雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

出世を望まない若者が増えている

2010-09-15 05:24:48 | 発想$感想
★昨日の大西宏さんの 『若者を嘆くまえに』というブログからである。

非常に共感を覚えた。

『出世を望まない若者が増えている』という産経新聞の記事がベースなのである。

『昨年、リクルートが高校生を対象に行った調査で、「将来、会社の中で偉くなりたい」という高校生は29.6%しかいないのに対し、「自分の趣味や好きなことができる仕事をしたい」は79.9%にのぼった。』
と言うのである。
至極当たり前の話で、、「将来、会社の中で偉くなりたい』ことだけが目標のような人は、仮にその地位についても、『何も、出来ない人』が殆どのような気がする。
「自分の趣味や好きなことができる仕事をしたい」 という生き方の方が、よほど人間らしくて、オモシロイ。

ずっと、『何になりたい』という人たちよりも、『何をやりたい』と言う人たちばかりを選んで、付き合ってきた。
会社の現役時代も、年金生活の今もそんな生き方を貫いている。


★どうも産経の記事は、一方的に決めつけてしまっている様な気がする。

大西さんはこの産経の記事に大略こう言われている。

『高校生を非難する前に、なぜそうなってしまったのか、なぜ若い人たちが夢をもてなくなってしまったのか、
社会全体がチャレンジしなくなっているわけで、若い人たちの意識もそんな社会的な風潮を映しているに過ぎないのではとも思います。

最後のダメ押しが、東京経済大コミュニケーション学部の関沢教授の嘆きです。
電車に座っている人全員が携帯を操作しているのを見て、「電車に乗る時間さえもバーチャル(仮想的)なデータにさらされ続けているのでは、五感が鈍っていくばかりだ」とは大げさではないか。
ではタブロイドの夕刊紙で恥ずかしくなるような紙面も広げる中高年の人たちは、五感による判断能力が低下していないのでしょうか。

おなじ携帯をやっていても、すべてメールとは限らない。ゲームかもしれないし、SNSかもしれないし、ツイッターかもしれません。
バーチャルな世界といいますが、つながっている先にはリアルな人間がいるわけで、誰が書いたかもよくわかららい新聞こそバーチャルそのものともいえるのではないか。

現代は、マスメディアよりは、SNSやツイッターという個人が起点となったコミュニケーションのほうに人びとの関心や重心が移ってしまったので、それで新聞の発行部数が減ったとしても誰も関心はない。
まあ、若い人達を嘆くのは、太古の昔からのお年寄りのくせですが、それだけ産経の記社さんも年をとったということでしょうか。』


★いつも大西さんは産経にはちょっと厳しいのだが、産経に限らず紙媒体はだんだん過去のものになるだろう。
新聞や紙の媒体が悪くなったのではなくて、新しく出るネットのシステムが素晴らし過ぎるのだろう。

携帯は持っていないので、よく解らぬが、パソコンだけでも、
私のような年寄りでも、今のツイッターなどのスピードや、その解析の素晴らしさや、見知らぬ人でも『繋げてゆく』そのシステムには魅せられてハマってしまうのである。
旧い人たちが、その分野に挑戦しないから、その良さが分からないのだろう。私が携帯の良さが解らないのと同じである。

若い人たちの不甲斐なさをこう嘆くのだが、
『知らない世界には立ち入らず、リスクを避ける。何でもネットで体験し、現実と触れ合わない風潮がある』
そう嘆く旧い年代の人たちも、『知らないツイッターの世界』などには立ち入らず、なんでも自分たちの経験だけが最高と信じ、現実と触れ合わない風潮がある。』

などと、思ったりする。
世の中、受け入れられないものは自然に淘汰される、競争社会なのである。

是非、若者以外の方も、もう立身出世は諦めたのかも知れないが、『何をやりたいのか』 自分のやりたいことを明確にして、新しいことにチャレンジして欲しいものである。
新しい世界には、新しい発見があるはずだ。
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環境がフクロウを育て、人を育てる。

2010-09-14 04:56:57 | 発想$感想
★昨日は子供たちと一緒に、田んぼで稲刈りをした。

同じ三木でもずっと北、三田に近く、吉川のはずれの方向だが
場所はどこと説明するのも難しい、沢と言うか谷と言うのか細く曲がりくねった道をを下って行ったところであった。

普通にある整備された田んぼではなくて、昔の人はこんな山あいを拓いて田んぼを造ったのだと、その苦労が忍ばれた。
そんな場所なのである。それだけにまだ自然がいっぱい残っていた。



田螺がいっぱいいるのはお分かりだと思うが、メダカもいっぱいいるのである。



そこは昔ながらの田んぼのあぜ道でコンクリートなどは何もない。
最近は1匹幾らで売っている養殖のメダカしか見たことがなかったので、群れをなして泳ぐメダカをみたた時は感激であった。



子供たちは、小さな亀やカエルを捕まえて大喜びだった。
こんな光景を見ていると、自然はいいなと思うのである。

田んぼの水路でドジョウやメダカを採ったりしたのはまだ息子が子供だった1970年代のことだから、もう50年も前の話なのである。
緑が丘に住む子供たちも稲刈りをする姿やこんな表情をみていると、
コンクリ―トジャングルの大都会で住んで、自然を知らずに大きくなってしまう子供たちはかわいそうだなと思うのである。


★今朝民放のテレビで、北海道の「しまふくろう」の話をしていた。
自然破壊で激減した「しまふくろう」を戻そうと、自然に植林をして住める環境づくりをしているグループの話である。

木が生長し、川の水がきれいになって、サケがいっぱい戻ってきたとか。
自然の力はスゴイナと思って、『しまフクロウ』のことをしらべていたら、こんなサイトを見つけた

その中の一つ。すこし長いが、『自信あり』の記述のようなので、その大要をご紹介してみる。


『世界でもフクロウは知恵の神などと祭っていましたが、日本では、アイヌ民族が、フクロウをこの世の最高神として祭っていたそうです。

 さて、まず、アイヌの気質ですが、あらゆるモノに宿る神々を信じていました。
アイヌは、熊も鹿も天上国では衣服を着て言葉をしゃべり、家に住んでいて人間と変わらないが、地上に降りている時は、獣の姿に変装していると考えていました。
そして、人間に狩られた時にその肉は人間に土産として与え、天に帰って行く神なのだそうです。つまり、イヨマンテは、「熊送り=熊の霊を天に差し戻す祭り」なのです。

 このような考え方を持っているアイヌが、最高神として崇めたのが、熊でも鹿でもなくフクロウでした。それも世界で最大といわれる島フクロウです。
アイヌは、彼らの事を『コタンコロ・カムイ(村を守る神)』や『モシリコロ・カムイ(国を守る神)』『アノノカ・カムイ(人の形の神)』『コタンコロチカプ・カムイ(村を支配する神)』等と呼び、生活の中に重要な神としました。
その理由は、島フクロウの習性にありました。島フクロウは、魚など、のどやはらわたの一部しか食べず、ほぼ手付かずで魚を残す行動を取ります。アイヌはこの行動を、神が貧しい家や男のいない家への贈り物として残したと考えたのです。また、夜に響く低音の鳴き声は、人々を魔物から守るために発せられると考えたいました。

