飯島愛さん自宅マンションで死亡を発見…のニュース、耳に飛び込んだ日が日だったからでしょうか、最初に脳裏に浮かんだのは、十年以上前おすぎとピーコのピーコさんがどこかの番組で言っていた「アメリカではゲイの自殺が、クリスマスに一番多いのよ」という言葉でした。
もちろん愛さんはゲイでもレズでもセクシャルマイノリティでもないし、まだ自殺と決まったわけでもない(25日現在)のですが、なんとなく、いい学校を出ていい会社に入って合コンしてデートしてブランド品のプレゼントを交換して、結婚はお見合いでセレブ婚…みたいな日の当たる世界に縁のない、あるいは背を向けた人たちにシンパセティックな空気を醸し出していたような気がします。明るくておもしろくて、ざっくばらんでポンポン言うけど、弱者が犠牲になる悲惨な事故や事件のV後には、コメントできないくらいメロ泣きしてるような、共感性の高い人でしたよね。
ま、ゲイでなくても、いろんな理由で気持ちが落ち込んでいるとき、世の中がにぎやかに華やかに浮き足立って、行き交う顔が軒並みキャッキャウフフと笑いさざめいている状況ぐらい、いや増しに鬱陶しいものはありません。アメリカならばクリスマスでしょうが、日本なら年末年始シーズンを跨ぐ辺りが、1年じゅうで一番自殺件数は多いでしょう。憶測ですが、4月~5月の黄金週間連休前後がその次くらいじゃないかな。何が“黄金”だと。次が3月4月のお花見シーズン。とにかく、憂鬱な気分にお祭りムードは本当につらいものです。
飯島愛さんと言えばもうひとつ思い出すのが、もう7~8年前ですか、確かロンドンブーツ1号2号の番組(『スキヤキ!』?)だったと思います。路上一般人アンケート「化粧のうまい女性芸能人と言えば?」で、愛さんが1位か、それに近い上位に来たんですよ。そのときのスタジオゲストに、愛さんと親交あるモト冬樹さんが来ていて、「あー、飯島愛は相当化粧うまいよ」と、こんな話をしてくれました。
「いつか、楽屋前の廊下で、全然知らないスッピンの女に“あーモトちゃんこないだごめんねぇ、アレあの後どうしたの?”ってものすごい親しげに話しかけられて、あれー誰だっけ?と思って何も返せなくてドギマギしてたら、向こうが“アッごめん、時間ないんだ、あとでね”ってパーッて走って行っちゃったの」「その後ずーっと“誰だったっけな?”って楽屋でも考えて、考えてどうしてもわかんなくて、そのうちリハーサルですってADさんが来たんでスタジオ入ったら、つかつかっと飯島愛が来て“さっきごめーん、それであの後さぁ…”って喋り始めたから、あぁそうか、さっきの、飯島愛だったのかってやっとわかった(それくらいスッピンと化粧後が違う)」…
…狭い範囲のサンプルしか検証例がありませんが、化粧のうまい、化粧前と後にびっくりするほどの差のある女性って、もちろん華のある、モテる人が多い反面、往々にして気ぃ遣いで小心で、周りに人目のないプライベートな時間は読書や手芸に明け暮れるなど、むしろ地味なことが多い。他人に見られることを必要以上に気にかけ過ぎて、スタックアップしたりテンション上げたり。飯島愛さんもそういう傾向の人だったのではないでしょうか。腎盂炎の予後が良くないことを心配しておられたようですが、いま考えると芸能界から完全に“引退”ではなく、“病気療養休業”にしておいたほうが孤独感が少なくて済んだのではないかという気もします。ブログからの活発な発信が続いていた反面、昨年の引退宣言後の生活ぶり、精神状態を詳知し構ってあげていた人が、事実上皆無だったようなのは意外でした。ブログって、発信のセルフコントロールが自在な分、忌憚のない真実はまったく伝えないものですね(って自分もやってるけど)。
しかし、引退でなく休業扱いで業界の友人知人との交渉が頻繁なままでは、逆に気持ちが休まらなかったかもしれないし。小説『プラトニック・セックス』の大ヒットで、バラエティやグラビアへの露出を自転車操業的に続けずとも当面暮らして行ける作家的実入りを得たのもマイナスの引き金になったか。“止まって休んでいられない”ことが救いになる場合もあるものです。
セクシーでキュートで庶民的で、ちょっと辛口で派手っぽい外見とはうらはらに「悪く言う人が誰もいなかった」(評論家宮崎哲哉さん@『ピンポン!』)という愛さん。
どちらのファンからも抗議の嵐かもしれませんが、何だかマリリン・モンローの最期を思い出してしまった。どうか彼岸で安らかに。
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