★ 11月19日と20日の2日間にわたって行われた「カワサキZ50周年祭」は私にとっては「昔の仲間」との再会でもあった。
今回のイベントは
「日本二輪車文化協会会長」の吉田純一さん。
元カワサキのワークスライダーで今回MFJの殿堂入りを果たした山本隆さん。
それに私の3人が発起人で、それぞれの関係から170人のメンバーが集まったのだが、
私にとっては「カワサキの昔の仲間たち」に会えたのがホントによかった。
Z50周年を祝う記念祭だから、
大槻幸雄・稲村暁一のZ開発のお二人がメインゲストだった。
大槻さんとは結構な頻度でお会いしているのだが、
稲村さんとは久しぶりの再会だった。
Zが世に出て50年なのだが、
その10年以上も前からのおつき合いなのである。
ちょうどZが国内に出たのは昭和48年春(1973)なのだが、
その頃私は国内の近畿地区の販売担当で、
新しい販売網・特約店制度をスタートさせたばかりの頃だった。
その頃は現在とは全く違った販売組織で、
全国に5万店もある自転車屋さんに、バイクを委託しての委託販売制度だった。
これは当時のホンダ・スズキ・ヤマハが50㏄のモペットを主体に売る販売網だったのである。
当時カワサキはその50ccの生産を止めて中大型のスポーツバイクを販売するという方針に転換した時代で、
業界に先駆けて「二輪販売専門店の構築」を意図したのだが、
なかなかそんなお店も少なくて「従業員のれん分け制度」などを創って、
カワサキ従業員の中から「二輪販売専門店」を募ったりしたのである。
吉田純一さんも、山本隆さんもそんな時期「二輪販売専門店」を立ち上げたメンバーなのである。
今回のイベントに参加してくれたこんなメンバーは
その当時の大阪・京都・兵庫の販売関係のメンバーたちで、
この中の7人がカワサキ販売店を立ち上げてくれたホントに懐かしいメンバーたちなのである。
こんな機会でもないとこんなメンバーは集まらない。
ひょっとしたら、これが最後かも知れないのである。
今回、あの星野一義も東京からやって来た。
彼がカワサキに入ってきたのは、まだ17歳の頃だった。
彼のいいところは有名人になった今も全くその頃と同じような星野なのである。
当時は横にいる山本隆が星野のお師匠さんだった。
星野と村上力とのスリーショットである。
そして翌日の加西では、
加西市の副市長もされた佐伯武彦さんが歓迎スピーチをしてくれた。
彼は私より5つほど後輩で、若いころはアメリカのリンカーン工場など
カワサキ独特の生産方式など創り上げた実力者で、
後、川崎重工業の副社長もされたのだが、
久しぶりにお会いして、昔の関係のままで半日をお付き合い頂いたのである。
Zの取り持つご縁で、私にとってはなかなかの2日間だった。
まさに Kawasaki Let the Good Times roll !
カワサキに出会う人たちがハッピーになるそんな2日間だったのである。