 フクロウの名は、『福来鳥』や『不苦労』の字が当てはめられ、今では全国的に縁起の良い鳥です。 』


★子供ころ、自然いっぱいの環境の中で育ったためか、どうもコンクリートジャングルのような便利なマンションの生活は苦手なのである。
少々不便であっても、人は自然の中で育つ方が、人間味のある『人らしい人』に育つのではと思っている。

私の経験から言うと、東北の人も良かったし、
九州の直入町の方たちも、本当に温かみがあってよかったと思っている。
現在は、三木に住んでいるが、昨日行った吉川の人たちはみんないいひと、ばかりでいつも東北の人の良さを思い出したりしている。

それは学校の教育などよりも、育つ環境が、「しまふくろう」を育て、人を育てるのではないかといつも思っている。

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いい日曜日、今週の始まりでした

2010-09-13 04:19:47 | みっきぃふるさとふれあい公園
★日曜日は週末なのか?週の始まりなのか?
そんなことをしらべることから、1日が始まりました。

今年の5月の末でしたか、私の住んでいる緑が丘のまちの子供たちが、
田植えを体験しそのあとで田んぼの中での『泥んこドッジボール』をやったのはついこの間のことのようでした。

それは新聞にも掲載されて、こんな写真も載りました。


あの日は田植えの時期で雨だったのですが、稲刈りの昨日は絶好の好天に恵まれた、日曜日でした。
その1日の様子を、写真で追っかけてみます。



★朝8時、緑が丘の小学校前に集合です。
田植えのときと同じメンバー、緑が丘の子供会の宮森さんアラケンさん、そしてさるとるさん
子供たちは、もう遊んでいます。



子供たち12人を車に分乗させて、向かった先は5月と同じ、吉川の熱血漢丸坊主さんのお屋敷。
今回はこんな本格的な1500万円もする機械も同行。
朝のご挨拶です。

 

向かった先は、こんなところ、昔ながらの田螺もメダカもいっぱいでした。



5月23日に、こどもたちが植えた稲は、豊作でこんな状況でした。
熱血漢丸坊主さんがカマの使い方、稲の刈り取り方法を、子供たちに丁寧に説明。



いいよいよスタートです。残暑の厳しい中、こどもたちは頑張りました



見事に稲は刈り取られて、落ち穂拾いそして本格的な機械での脱穀です




第一ラウンドを終わって、記念撮影、そして吉川の子どまたちが待つ、別の田んぼでのドッジボールとサッカーの対抗戦。
仲良く1勝1敗でした。


  
そしてこんな高台のお屋敷でのカレーの昼飯。



こんなに沢山の収穫でした。これを乾かして精米して2カ月後、お米になるそうです。
お米になったら今度は緑が丘で、食事のパ―テイでもやりましょうと言うことになりました。




★この催し、多分毎年行われることになるでしょう。
どこの主催などと言うものでもありません。

さるとるさんやJJさんと言った役所のメンバーも、熱血漢丸坊主さんたちJCのメンバーも、緑が丘こども会の人たちも、
今年の市長選に出た、いなだ三郎さんも ikeda33さんも、加わってはいますが、みんなヨコ一線の繋がりで、
さるとるさん、熱血漢丸坊主さん、アラケンさんが引っ張っているのでしょうか。
強いて言うなら、みんな NPO The Good Times のメンバーたちですが、別にそれにこだわっている訳でもありません。

予算など一切なくて、みんなの善意で成り立っています。
いい1週間のスタートでした。

殆ど同じメンバーで、吉川の長谷のブドウ園で企画された、『ブドウの早食い競争』は各紙に取り上げられましたし、
NHKでも放映されたりしました。

みんなハンドルネームで呼んでいるのは、ブログやツイッターでの毎日のお付き合いだからです。
明日のブログやツイッターでは一斉に情報発信されることでしょう。





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学校での学問とは、何だろう?

2010-09-12 04:45:55 | 自分史

★小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年+1年。
考えてみると17年も学校生活を過ごしたことになる。

戦時中、戦後と言う激変の時代であったからか、学校での教育方針も4つの学校で全然変わっていて、
学問とか専門知識を学んだり、躾を学ぶところが学校だとすれば、学校で学んだもの、そして自分の身に付いたものがあるとすればそれは何だったのだろうか?

★小学校
これは朝鮮京城の桜ケ丘小学校、途中から国民学校と呼ばれるようになった。
1年生に入学当時から既に中国とは戦争状態にあり、大東亜戦争も始まって、まさしく戦時中であった、

ただ、戦時中でも内地と違って、空襲も疎開もなく、食糧事情なども何の問題もなくて、しっかりとした小学校教育を受けたと実感している。
先生の名前を思い出すのも不思議なほど小学校時代の先生ばかりで、中学校以降はあまり先生の名前も覚えていない。
戦時中であったからか、小学生ではあったが、子供としてはほとんど扱って貰った感覚はない。
4年からは確か、男女別々の組み分けであったし、教育勅語も、毎月大詔奉戴日の8日には大詔の詔も奉読されて、それを直立不動の姿勢で聞いていた。

学問というか教科の方はある程度、高いレベルで行われたのではなかろうか?
結構全体の平均値のレベルは高く、いわゆる『落ちこぼれ』みたいな生徒はいなかったのではと思う。
勿論、塾などはなかったし、毎日縮題があったりしたわけではないのだが、学校ではちゃんとよく勉強をした。

よく遊び、よく学んだ小学校時代で、小学校レベルの学問は間違いなく身についていると思う。
卒業時点では『府伊賞』という知事賞みたいなものを頂いた。
学問だけなら、もっとできる人がいたと思うが、多分良く学びよく遊んだ戦時中の模範の生徒ぐらいのことだったのだと思う。
ソウルのあの寒い冬に、靴下もはかずに6年間学校に通ったのは有名であった。
別に親に言われたわけでもなく、何も威張れることでもないのだが何故かそれにこだわっていた。

★中学校
中学校は京城の城東中学校に入ったが、1年の夏に終戦、その年の暮に引き揚げてきた。
翌年の春、神戸一中に1年から再入学した。

神戸一中はいい学校であったと思う。
どこの卒業か?と聞かれたら、躊躇なく『神戸一中』と答えたくなるような学校であった。
ただ、学んだ学問と言えば、英語と数学ぐらいだろう。そのほかはそんなに覚えてはいない。

学年で50番までを『特』と評していて、ずっと『特』であったし、一番いい時は10番以内にいた。
これは中学2年生までの旧制神戸一中時代のことであり、3年になって県立1女と男女共学になる時点までであった。
私が学校で、学問の勉強をしたと自分でも思うのは、この中学2年生のころまでである。
そこまではよく勉強もしたし、特に英語数学は面白かった。

教科の進み方が無闇と早かったので共学になってからは、ずっと以前に習ったところまで戻ってしまった、
私の学校での学問として得た知識は、中学2年までである。
それ以降、大学を卒業するまで、ほとんどと言っていいほど新しい知識を得ていないと思っている。

