ホシノインパルのホームページの中に、星野一義レース経歴として下のように書かれている。
1963年、カワサキコンバットに入ったときから、68年まで5年間カワサキのモトクロスライダーとして、カワサキに籍を置いたのである。66年までは、私自身レースチームを統括していた時期である。
初めて星野を意識したのは、この経歴にも書かれている64年の和歌山でのデビュー戦のときである。星野一義、まだ17歳の秋である。
確かに、星野はレース場をカワサキのマシンで走ったのだが--。
この日のことは、この『星野が初めてレース場を走った日』と言うブログでアップしている。
当時のカワサキコンバットには、今星野と一緒にホシノインパルを経営している金子豊君もいた。
私は67年からは、営業に異動し仙台で東北6県を担当したのだが、モトクロスの盛んな東北には、星野もこのブログによく登場する星野の兄貴分の60おじさんもよく遠征に来ていたし、郷里の秋田に戻っていた金子豊君もよく顔を出していた。
金子君とはカワサキコンバット時代よりも仙台時代のほうが、いろいろとよく付き合ったものである。
【 星野一義 レース経歴 】
1947年
■7月1日静岡県静岡市生まれ
1963年
■神奈川県海老名市のカワサキ・コンバットという2輪のレーシングチームに入る
1964年
■2輪モトクロス・レースを開始。和歌山でのデビュー戦は、転倒・脳震盪で入院
1965年
■4/17~18日、第12回全日本モトクロス大会ノービス90ccクラスで初優勝、年間4勝■MCFAJランキング/ノービス90ccチャンピオン
1966年
■モトクロスで年間5勝を挙げる
1967年
■MFJ全日本モトクロスランキング/ジュニア90cc、同125cc両クラスで2位
1968年
■カワサキ(神戸・木の実レーシング)の契約ライダーとなる
■MFJ全日本モトクロスランキング/セニア90cc、同125cc両クラスでチャンピオン
■セニアクラス最優秀選手としてヨーロッパへ派遣
1969年
■日産自動車の契約ドライバー採用テストに合格
■11月にスカイラインGT-Rを駆って4輪レースデビュー
(富士スピードフェスティバルで4位)
1970年
■筑波サーキットのオープニングレースにて4輪レース初優勝(スカイラインGT-R)
1971年
■富士ツーリングチャンピオンA部門6位
1972年
■4月の『レース・ド・ニッポン』でチェリークーペで総合2位=クラス優勝(with 歳森康師)
(2011-3-4, カワサキの想い出、そして未来 で 兄貴分山本隆と )
経歴の72年、一緒に組んでいる歳森康師もカワサキにいた。彼が先に4輪に転向して、星野を4輪の世界に誘ったのである。歳森は今,ひょこむのトモダチでもある。
今日は、カワサキの昔話でもなんでもない、このブログ、NPOのカテゴリーで書いている。
実は、昨日の午後ホシノインパルの金子豊君にNPOのことで電話をしたのである。要件はNPOをやるので『団体会員で入れ』ということである。
エラそうに言っているのではなくて、『入って下さい』などと言うのは、逆におかしな雰囲気になってしまうのである。まあ、そんな風に言える昔の仲間なのである。
ただ、星野も金子もパソコンがダメなのである。
製作中のホームページで説明したいのだが、それがダメである。パソコンの出来るお嬢さんに代わって貰って、説明をしバナーを送ってくれるように依頼した。
金子君には『だまされたと思って』と言ったら、『だまされたと思って入る。』二つ返事だったのである。
仕事の話は、もっぱら事務所のお嬢さんとして、金子君とは久しぶりの雑談をした。
『お元気そうですね。お幾つになられました?私も66ですから。星野もタバコを止めたら肥えちゃいました。ゴルフやってますか?』
昔とまったく、同じように喋れたのはよかった。
ホシノインパルのホームページは、毎日1万以上のアクセスのようである。
いろいろ、商売が難しくなって、海外、東南アジアでもってます、などと言っていた。
ホームページを充実するようにしているとか、パソコンは出来なくても方向は間違っていない。流石である。
ひょこむのときは、星野も金子も金谷も清原もみんなパソコンがダメで、誘えなかったが、今回はパソコンは特に必要でないので、気楽に誘えるのがいい。
今度のNPOで副理事長として助けてくれるタッチャンは、九州のサーキット、オートポリスではみんなと繋がっているのだが、今度はまた違った意味でのお付き合いである。
いろいろなご縁があるものである。
60おじさんも久方ぶりに、弟分の星野との再会ができるかも知れない。
60おじさんに、この件『星野、お前が電話するか?』と聞いたら『ちょっと疎遠になってるから』と言うので私が誘ったのである。
『じゃ、太一ちゃんは頼むな』星野と同じ時期にデビューの吉村太一君、今スズキのレース総監督である。
また、違った意味でのネットを通じて、このNPOを通じて、レースのOB会ができたらいいと思っている。
最後までお読み頂いて有難うございました。
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