
これもまた難しいワケです。
1辺はなんとかまっすぐっぽいけれど、それに交わる次の辺は
微妙に角度がずれているので、
いったん大きめにカットしてから、細部は微調整をしていった。
接着は、施工性を考えて両面テープを使いました。
接着剤だと、扱い方が難しすぎるように思われ、
やり直しもラクそうだと思った次第。
大きさは大体1.2m×0.8mくらいの大きさなので、
テープはCF裏面にタテヨコそれぞれ4~5本を張り巡らせました。
それを一気に、
後先考えず気合いで切断面にあわせ、すぐに押さえ込む。
で、不安だったのですが、
案ずるより産むが易し、ということでまぁまぁ、という感じであります。
しかし、よく見てみるとやはり切断面縁辺部は
ジグザグのラインで、隙間は大きかったりなかったり、という
ふぞろいのリンゴたち状態(笑)。
でもまぁそれも「手業の味わい」と強引に納得(笑)。



できあがって椅子で、状況を確認。
床面としてのふるまいは問題は感じない。
まぁあきらかに色柄は違っているのだけれど、
この辺は、妥協してもらうしかない。
で、このあと、隙間をシール材で仕上げまして、完了致しました。
本日、出社してくるスタッフの評判やいかに、
っていうところですが、
わたしは本日早朝から出張であります。
帰ってくるのは早くても明後日の予定。
留守中、顰蹙を買うことになるのか、賞賛につつまれるのか、
不安いっぱいの旅立ちであります(笑)。

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クッションフロア(CF)床の張り替えDIY~1

2014年04月06日 07時14分33秒 | Weblog


わが社事務所の床は、基本的にはクッションフロア(以下CF)にしています。
CFというのは素材は塩ビのようなもので、
防水性や耐久性に優れている、という特徴があって、
住宅ではよくトイレや洗面といった部位に使われています。
今回、その事務所のCFの一部が回転椅子による摩擦を
ほかの場所とは段違いレベルで繰り返しストレスを受け、
たわみ、穴あきなどの症状を呈しておりました。
こういった場合、CFのその部分を除去し、部分張り替えという補修が可能です。
補修を要する面積は、ほんの1㎡×2程度。
それで工事見積もりを頼んだら、8万円強の見積金額。
むむむ、まぁ、プロに頼めば工事としては確かにかかるのは、仕方ない。
でも、経費節減を考えてきて、これは容認できない。
ということで、わたしの趣味もあって、
日曜大工での補修に挑戦することにしたわけです。
ちなみに今回の関連支出総額は6000円ほどなので、
コストパフォーマンスは高い。
中小零細企業、どんなことでもやっていかなければならない。
でも、久しぶりの挑戦です、胸の鼓動がハンパない(笑)。
で、まずは材料の物色、購入。同時に工事アイデアの確認をかねて、
TOSTEM運営の「スーパービバホーム」へ。




こちらのお店では、「生活館」というコーナーと「資材館」とに別れ、
資材館のほうは朝早く6時半からやっている。
まぁ大体はこっちだろうと目算して、8時過ぎに出かけた。
なんですが、CFは探しても見当たらず、店員さんに聞いたら、
「生活館」での取り扱いで、9時開店ということ。
でも、それまでの40分ほどで、必要な工具・備品を品定めできたので
たいへん有意義でした。
基本的な工事の仕方はインターネットで調べていたので
大型のカッターナイフ、万一CF張り替えでは対応できない場合を考えて
より簡便な合板90cm角×2も購入。
それらの接合手法としての接着材や、両面テープを購入。
ほどなく生活館がオープンして、目的のCFを発見購入。
やはり同じ色柄のものはないので、近似したヤツをかなり大きめに購入。
必要があれば、今後劣化した床補修に備える意味。
で、写真のようにロール状になるのですが、
ここで右側の棍棒のような機材から、梱包材として
薄いサランラップがくるくると巻き付けられる。
ちょっと驚かされた次第。
ふむふむ、いろいろ勉強になりますね(笑)。