そういう意味では、学歴は間違いなく、中学卒なのである。

★高校
学区制が敷かれて、高校は当時は野球の名門と言われた明石高校に進んだ。
3年間、野球はホントに一生懸命やったのだが、勉強は授業は受けたが勉強した実感はほとんどない。
高校に入って父が病気になり、大学に行かずに就職するつもりであったから、余計に勉強などしなかった。

大学を受けるのに必要な進学適性検査もうけるつもりはなかったのに、野球部のトモダチが一緒に受けようと誘うので付き合ったまでである。
でも、考えてみればよく受けていたものである。
正月の1月2日に父が亡くなって、それから大学受験を急拠することになったのである。
受験勉強をする期間も2カ月ぐらいしかなかったし、受験科目が少ないという理由で神戸商大を選んだのである。
就職は既に決まっていたし、1校だけの受験であった。
その年は16,5倍の競争率でとても通るなどとは思ってもみなかったのに、運よく通ったのである。

高校時代、勉強をした期間と言えば、この最後の2カ月だけである。
あまり覚えてはいないが、やりかけたら人並み以上に頑張る性格なので、多分一生懸命やったのだと思う。


★大学
特に、目的もなく運よく入った大学であったので、のっけから勉強などする気がなかった。
母子家庭で授業料免除、特別奨学金をもらっていたので、給料を貰いながら学校に行っていた様なものだった。
学校のグランドと食堂には毎日顔を出したが、教室に入ったことはほとんどなかったし先生の名前も顔も知らなかった。
大学とは不思議なところで、点が悪くても単位は幾らでもとれるのである。
成績は『可』だが、単位はどんどん取れて単位だけは問題なかったのである。

当時は、就職難の時代で『可』など取っていたら、いいところに就職できないからと、『可』なら単位は要らないなどと言う風潮もあって、どうもそれがイヤだった。
第二外国語を中国語にしたのは、先生が中華料理店の先生でみんな『優』をくれると言う評判で、ドイツ語やフランス語を受けて落ちた3,4回生が諦めて受講する学科だったのだが、迷わず1回生から受講したのである。
商大なのに何故か簿記は必須科目でなかったので、授業に出ないと点が取れない簿記は初めから受けていない。

当時二桁以上の『優』がないと就職が難しい時代であったが、『優』は5つしかなくて、残りのほとんどが『可』で、それこそ二桁の『可』だったのである。
その5つの『優』は、体育実技と体育理論、これは当時は阪神タイガースのトレーナーの先生で、運動部の学生は全員『優』なのである。
それと中国語の1&2、もう一つは野球部の部長の田中先生の人文地理であった。

卒業は昭和31年で不景気で、今年はコネでは難しいと砂野仁さんに言われて、1年卒業を延ばして野球部の監督をしていたのである。


、★そんな学生生活であったが、
昭和32年は、打って変わって『神武景気』になって、コネで川崎航空機に入れて頂いている。

ただ、面接では『君は成績悪いねえ』という当時の人事課長塚本さんの一言で始まったのだが、
神戸一中に入学することを薦めて頂いた砂野仁さんが、一中時代の『特』のこともご存知で、途中で野球の話などに助け船を出して頂いたりして、『君、面接だけはよかったよ』と、あとで言っていただいたりした。

中国語の『優』二つは、後に川重が中国班を創る時に候補に挙がって、ほとんど片足を突っ込んでいたのだが、当時の単車の堀川運平さんや高橋宏さんなどが、本社に交渉して取り返して頂いた様である。
そして当時の単車企画室堀川室長、高橋宏部長の企画に移ったのである。

学生生活の学問など何だろう?
技術屋さんや、弁護士などは確かに専門知識もいるのだが、少なくとも私が歩いた道などは、中学校までの知識があれば十分通用すると思う。
学校はもっと人間としてのベースとなる何かを教えなくてはならないと思う。
私はそれを中学2年までと、その後の運動部の生活で学んだと思っている。
個別の勉強など社会に出てからでも、年金生活に入ってからでも、幾らでも出来るものだと思うのである。


中学3年からは殆ど勉強などしなかった学生生活だったが、何とかなっているのは、『運がよかった』からだろう。
人生77年生きてきたが、『運がいい』と信じていたらどんどん『運』は付いてくるものだと思っている。
いまでも私は、人なみはずれて『運がいい』と信じて疑わないのである。
思ったことは、ほとんど実現できる運の良さである。

不平や不満など文句ばっかり言っていると、運など逃げてしまうのだろう。
『信じる者』をヨコに繋げば、『儲かる』のである。 それくらい太平楽に生きるほうが人生はうまくいくと思っている。

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世の中ひょんなことで繋がって、面白く発展するものです

2010-09-11 05:29:58 | 発想$感想

★ひょっとしたら、これはちゃんと繋がって、武雄で『こゆりさんの個展』など開催されることになるかも知れない。

そうなればいいと思ってお手伝いをしているのですが、
その繋がり方がオモシロイ。

『RTつながる。つながる。 @hiwa1118: 今度はアートを中心につながる。RT @cooperjmkjr: @hiwa1118 今日の三木は雑感日記さんを中心にこゆりさん一色。koyuri_kさんもブログで感想を。
これは武雄の『樋渡市長のつぶやき』 を さるとるさんがリツイートしたものです

ここに書かれている雑感日記は、exciteのブログのことで、こんなことをアップしたのですが
どんどんツイッター上で燃え上がって終日賑やかでした。

とこんな風に書いても、ツイッターなどおやりにならない方には、『何のことか?』と思われるだろう。
それを承知で、その経緯を追っかけてみます。


★ここにに登場する人たちは

●主役 女性 こゆりさん     イラストレ―ター

●主役 男性 さるとるさん    三木の役所の職員、私のトモダチ、NPO The Good Times のアドバイザー、なんでも積極的にやりたがる人、仕掛け人、三木おもろいわの編集者

●助演 男性 樋渡啓祐さん   武雄市長、ツイッター学会会長 その他最近はあまり説明の要らない有名人(今は助演だが、主役になるかも)

