雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

平井稔男さん のブログから

2012-05-10 05:23:05 | カワサキワールド

★『カワサキの真打ち』と自ら言って憚らない 平井稔男さんは、私と同い年である。

彼のブログ名は『Team Green』 文字通りカワサキのレースの歴史が語られている

 

そのブログの中で最近シリーズで書かれているのが、

『グレートヒ―ローズ同窓会  葵月の陣』 である。

昨年、平井さんが主催した『カワサキの想い出、そして未来』 を受けて、今年は関東の筑波サーキットで、

丸山浩、蘇原宏介さんコンビで、6月10日に開催する、『Taste of Tsukuba 6/10 葵月の陣』 という往年のライダーの同窓会イベントからのネーミングなのである。

 

★ 関東のライダーたちが主役だろうが、平井さんは塚本昭一君を連れての参加のようである。

懐かしい名前も、写真もいっぱいだから、そこからお借りして、私なりの感想をご披露したい。

 

昨年3月4日、平井さん主催の『カワサキの想い出、そして未来』

再び、こんな豪華メンバーは集まらない、と思うほどのメンバーが集まった。

平井さんが左右に従えているのは、左から、カワサキ二輪事業の御大高橋鉄郎さん、高橋さんが何と言ってもトップである。カワサキの初めてのレース青野ケ原の監督でもある。

その横、田崎雅元さん、元川崎重工社長、ここでは昔のレース仲間である。平井さんの右は百合ちゃんこと百合草さん、平井さんの時代のレース監督でもある。一番右は稲村さん、Z1のエンジン開発者、カワサキの4サイクルのエンジンは稲村さん、田崎さんの同期である。

 

 

私がFacebook のバックに使っている写真、『カワサキの想い出、そして未来』のメインゲストである。

左から、金谷秀夫(ヤマハ)、星野一義(日産)、木村夏也(スズキ)この3人はノ―ビス時代から有名になるまでカワサキで育った。

そして、吉村太一(スズキ、ホンダ)、田中隆造(BS) ここまではスターである。スターには『さん付け』などする方が失礼だと思っている。

みんな私のレースマネージメント時代の新人、およびスターでもあった。

一番右は、ホンダファクトリーの渡辺信義さん、ネットでは繋がっていたが、お会いしたのはこの時が初めてだった。

このメンバーはなかなか集まらない、私の『宝物』のような写真である。

 

 

この人を忘れるわけにはいかない。

カワサキ創成期のファクトリーチームを支えたMr kawasaki 60おじさんこと山本隆。

星野一義の育ての親みたいな存在なのだが、いまはNPO The Good Times の理事さんで、このカワサキの想い出、そして未来では、むしろホスト役、

東京から来た星野の送迎などやってくれていた。

 

カワサキの想い出、そして未来には、何故か来なかったが、歳森康師。

カワサキのファクトリー契約第1号である。これは1年前のカワサキファクトリーOB会の時の写真。

金谷秀夫をカワサキに引っ張ったのも、星野一義を日産の4輪に引っ張ったのも歳森なのである。

 

 

 

 これも、ファクトリーOB会の時の写真。  まさに『平井ファミリー』

清原、杉尾、竹沢、 まさに平井さん時代の神戸スーパースポーツ&Team Green時代のスターライダーたちである。

 

 

★ちょっと旧い、白黒の写真を、

みんなそれぞれ若い。

 

 

 金谷秀夫、カワサキ時代も、『世界の・・、』はつかなかったが、速かった。

 

従野孝司 、片山義美さんの弟さん。

片山義美さんのおふくろさんに私が頼まれて、カワサキの製造部のラインに1年間、その時の製造部の係長が田崎雅元さん、

1年後レース職場に、彼の最初は清原とともにモトクロスライダーだったこと、あまり知られていない。

 

 

 

故西海義治さん、兵庫メグロ社長 元プロのオートレーサー。

この人がカワサキのレースの実質的な創始者かも知れない。

レースの『レの字』も解らないカワサキのために兵庫メグロの故松尾勇さんをカワサキに送り込んで、創世期のカワサキはF21Mまで車体は全て松尾勇さん作。

技術部ははエンジンのみの担当だった。そんな関係でレース職場が製造部の傘下だったのである・

 

 

片山義美さんが神戸木の実クラブを主宰していて、ご本人はスズキの契約だったが、歳森、山本、金谷などクラブ員はカワサキの契約ライダーが主力だった。

片山義美さんの上に、西海さんがいた。 そんな感じだった。

 

 

 

 

 

清原、和田の時代、カワサキのロードレースは華やかだった。

だが私は清原も、和田も、レース場で見たことがないのである。一番レースから遠ざかってマーケッテングに集中していた時期である。

和田のゼッケンが 33番というのも知らなかった。

 

 

 

 つい先日、その和田将宏くんご本人が、Facebook にアップした写真である。

『和田さん、何番ですか?  知らなくてスミマセン』 と厚かましくコメントして、『33番です。』と答えてもらったのである。

レースは、見ていないのだが、それくらいはズケズケ聞けるくらいの仲なのである。専らレース場以外でのお付き合いだった。

 

 

 

★最後に、

平井さんのブログ、このイベントのために、延々と書かれているのである。

私の写真にでていた、ホンダのHRC 渡辺信義さんなどが、ホンダの旧いライダーさんたちを今から大挙お招びになるのだと思う。

関東周辺の方、ぜひ予定しておいてください。

平井さんの元気のいい声が、聞けると思います。

 

コメント (2)
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