で、いよいよ、作業開始。
取り替える部位のCFをカッターナイフで切り剥がし作業。
素人仕事、それもはじめて挑戦なので、
段取りがよくわからない。
本当は正確な寸法取りが必要とは思いましたが、
金尺すらないし、たとえ正確に採寸できたとしても、
そのようにカットできるかも不明だったので、
成り行き任せで、切り取りました。
やってみると、定規を当てても、その通りにはなかなか直線カットの
力加減、コツがつかめない。
やりながら、すこしずつ感覚ができてくる、という
DIYの醍醐味そのままであります。
「そうか、これくらいなんだな」
と悟りをもとめる求道者のごとき心境になってくる(笑)。
なにか、一期一会の修行のような気分が立ち上ります(笑)・・・。
直線的に切り取りながら、CFを持ち上げたりして、
「切る」と「剥がす」を両方同時にやるのがコツのようですね。
で、ようやく写真のように、切り取ることができた!
左は、購入してきたCFです。

長くなるので、続きはあしたのブログで・・・。
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夏タイヤの朝に

2014年04月05日 06時59分37秒 | Weblog



さて本日は土曜休日。
この日を利用して事務所のDIYをやろうと張り切っておりますが、
朝の光景を見て、再検討を迫られております。
「やべ、夏タイヤ・・・」
であります。
先日、あまりにも順調な雪解けぶりを見ていて、
冬タイヤから夏タイヤに履き替えていたばかりなのです。
どうも、窓の内側から見ている限りでは、
淡雪とはいえないような積雪の感じ。
以下、北海道中部の天気予報。

石狩・空知・後志地方では、引き続き6日にかけて
強風や高波、ふぶきや吹きだまりによる交通障害に注意してください。
また、5日夕方まで電線等への着雪にも注意してください。
発達中の低気圧がオホーツク海にあって、北東に進んでおり、
北海道付近は気圧の傾きが大きくなっています。
5日3時の石狩・空知・後志地方の天気は、雪が降っています。
5日は、雪でふぶきますが、夕方から晴れる見込みです。

ま、行楽やドライブに適した日和でないことは明らか。
そういう意味では床補修DIYには適しているけれど、
さて、備品の買い出しには、別のクルマが必要かも。
で、カミさんのクルマは別の用件で使うような話をしていた。
夏タイヤとはいっても新品なので、
慎重に運転して購入してくるとするかどうか、
微妙できびしい判断が求められる次第です。
もうサクラも散った地方のみなさんには、無関係の悩みではありますが、
遅々とした北国の春の進み方であります。
さてどーすっかなぁ~~~。
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江戸期の村社会

2014年04月04日 06時33分58秒 | Weblog



陸前高田のことは今回の津波被害からの復興の状況を見つめ続けてきているけれど、
当然ながら、彼の地には独自の歴史が積み重なっている。
そんな展示会が東京であったので見学して来た。
そのなかに、「大庄屋・吉田家」のことが取り上げられていた。
古民家建物という興味もあるけれど、それとは別に
江戸時代という時代は、武家が確かに権力は握っていたけれど、
実際の経済運営は、庄屋層や都市の商人たちが担っていて、
そういった様子について大きな想像力を持っていないといけないと思う。
そんな様子をうかがい知る資料を見ることができた次第。
陸前高田の村は、江戸時代、伊達藩領だったけれど、
この地域の行政・財政の地方行政については、
この吉田家が、すべてを担っていたとされている。
その行財政の様子は、詳細な「定留」という記録文書に記載され続けてきている。
そのなかには、詳細な日々の行財政の様子が坦々とつづられている。
税として納められた詳細なものの記録など、
その背景としての気候風土条件などが匂い立ってくる。