私は、この3人の方の今後の成り行きを、見ながらただ応援をする応援者の立場です。


この話のスタートは、7月25日~8月8日、三木市立堀光美術館で行われた『小さなイラスト展』が始まりなのです。


7月31日のさるとるさんのブログに、初めて こゆりさんは登場します。
それまでにツイッターで既に接触があったようですが、これがそのスタートでした。

●だが待てよ、堀光美術館ならkwakkyさんが見逃すはずがないと調べてみましたら、
これはオープンの日に訪れてこんなブログをアップしています

kwakkyさんも、NPOの理事さんで、みんな仲間です。 こゆりさんとも会われていろいろ話もされたようです。
やはり、繋がっているのです。





そしてそれから1カ月以上も過ぎて突然さるとるさんのブログに、こゆりさんが登場したのです。
もし、ブログだけなら、何も起こらなかったかも知れません。

そこには武雄市長の樋渡さんのコメントを見つけたので、これがきっかけになって
私のブログにも取り上げたりしたのです。

ホントにひょんなことでひょんなことになるものです。
終日、ツイッターでは、こゆりさんで賑わいました。

そして、こゆりさんのブログでも いろいろと経緯が書かれています。

流石イラストレ―ターです、
さるとるさんのキャラが出来てしまいました。

そして、このブログにもさるとるさんと、樋渡さんのコメントがーー、

感激!! (さるとる)
2010-09-10 06:11:44
わーーわーーーわーーーー!!!
なんとなんと僕がキャラクターになっちゃうなんて。なんという光栄かな!!
それに、ブログ本文で「さるとる」が出まくりで、めちゃめちゃ嬉しいです!!
こちらこそ、今後ともよろしくお願いします!!
こゆりさんと行く!武雄温泉とレモングラスツアー 行きましょうね。
お礼 (はいびー)
2010-09-10 08:23:22
ぜひ、実現させましょう!!
よろしくお願いします。

ツイートで、市民の間でも盛り上がり始めました。
Unknown (こゆり)
2010-09-10 09:12:33
さるとるさん、こちらこそありがとうございます!!
樋渡市長!コメントありがとうございます
(はいびーとは樋渡市長のことです!)
ぜひ!実現させてください。
ありがとうございます!
武雄市に行きたい人この指と~まれ!


これはホントに実現しそうです。
ツイッターも、ブログもこんなにヨコに繋げば、どんどん面白く繋がります。
なかなか、いいものだと思います。

武雄と三木、またしっかりと繋がればいいですね。

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鈴木宗雄さん&菅さん、小沢さん

2010-09-10 05:30:43 | 政治
★鈴木宗雄さんの実刑が確定した。

ツイッター検索で『鈴木宗雄』と検索してみた。
大勢は、最高裁の判断を支持している。これが民意なのかもしれない。
そのベースにある鈴木宗雄の印象は、今でも『疑惑の総合商社、ムネオハウス』などの時代のままのイメージなのである。

私はひょんなことで、『ムネオ日記』と言う鈴木宗雄さんが、毎日発信するブログを読むようになって鈴木宗雄に持っていたイメージは一新された。

本件に対する、鈴木宗雄さんの想いが書かれている。是非ご一読を。


★今は、鈴木宗雄さんは支持する数少ない政治家の一人である。
ムネオさんに洗脳されたのかも知れないが、『検察』にはいい印象を持っていない。

なぜ今、この時期に? 政治的な動きみたいなものを感じてしまう。
楽しみにして毎日見ていたムネオ日記も投獄されてしまうと、お別れになってしまう。
出所してからも5年間は国会議員にはなれない。
法治国だから仕方がないが、これくらいのことで実刑を受けるのなら、他にもいっぱい疑わしい議員はいるのだろう。
標的にされたのが運が悪かったのか。

リクルートの江副さんもホリエモンも、小沢さんにもそして今回のムネオさんにも、検察の標的にしようという意図を感じるし、
それ以前のマスコミの面白半分の世論操作みたいなことから、こんなことになるのである。

検察はホントに正義なのだろうか?

(追記)今朝ツイッターを見ていたら、てりーさんのつぶやきにこんなのがあった。
『鈴木宗雄議員は冤罪だ』  Yesが85%もあった


★昨日の民放の番組で、今回の代表選のサポーター票が
党員でもないところに送られたり、既に菅さんの名前が書かれていたり、自民党員のところにも送りつけられていたり、
聞いたらビックリするような話である。

どんな結果になるのか? もし僅差で総理が決まったら、自民党の党員の意思で民主党の総理が決まったりすることになる。

私がずっと追っかけられる『Yahooの意識調査』では、
最近では70%近くが小沢さんで、当初圧倒的であった菅さん支持も殆ど並ばれてしまった。
[[item(http://i.yimg.jp/i/topics/clickresearch/straight_blogparts_tate.swf?poll_id=5817&typeflag=2,150,480)]]


★世の中、いろんなことがあるが、なかなか本当のことは伝わらないし、一般大衆は知らないことが多いものである。
マスコミが伝えることが真実だとも思えないことも多い。

一度、頭の中に刻み込まれたイメージは、なかなか変わらないものである。
そんなもので作り上げられるイメージで判断するのが民意などと言われるものだから、
民意が直ぐ逆転したり、大きくゆれたりするのである。

そんな不安定な民意で、一国の総理が選ばれたりしたら困る。
ここはちゃんとよく解っているであろう国会議員さんの良識に期待したいものである。
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私の目標、7万台への挑戦 と 10万人のフォロワーなど

2010-09-09 05:37:24 | 7万台の挑戦の時代
★カワサキの現役のころ 『7万台への挑戦』という旗を上げて、バイクとジェットスキーを合わせて7万台を達成しようと、全員でその目標達成を追っかけた時代がある。
ぜファーも最盛期であったし、ジェットスキーも年間300台から一挙に8000台も売れて、この目標は見事に達成されたのである。

カワサキの国内市場が史上最高に輝いた時期で、懐かしく思いだされる。
このブログの中にも『7万台の挑戦の時代』とカテゴリーを作って、その時代のことを纏めている。

当時、業界や経済界でも 『堅い会社の柔らかい動き』 は注目されて、日経ビジネスには長谷川直樹記者の4ページ特集記事で
『名門復活の牽引車になるか』と紹介されたりした。



★目標の建て方にはいろいろあるが

●この7万台は、『年間移動値』での7万台である。

この目標は当時の上司高橋鉄郎さんにハッパをかけられて、年間実績は4万台に満たない時点で立てられた、まことに粗っぽい目標なのである。
先日もちょっと書いたが、二輪やジェットスキーなどの台数は元々市場などと呼ぶような規模ではないのである。
ちょっと視点を変えて頑張れば、倍増などそんなに難しいものではないと思っている。
事実、このときのジェットスキーは30倍近くにはなったが、買ってくれたのは『たったの8000人』だけなのである。

7万台と言っても、1年間で全国で7万台なのである。
人口1億の日本の中ではとるに足らぬ数字なのである。
目標の数字は出来る限り大きい方がいいと思っている。

●野球のイチローの『年間200本』はいい目標だと思っている。
『打率』は、シェア(市場占拠率)と一緒で、とれても一瞬で簡単に下がってしまう。
『年間200本』の安打数は増えても減ることはない。
どんどん増える一方だから、歳をとって年間本数は仮に減っても、通産生涯本数は増え続けるのである。



★私ももう77歳になった『オジン』だから、そんなに頑張ってみても知れている。

然し、何かやる限りは、
目標は大きい方がいい。
そして実現の可能性のある方がいい。
そして実現できたら、『どうだ』と気分よく威張れるものがいい。

そんなことで今取り組んでいる、幾つかの目標は『歳寄り』なりに頑張ったものになっているし、仮に実現しなくても失望しないように仕組んでいるのである。

●まず、NPO法人 The Good Times の活動だが

NPO法人とネットで仕組んでいるので、月間経費ゼロに近い法人である。人件費ゼロだし、電話もない法人である。
収入は団体会員1万円、個人会員1000円の入会金だけで、年会費はない。
イチローのヒットと同じで『増える一方』減ったりはしないのである。
現在、団体会員40グループ、個人会員約1000人だが、毎月カバン屋さんだけでも100人以上増え続けている。
仕組みで勝負しているので、遊んでいても会員さんが頑張れば、会員さんもプラスになるようなシステム。
『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』が基本コンセプトである。

