この時期のアメリカ市場の事業展開は、素晴らしいの一語に尽きるものであった。
1973年のKMC。
販売台数16万台、デーラー数1000店。
売上金額1億ドル。税引き前利益400万ドル。
当時の事業部の売上の60%、利益の70%がアメリカ市場からもたらされていた。文字通り単車事業部の経営を支えたのである。
まだ、若かった私もいろんな意味で影響を受けたし、その後の動きの支柱となったものも多い。
前述の売上、利益についても、私が特に印象に残っているのは、この売上と利益が総資本利益率8%近いものであったこと、即ち総資産の回転が年2回に近かったのである。
多分こんなことを意識した人は殆どいないと思う。
当時東北で在庫過多から来る資金回転の悪さ、借入金の金利に悩み続けた経験が売上の大きさよりは回転のよさに驚いたのである。
大阪担当のときに各所長に総資本利益率10%を目標に指示したのも、スケールではとてもアメリカにかなわぬが、内容では勝負したいと思ったからである。
その後、販社や事業部の企画時代も経営の関心事は、総資本利益率であり回転率であった。
これは、このときのKMCの実績が教えてくれたものであり、本当に役に立ったのである。
現実に、その後の事業部再建時に特に留意したのはこの問題であったし、更に後、KMJで借入金ゼロの無借金経営が出来たのも、このときのKMCの経営内容、回転率の良さを常に意識し続けたお陰である。
このほか、マーケッテングで「はハードと共にソフトを売る」というコンセプトで当時の全米広告グランプリを獲得するなど一世を風靡しカワサキのブランドイメージを築き上げる端緒となった「Kawasaki Let the Good Times Roll」のフレーズが発表されたのもこの時期である。
これは、一時他のフレーズに置き換えられていたが、高橋さんや私が企画を担当した時期に基本コンセプトとして復活し今尚カワサキのコンセプトとして受け継がれているのである。
このように、いろんな意味で素晴らしかったアメリカの事業展開も75年頃からいろいろな問題が重なって大変な時期に繋がってゆくのである
1973年のKMC。
販売台数16万台、デーラー数1000店。
売上金額1億ドル。税引き前利益400万ドル。
当時の事業部の売上の60%、利益の70%がアメリカ市場からもたらされていた。文字通り単車事業部の経営を支えたのである。
まだ、若かった私もいろんな意味で影響を受けたし、その後の動きの支柱となったものも多い。
前述の売上、利益についても、私が特に印象に残っているのは、この売上と利益が総資本利益率8%近いものであったこと、即ち総資産の回転が年2回に近かったのである。
多分こんなことを意識した人は殆どいないと思う。
当時東北で在庫過多から来る資金回転の悪さ、借入金の金利に悩み続けた経験が売上の大きさよりは回転のよさに驚いたのである。
大阪担当のときに各所長に総資本利益率10%を目標に指示したのも、スケールではとてもアメリカにかなわぬが、内容では勝負したいと思ったからである。
その後、販社や事業部の企画時代も経営の関心事は、総資本利益率であり回転率であった。
これは、このときのKMCの実績が教えてくれたものであり、本当に役に立ったのである。
現実に、その後の事業部再建時に特に留意したのはこの問題であったし、更に後、KMJで借入金ゼロの無借金経営が出来たのも、このときのKMCの経営内容、回転率の良さを常に意識し続けたお陰である。
このほか、マーケッテングで「はハードと共にソフトを売る」というコンセプトで当時の全米広告グランプリを獲得するなど一世を風靡しカワサキのブランドイメージを築き上げる端緒となった「Kawasaki Let the Good Times Roll」のフレーズが発表されたのもこの時期である。
これは、一時他のフレーズに置き換えられていたが、高橋さんや私が企画を担当した時期に基本コンセプトとして復活し今尚カワサキのコンセプトとして受け継がれているのである。
このように、いろんな意味で素晴らしかったアメリカの事業展開も75年頃からいろいろな問題が重なって大変な時期に繋がってゆくのである