陸前高田は、震災にも残った松が有名になったけれど、
江戸期を通じて、地元民がこれらの松を防砂林として植え続けてきた。
今日に残る絵図面に、民家群を守るように描かれた松並木がある。
記載では、ある農業生産者が植え始めたと書かれているようです。
そういえば、はるか日本海側の庄内地方でも
日本一の富豪と言われた本間家が、永年、防砂林を整備したことで
豊かな米所として、庄内は名声を博していったということだし、
生産力向上を考えれば、だれもが思い至る事業なのだろうと思う。
そういった「防砂」を目的として植えられた植生が
やがて、地域のプライドにもなっていくあたり、
ひとの仕事というものの本質的な部分を感じさせてくれる。
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新年度のスタート

2014年04月03日 09時59分04秒 | Weblog


新年度を迎えて、さまざまな変化が訪れております。
当社ではこの4月から大卒の新社会人が2名、スタッフとして加入しました。
大きな会社であれば、「入社式」とかあって、
いろいろなイベントもやってモチベーションを高めるとかあるのでしょうが、
中小零細出版業としては、創業者であるわたしが会社を、
あるいは社会の中での会社の置かれた位置などの話をじっくりとする、
そんな機会を設けてみました。
で、本日は中小企業家同友会の「合同入社式」というのがあって、
そちらに参加してもらっています。
小さい会社に入ってくれたのですが、
社会の中で生き抜いていく、働くという意識を強く持って
自分の仕事に真正面から取り組んでいって貰いたいものだと思っています。
しかし、若い人のいちばんの仕事は、そこなのだろうとも思います。
自分が選び取った社会の中のひとつの領域に対して
「真正面から取り組んで」いくというフレッシュな姿勢を見せることなのではないかと。
会社や自分の体験をお話しながら、
わたし自身も、日頃とは少し違う、大きな視点からの見方で再構成している
そんな自分に気付きます。
それこそが、新しい可能性に気付くきっかけになると実感。

一方で、家族も大きな変化が訪れて、
息子は東京の方の大学に進学。
あわただしく決定し、引っ越しまで時間がない中で
ようやくきのう、入学式。
カミさんが出席して、当面の暮らしようも環境が整えられました。
まぁ何十年か前、わたし自身も同じような経験をしたワケで、
いろいろな思いも持つのですが、
子どもたちは子どもたちでそれぞれに歩んでいく道がある。
一方で、送り出した親の側も
大きく環境は変化せざるを得ないことに、いまになって気付く(笑)。
子どもたちという大きな存在が不在になった大きな家、という空間に
まずは慣れる必要がありますね。
それが空洞感になるのか、あるいはすぐに忘れていくものなのか、
2人のこどもを送り出して、はじめて味わう思いです。
さてとりあえずは、「仕事に真正面から取り組んで」いきたいですね。

<写真はほぼ無関係の江戸東京博物館の額絵>

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明治初年東京の洋風住宅

2014年04月02日 10時01分25秒 | Weblog



写真は「江戸東京博物館」に展示された住宅実例。
開国して以降、横浜を中心にして、欧米文化が流入してきたなかで、
いちはやくそうした西洋の「住文化」を取り入れて
日本の伝統的民家と折衷させたような住宅が建てられたという。
そこまでの流れは、北海道でも同様のことだったけれど、
しかし北海道に残る洋風住宅の残滓には、
はじめから徹底した洋風への傾倒があるのに比べて
見学した明治初年の東京の住宅には、やや違いを感じました。
ごらんのように、古材のような梁がわたっていて、
和風民家のたたずまいに、洋風の造作が追加されたような味わい。
で、手前側の、たぶん縁側を改造して室内に取り込んだ部分には
ロッキングチェアのような椅子が配置されていて
ひだまりを楽しむような空間装置になっている。
やはりこういった温暖な地域での住宅デザインのありように
同じ洋風建築とは言っても、北海道の建物との違いを感じる次第。