個人会員でも1000人参加したら100万円が入るのだが、経費はゼロだから殆ど余ってしまう。
NPOなので利益分配は出来ないので、いろんな形で、いろんな活動に援助費として配っているのである。
こんないいシステムを見逃さずに上手に利用する人には、間違いなくGood Time が訪れるだろう。
ブログも、ツイッターも、システムだが、使う人によってその差は歴然なのである。


●このNPOと密接に関係があるのが、『ツイッターのフォロワーの増加』である。

今、注目のツイッターだが、NPO The Good Timesの公式ツイッターと、位置づけている。
このフォロワーの増加=各会員さんのフォロワーの増加  が 『リツイート』 という機能で実現するのである。
たった100人のフォロワーしか持っていない会員さんでも、『リツイート』すれば7万人に向かってその情報は発信されるのである。
そのフォロワーは、昨日7万人を超えた。毎月15000人増えるペースで5月にスタートして4カ月で達成できたのである。

今全国で110位近くで、100位以内ももうすぐである
もう河野太郎さんなどの有名人も抜き去ったし、このままのペースでいけば、小池百合子さんも、兵庫県トップの村上春樹さんも、自民党総裁の谷垣さんの上に行くこともほぼ間違いないのである。
とにかく目標10万人まで、あと2カ月頑張ってみたいと思っている。
10万人と言えば、今までの人生で目標とした最高である。

●体力年齢は41歳です。

先週の日曜日体力測定を受けてきた。

ちょっと数字が見えにくいが、体力年齢は昨年の44,8歳から3歳も若返って41歳になった。
柔軟性と敏捷性は20歳代だった。
これも年1回だが、目標にして頑張っている。
体重は80キロ腹囲は103センチで完全なメタボなのだが、血の検査は最高にいい数値なのである。

体力年齢は体重など関係ないのがいい。柔軟性と敏捷性にはストレッチと短距離ダッシュが効いていると思う。
じゃ年並みに悪いところがないのかと言えば、動体視力は全然ダメでで、ゴルフの自分の打ったボールがどこに飛んだのか見えないのである。
まあそれでも、体力年齢41歳は『気分のいい結果』なのである。


★それぞれっみんな目標をお持ちだろうが、
どんな目標にでも、『継続は力なり』 は通用すると思っている。
単純なのだが、なかなか実行できないといわれるが、これだけは自信がある。



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みんなのバス、出発進行

2010-09-08 04:54:50 | 樋渡啓祐さんのこと
★ 『みんなのバス、出発進行』 昨日の武雄市長物語の題名である。

過疎化、高齢化が進む中で高齢者の日常生活の足をどのように確保するのか?
これはどの行政でも、大きな課題なのだと思う。



大阪の箕面市などでも 乗れば乗るほど便利になる『オレンジゆずるバス』 という新しい仕組みが発表されて、
これはなかなかよく考えられているいい仕組みだとは思ったのである。
ただ箕面の場合、大阪に隣接しているし、人口も13万人近くあって都会に近い構造である。
新しいシステムも、田舎と違って仕組み易いのは事実だろう。


西日本新聞の社説、『解決へ地域力が試される』にもあるように、高齢者の「買い物弱者」は今後増える一方なのである。

どの自治体も何らかの取り組みを始めるのだが、本当に「買い物弱者」などが抱えている問題の解決になっているかどうかは疑問である。
私の住んでいる三木市でも、『みっきいバス』などというシステムがあって徐々に利用者は増えている。
ただ、『利用者が増えていると言うこと=末端の利用者の持つ問題点の解決』 にはなっていないのではないか?

行政の対応は、どうしても平均的な対応になり、特殊な弱者は置いていかれてしまっていて、見せかけの平均的な対策になっているのではないか?
でも、個別の特殊対応はどうも行政は嫌がるものだとばかり思っていた。


★ そんな中での、武雄市のこれはまた独自の取り組みなのである


この武雄の取り組みの仕方を見て、共感を覚えたのは、
何よりもこんな特例みたいなことが、お役所の中で実行できたことで、ホントに出来たのが不思議に思えるほどである。

この3年ほど市役所のやり方を見ていて、前例がない特例は認めないのが普通である。
みんなヨーイドンの一斉スタートを切ろうとするので、お金は倍ほどかかる。
ホントは反対の人、どうでもいい無関心の人まで連れていこうとするので、形は整うが実効は上がらない。
どんな仕事でも、本当にやる気のある人たちと組んでやれば、いい仕事ができる。
『まず成功のいい流れを作る』ことが一番である。

そのためにも、やる気のある人と組むべきで、やる気のない人と組んだのではせっかくのいい発想も実効は上がらない。
反対者や無関心な人たちのの説得などばかりに、手間も、時間も、お金もかかってしまうのである。

ただ『地元折衝や制度設計』など、前例のないことをやるのは大変なのである。
それを十分に承知した上で、決断できて実行に移せたのは『リーダーの決断』である。
『政策部企画担当の皆さん、日本で初めてとなる本格的な地域バス運用となるため、地元折衝や制度設計などかなりの苦労だったと思います。身内ながら、ありがとうございました』
と苦労してやり遂げてくれた部下への感謝を忘れない樋渡さんは立派だと思う。

武雄のみんなのバス、今後どんな進展を見せるのだろうか?


★いつの日にか三木も、武雄のように勇気を持って特別対策をやられたらと思う。

三木と言っても、旧い三木、新興住宅地の三木と農村の吉川ではそれぞれ価値観も違って、三木全体に通用することなどホントはそんなにないはずなのに、いつも全体ばかりを考え過ぎだと思っている。
全体を引っ張るのは確固とした理念、ビジョンされあればと思っているのだがーーーー。

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カワサキコーヒーブレークミーテイング & TBS夢の扉 など

2010-09-07 04:33:45 | NPO The Good Times
★最近は、ニュースは坐っていても向こうの方からやって来ます。
昨日の夕方のツイッターの list 『the-good-times』 私の貴重なニュース源の一つですが、面白そうなニュースが重なりました。

まずは

月木 tsukigiracing 「カワサキコーヒーブレイクミーティングin境港」行ってきましたよ~。まぁ凄い人でした^^この様子はブログにアップしてます。http://tsukigi.blog93.fc2.com/blog-entry-106.html 

これが月木さんのブースだが、いつも飲み屋から夜電話をかけてくる忍者の伊藤さんも行ってたらしい。



テントの下が伊藤さんだとか。何となく面影で解らぬでもない。こちらもホームページは息子さんの担当です。、伊藤さんはさっぱりダメなのですが、伊藤さんのお客さんはこのブログもご覧になるので、多分このことも耳に入るかも知れません。
『なんで月木さんだけ―――』と思われないように、並べておきます。
『忍者』さんも最初からのNPO The Good Timesの団体会員さんです。



こんなに沢山、カワサキのファンが集まったようです。詳しくは月木さんのブログをどうぞ。


★もう一つは、

GARAGE MASTER S800M カワサキオートバイの旧車部品再販を希望している方は沢山おられます。特に”Z1・Z2”・”H1”・”FX400”等ですが、御賛同頂けるユーザーがどれくらいおられるでしょうか?