北海道に残る木造建築、たとえば豊平館や時計台などでは
寒冷地建築として、窓が小さかったり、
サンルーム的な空間装置などはお目にかかったためしがない。
この時代、欧米でも寒地住宅の技術は確立していたわけではなく
まずは暖房器としての暖炉やストーブ、
そしてデザインとしては窓がきわめてささやかな開口に止まったり
というような段階にあったのでしょう。
世界の寒冷地域でも時間の差は多少あったにせよ、
北海道の住宅がどんどん性能向上していったのと、ほぼ同時並行的に
進行していったのだなと思われるところ。
北米での「パッシブハウス」の状況を、在住の日本人建築家に聞いたところ、
アメリカでも、カナダ以外では日本の状況と50歩100歩だということ。
とくに、アメリカにはハワイ・フロリダのような蒸暑地域から
カナダに隣接する地域など寒冷地域まで包含していて
住宅スペックの状況はそうドラスティックではない。
そんな風に考えていくと
北海道が、地域全体としてQ値1.6レベルの住宅を
既存住宅を含めて半数以上が達成しているというのは、
かなり特異的なことがらであるのかも知れないと思います。

しかし、この写真のような住宅デザインのありようには
現代のわたしたちの感受性に通じるものもあって、
日本人の文化咀嚼力のたくましさも感じさせられるところ。
しばし、足を止めて見入っていた次第です。
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ケタ違いの中国権力腐敗

2014年04月01日 09時40分03秒 | Weblog


中国共産党一党独裁体制と、資本主義的経済発展というふたつが
同時に存在していったとき、どんなことが起こるのか、
いま、まさにその局面が大きくクローズアップされてきている。
周永康という中国共産党高官一派の汚職事件が表に出ようとしている。
総額が1兆円を超えているというのだから、まさにケタ違い。
かつて田中角栄が5億円で権力からたたき落とされ、
1億円で総理大臣を投げ出した細川もいて、さらに
いま、渡辺某が8億円で司法から断罪されようとしているけれど、
彼我の乖離に驚愕する。

伝統的「儒教社会」とは、血縁社会の中でだれかひとり成功者が出たら
血族全部がその恩恵を享受する「べきである」という社会。
清国までの皇帝独裁国家だった中国では、まさにアジア的なこの儒教価値観が
世を覆い、皇帝が共産党に変わっても独裁であることには変化がない。
だとすれば、中国では権力の腐敗は当たり前であって、
いまわたしたちが目にしている幹部による1兆円を越す賄賂などは
ほんの氷山の一角にしか過ぎないことは明白なのだ。
欧米列強による帝国主義の時代に、
東アジア世界が植民支配されてしまった最大の原因は、この儒教なのだと思う。
儒教世界では、倫理が限りなく下落せざるを得ない。
法治ではなく、人治であることが、こうした社会の停滞の根源だったのだ。
欧米社会が、血を流して手に入れた人治から法治への転換が
その後の「民主主義」の根源にあって、
「公正」が実現したことで社会経済発展が可能になったのが現代社会なのだ。
そのことが、中国韓国朝鮮の東アジアでは、十分に浸透していない。
中国の危険な人権状況やこうした腐敗状況には目を覆って、
国家戦略として戦時の性の問題を持ち出して日本追い落としのために
「人権」を語っているなどは、確かに語るに落ちるというべきだ。
この点に論究したきのう公表の産経掲載の意見は貴重だと思う。

日本も確かにこの点では、敗戦という現実を経て
戦勝国アメリカの占領政策によって民主主義が出来上がったとは言えるけれど
しかし、鎌倉幕府以来の「封建」という自治形態が存在し、
それをベースにした風通しのいい合理的な社会が日本ではすでに実現していた。
江戸期における社会実態は、欧米的な社会経済発展を
すぐにでも受容可能な社会が実現していたことをさまざまに証し立てている。
この合理精神が、「脱亜入欧」という日本の明治以来のベースにある。
日本は、いまふたたび開示されようとしている中国の儒教的腐敗が
いやでいやで、たまらなかったのだ。
そうであるのに「事大主義」を押しつけてくる姿勢が大嫌いなのだ。
そう、現在の従軍慰安婦問題は、中韓による「事大主義」的な
いいがかりである、という気分が日本社会では強くなっていると思う。

しかし中国は、
このパンドラの箱を開けることになりそうなのだが、
このことが、中国の民主化に繋がっていくのかどうか、
固唾をのんで見守っていかなければならないと思う次第です。

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