S800M とはジェットスキープラザ明石の福井昇くんです。
日曜日にNPOの理事会で会ったばかりですが、この話、月木さんのにも、カバン屋さんにも関係があって、ツイッターで反応を見ようと言うことでしょうか?

これも勿論、『リツイート』しました。。私のほかに何人もの人が『リツイート』しています。関心オオアリなのだと思います。関東の『雷神マッハ』さんなども以前から旧型部品は熱望です。


『カワサキがメーカーとして、作ってくれないかな』と言う希望のようです。
この辺のところの対策がバイク市場を広げるkeyだと思います。



★さらにもう一つは、

森田和彦 syominmiki ★★潮流・海流発電★★ 今度はTBSの「夢の扉 next door」 という番組が取材に来ていますが、これって全国ネットかな? 日曜の夕方の番組みたいですけど・・・。

syominmikiさんも、NPOのメンバーで、ノヴァエネルギーの潮流海流発電にずっと以前から協力頂いている方です。
TBSの夢の扉は、DOCOMOがスポンサーの全国放送で、昨日は淡路の岩屋でその取材があったようです。
台風の影響で波があって大変なようですがが、取材班には、NPOの副理事長のタッチャんが対応してくれています。
カワサキ現役時代は、バイクは勿論、ジェットスキー、ソフト会社KSS、自動車学校、オートポリスの経営など、経験豊かなタッチャんですから安心して任せて大丈夫です。
何日間かの取材があって、放映は10月ぐらいになるのでは?

潮流発電の開発実験も、こんな新聞に載ったり、いろんな方面からの見学者で賑わっています。



★これは、『NPOの事務局長さんのツイッター』です。

SEAZ COMPANY RIMOWAYA 【Lufthansa RIMOWA 入荷間近!】 ルフトハンザ リモワ♪ あと数日で大量入荷予定です♪ ドイツの翼、ルフトハンザ航空とRIMOWA社のコラボモデル! 本当に素敵ですよ。 http://seazcompany.blog65.fc2.com/

通称カバン屋さん、NPOの事務局長さんです。 この不景気な世の中で、カバン売れて売れて大変なようです。
カバン屋さんが、お売りになるカバンのユーザーは自動的に、NPO The Good Times のメンバーになりますので、ここだけでも毎月100人以上の会員が増加して、全国に仲間がいっぱい増えています。
と言うことは1カ月に100個以上のカバンが売れていると言うことです。 広報戦略と商売の仕組みの勝利でしょう。


★この情報はNPOの会員さんのツイッターからの情報の一部ですが、
「最近はNPOのホームページからの入会も増えて忙しくなりました。 『面白そう』と思われる方、仲間になりませんか? お気軽にご参加ください。
積極的に、何かやろうと思われる方の参加を歓迎します。

こんな経験豊かカワサキや三木のメンバーが中心の運営です

このブログに登場した人みんなNPOの仲間たちですが、
『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』 が基本コンセプトです。
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プロ野球終盤戦

2010-09-06 06:12:40 | スポーツ
★プロ野球も終盤戦である。
セもパも混戦でどこが勝つのかも解らない、文字通り混戦である。

パシフィックは、オリックスが3位までに入ればオモシロイと思っているのだがちょっと無理かも知れない。
セントラルは、一応は阪神の応援なのだが、関西あげてテレビもラジオも、アナウンサーも解説者までも阪神の今の現状は、巨人、大鵬、卵焼きと言われたころの巨人一辺倒の時代と比べても、ちょっと行き過ぎではないかと思う。
そうは言っても阪神の人気はとどまるところを知らない勢いで、その人気は全国的のようでもある。
九州のソフトバンク、北海道の日ハム、仙台の楽天、名古屋の中日など地元を応援しようと言うファン心理はよく解るのだが。


★それにしてもタイガースは、よく打つものである。
毎年期待はずれの外人バッターが、今年はキャンプ当時はそんなに期待もされなかったのに揃って大活躍である。
それに、城島が入って期待通りの3人の新戦力が第一だろう。

さらに、金本の連続全イニング衆生記録が消えて、金本に関係なく柔軟な選手起用ができることが打線をより活性化させているのではと思っている。
若手の外野陣などの活躍は金本が全イニング守ったらなかなか実現しなかったろう。
金本にとってもよかったと思っている。
矢野が引退だが、同年代の金本の選手寿命はこれでさらに伸びることになるだろう。



★ベテランと言えば、山本昌、史上最年長完封、これは快挙である

これまでの記録は、1950年に毎日(現ロッテ)の若林忠志投手が作った42歳8カ月。
と記事にあるが、中学生のころ何度か若林は見たことがある。
1950年と言えば、私は高校2年生である。
あの時代45歳まで投げていたと言うのはすごいなと思う。

山本昌も下柳も、体が柔らかいなと思う。
金田正一も体が柔らかくて、試合前の柔軟体操を見ていてびっくりしたものである。
このごろの選手はともかく、ずっと昔は柔軟体操やストレッチなど殆どやっていなかった。

最近は技術だけではなしに、基礎体力が昔と全然違うように思う。

★プロ野球のリーグ戦も100試合を超えるリーグ戦で優勝を争って優勝しても、そのまま日本シリーズにならない最近のシステムは、
興業的にはいいのかもしれぬが何か優勝の値打ちがないような気がしてならない。

3位でも何連勝かすれば、日本一になる可能性がある。
どうももう一つピンとこないのである。
かっての南海ー巨人、西鉄―巨人のような印象に残る日本シリーズも少なくなってしまっているのも、決戦が多すぎるのだはないだろうか?
やはりtリーグ優勝者同士での日本シリーズの方がすっきりするような気がする。

それにしても前半は、あんなに強かった巨人がこのところ元気がない。
落合の中日が追い上げてきたが、阪神も頑張って優勝して、さらに日本一を目指してほしい。

阪神ーオリックスは、無理かな。





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ツイッターの面白さ

2010-09-05 04:51:25 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
★ツイッターを始めたのは昨年の12月である。
初めはどんなことをすべきか解らずに、ただウロウロしていただけである。

今年の2月になって、ノヴァエネルギーの公式ツイッターを立ち上げて、フォロワーを3カ月かかって3000人ちょっとまでは増やしたのだが、
これはなかなか手間がかかるので、仕事を持っている人にこれ以上続けるのは無理だと思った。

『多くのフォロワー』を持っていたら、『リツイートする』ことにより同じ数だけの発信量が確保できることに気付いて、
時間的に十分余裕のある私が、『NPO The Good Times の公式ツイッター』としてフォロワー数の増加を第一目標 5万人 として取り組んだのである。 5月初めのことだった。
4か月経って昨日の実績で68000人を超えて7万人ももうすぐである。

★ツイッターのオモシロさの一つにいろんな分析がいっぱいあって、マーケッテングのオモシロさと同じなのがいい。

昨日も、仲間の雷神マッハさんが『Twitter 解析「TwiTraq」を始めました』とあったので、
好奇心から直ぐ登録してみたのである。

登録をしたら、その途端に自動的に、下のようなつぶやきがタイムラインに流れるのである。

『Twitter 解析「TwiTraq」を始めました http://twitraq.userlocal.jp/user/rfuruya1

これで見ると、5月の初めから一直線で伸びてきているのが解る。
今全国で117位、兵庫県では村上春樹さんに次いで2位である。
そして上のグラフに
 Murakami_Haruki を入れて比較すると村上春樹さんのグラフが出て、
明らかにもうすぐ抜けて兵庫県トップになり、全国100位以内も見えてくるのである。

このレベルを維持していたらどんどん上に行くと言うことである。
たかが数の話だが、77歳のオジンとしては快挙であることに間違いないのである。

★さらに言えば、こんなホームページがあって、出来ることならこのページ、全国ベスト20に名を連ねてみたいものである。

まさか? と仰るかもしれぬが、
●まず一番左の『発言数』はこれは不可能である。
●一番右のフォロワーの数は、いつまでこのペースが続くかは解らぬが、ひょっとしたら来年あたり顔を出すかも解らない。
●真ん中のフォロー数については、有名人でない私はフォロー数を増やさない限り、フォロワーの数は増えない仕組みになっている。
今現在、26位に位置しているので、そのうちに20位以内に顔を出すのも時間の問題だろう。

ツイッターの仕組みはよく出来ていて、フォロワーの数によって、『フォローできる人の数』にも制限があって無闇には増やせないのである。
昨日yakisadaさんが2001の壁にぶつかっていたが、有名人でない一般人はだれもがぶつかる最初の壁なのである。

その数もこんなサイトがあって、ちゃんと教えてくれるのである。


小学校の徒競争ではないが、一番になることは嬉しいし、
全国20位以内と言うのは、なかなかなれない目標である。

それがNPO The Good Times の仲間たちにも、大いにプラスになる『公務?』だからこそ頑張っているのである。
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私の高校時代

2010-09-04 05:09:11 | 自分史
★戦後の3年間、神戸一中で過ごしたが、中学3年の時、突如として厳しい学区制の洗礼に出会って、地元の明石高校へ入学することになった。
当時のGHQの勧告に基づくものであり、全国的に行われたのか、一部の地域だったのかは解らぬが、とにかく厳しいものでちょっと住所をごまかすぐらいでは通用しなかったのである。
それでも何とか切り抜けてそのまま神戸高校に残った人もいるにはいるが、ほとんどは地元の学校に転校していったのである。

生徒だけでなく先生もと言うことでどれくらいの人数が神戸高校から分かれて行ったのか定かではないが、一番大挙して転校したのが私立の灘高校である。
私たちより下の年次の人は、当時の地元の新制中学には行かずに、灘中学を目指した人も多く、このころから灘は進学校としての地位を築いていったのだと思う。

神戸から地元の明石高校に移ってきたのは、男女各2名4人だった。



★神戸一中にも試験を受けずに入ったが、明石高校も試験は受けていない。
明石高校に入って、すぐ野球部にも入部したが、神戸一中との違いにびっくりした
明石は強豪だったが私が入部した時は、3年生が4人2年生が5人でその全員がレギュラー、1年生は全員が補欠で10人ぐらいいたそんなチームであった。

キャプテンは大津淳さんで県下でも屈指のバッター超高校級と言われていた。
明石のあと、関大―日生―全日本ー阪神と進むのだが、阪神に入って初めて大津さんの4番以外の打順を見たのである。
野球をやらしたらその才能は飛び抜けていたし練習熱心だった。
当時入学早々の夏の予選前までの3カ月だったのだが、何か1年ぐらいの期間があったような気がする。

学校のグランドでも勿論練習はあったのだが、明石公園の球場を使うことも多く、大津さんが時々授業をさぼって球場に行ってしまうのである。
そんなニュースが入ると1年生はみんな授業をさぼって球場に入らないと怒られるのである。
入学早々、午後の授業をさぼることも多く、そんなのがずっと授業をさぼったりする週間になってしまった。

当時は、運悪くサマータイムの実施時期で、今よりは1時間日暮れが遅いのである。
明石の練習は、ボールが見えなくなるまでだったので8時ごろまでノックをしたりして、暗くなってからランニング、練習が終わってからも1年生はグランド整備などしていたら、
毎日家に帰って晩飯を食うのは12時近かったのである。

★そんな1年生の夏までは所謂ボール拾いで、バッテングなどはさせて貰えなかったし、バッテングピッチャー、と守ることのみの練習であった。
どちらかと言うと内野手でぼるも素直でコントロールもよかったから、指名がかかってバッテングの第一ピッチャーばかりやらされた。
当時は、そんなに暑くなかったのだろうか?
練習中は水は一切ダメだしよく、熱中症などにならなかったものである。



★学校ではあまり勉強はしなかったが、落ちこぼれなどにはならずについては行けたが、
野球8割の学生生活で、野球部以外の連中とは顔は知っているが、あまり話もしたこともなく、卒業したような気がする。

特に他の連中は地元なので小学校以来のトモダチが多いのである。
私の場合は、小学校は朝鮮、中学校は神戸だったが、神戸一中の時は全員あちこちから集まってきていて、あまりハンデイを感じなかったが、
明石では、ちょっと違った感じで、野球部の連中との付き合いがほとんどであった。

★高校に入ったころから、父は病に倒れてずっと寝込んでしまった。
金が一番なかった時代であたが、世の中まだ食糧難で、金が仮にあってもなんでも食える時代ではなく、そういう意味では助かったのである。

高校2年の夏に、初めて野獣部の合宿があり、コメの飯を腹いっぱい食えてみんなそれを一番喜んでいた時代なのである。
歌謡曲が流行りだし、確かNHKの紅白歌合戦がスタートしたころ、美空ひばりもいたがその前の笠置しずこや津村謙上海帰りのリル、岡晴夫あこがれのハワイ航路全盛のころである。
大学に行く人もまだ少なくて、東大などの公立大は難しかったのだろが、早慶や関西の関関同立の私立校はそんなに難しくはなかったのだろう。
大学を浪人するなどは、私たちが卒業する年次ぐらいから始まったのだろう。

昭和25年6月、朝鮮戦争が始まった。
これは西宮球場で広島の盈進高校との練習試合当日で、場内放送があったのでよく覚えている。盈進は後、国鉄スワローズに進んだ箱田が投げていた。
この戦争を契機に日本は好景気になって戦後の復興が進んでいくのである。


★そんな高校時代であった。
男女共学ではあったが、男女交際などはほとんどなかったのではないかと思う。
そんな甘い時代はもう少し先だったように思う。
私たち野球部の連中だけがそうだったのかもしれぬが。

昭和24年から、昭和26年ごろの話である。

写真はつい先日写した明石高校である、グランドは昔のままだが、校舎は当然だが建て直されている。
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『村ぶろ』だけが なぜ?

2010-09-03 04:47:55 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
★ 『村ぶろ』 ご存知ですか?





和歌山県の500人ちょっとの村が開設しているサイトです。

『村ぶろとは』ではこのようにセう明されています




★村ぶろは、平成21年6月のスタートですが、
小さな村の心意気に打たれて、私はスタート直後から、今年の5月までずっとブログをアップし続けたのですが、

今年の5月から、ツイッターのフォロワーを獲得するために、どうしても作業時間が必要なので、他の10を超えるブログとともに一斉にちょっと省略して、ツイッターに集中したのです。

お陰さまで、5月には200人ほどであった、フォロワーの数は、昨日現在67000人、全国120位となって、
NPO The Good Times の公式ツイッターとして、会員の皆さんの 『いいつぶやき』 を 『リツイート』することにより、全国6万人以上に情報発信するという機能を果たしています。
目標の10万人までは、今のペースで進めたいと思っています。




★そんなことで、今までのブログ10以上もあるのですが、
村ブロを含めてすべて下にあるような、同じスタイルで今やっているブログやツイッターなどをご紹介しています。
一応は工夫して、毎日更新される最新のものが現れるように仕組んでいます。

クリックしてみてください。4つとも最新のものが現れます。




『ツイッターブログなど、『今やっていること』をリンクします。
毎日、最新の記事に変わります。


★NPO法人 The Good Times の公式ツイターです。
  http://twitter.com/rfuruya1


★雑感日記 goo
  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1


★雑感日記 excite
  http://rfuruya2.exblog.jp/


★NPO法人 The Good Times のホームページ
  http://www.thegoodtimes.jp/  』






★同じ方式を採っている10ほどのブログの中で、『村ぶろ』だけが、なぜか特別な動きです。

こんな無愛想な方式なのですが、『村ぶろ』では、
毎日100人~200人の方がアクセスされて1000ページも読んで頂いっているのです。

ひょこむも、mixiも、FC2も、amebaもほとんどアクセスはないと言ってもいい状態の中で、
『村ぶろ』のこの数字には、びっくりしてしまって、このブログを書いています。
明日、gooのブログをクリックすると、このブログが現れるはずです。

なぜ、たった一つ『村ぶろ』 だけがこんなことになるのでしょうか???
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菅さんか小沢さんか?

2010-09-02 05:11:34 | 政治
★民主党の代表選はとうとう菅さん小沢さんの決選投票に持ち込まれた。
どんな結果になるかはともかく、よかったと思っている。

この1週間のうちに、2度ブログで感想を述べている。

最初はこれ、『菅さんか、小沢さんか、どちらなんだろう?』

2度目は、民法の番組であまり民意、民意と言うものだから少々腹が立ってこんな風に書いた



★昨日ある新聞社から、電話取材を受けた。

いろいろ質問されて、いろいろ自分の考えを述べた。
『名前を出して記事にしていいですか?』と仰るので、 『いいですよ』とお答えしたのだがどんな記事になるのだろうか?

私は、政治はそんなに好きではない。どうも政治家の行動がが好きになれないのである。
そんな中で、小沢一郎さんはずっと以前から好きな政治家の一人である。

●『何になりたい』と言う人がほとんどの政治家の中で、『何をやりたい』ことの方に重点がある政治家である。今回は周囲に推されての立候補もあるのだろうが、この難しい局面は自らという想いもあるのだろう。
●小沢さんの金の問題が言われるが、今までの政治そのものの体質、構造で、小沢さんに限ったことではないように思う。
●護送船団方式、業界重点の利権構造、官僚主体の中央集権などの政治構造が必然的に利権体質を生みだしており、その基本構造がタテからヨコ展開、業界よりは国民目線、国から地方など新しいものに変わらねばならない。
●今の民意とやらには、個人からの権利主張や利益などの発想がほとんどで、『国』の観念が逸脱しているタダのアンケートにすぎないのではと思う。国民目線の中にもきっちりとした国家観があって欲しい。
●一国のリーダーは、単純に言って『リーダーらしい人』であって欲しい。
●ホントの難局は、みんなで力を会わせてなどでは解決しない。一人の優秀なリーダーで十分である。
●それが小沢さんかどうかは別にして、今回は菅さんか小沢さんかである。政界再編でも実現したら、『ほんとにいいリーダー』が見つかるのかもしれない。
●小沢さんをそんなによく知っているわけではないが、全然魅力も何もない人だったら、あんなに沢山の政治家が群がるはずがない。
●菅さんでは乗り切れないと思う。


★今回どちらになっても、

●そのための中央企画戦略機能の確立(国家戦略局の確立)
●新政治構造基本システムの構築

の二つがMUST 項目で、ほかのいろいろ言われる個別問題は、個々に対応していけばいいのではないかと思う。
私は小沢総理を一度見てみたいと思っている。

★要は、国民と言う政治の素人がいろいろ心配しなくても、安心してついていける
『リーダーらしいリーダー』 による 『プロの政治』 を見せてほしいのである。。
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アメリカからの便り

2010-09-01 04:26:48 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
★私は、ブログもツイッターもやっているが会社時代の現役のころは、パソコンも持ってもいなかったし、覗いたこともなかった。

実はペンで書く日記は、昭和28年(1953年)の11月8日から、ちょうど20歳のころからだが、57年間書いていて、手元に全部揃っている。
だいぶ以前から3年連続、5年連続になってから3冊目である。
書き始めた理由は、
直接の動機はその日の新聞に、台湾の蒋介石が『30年間日記を書いているのがすごい』とか書いてあったので、そんなことぐらい出来るだろうとその日から書き始めている。
思い立ったらすぐやるのは、今でもそうである。

★娘は男親に似るとかいうのだが、娘は日記など書いたことはないと思うが、
ブログは突如として、昨年11月25日から始まっている
まだ、12年にはなっていないが、どうやら続きそうである。


★今、私は日本で独り生活を楽しんでいる。家内も9月末までカリフォルニアで夏休みである。

そんな娘のブログから、
末っ子の孫が、サッカーで優勝してMVPに選ばれたとか。
末っ子は小学校4年生のくせに70キロもある。太っちょなので鈍重なのだが、運動神経はなかなかいい。
体重を落とせばイケルかも知れないと『ジジバカ』で思っているのである。
娘は、それこそ親バカで、子供のサッカーに夢中なのである。

ブログから幾つかの写真を。 アメリカの生活をご覧になりたい方は、Danthree in California をどうぞ
Danthree とは、ひょこむのハンドルネームで『だんご三兄弟』から来ているが、上の二人はスマートになってしまった。



1カ月の日本での夏休みを終えてアメリカに帰ったのは、8月8日のことである。





それから約1カ月末っ子も少しはしまったのか、同じ学年の日本人のチームメートはこんなに違う。
アメリカ人の中に入っても大きい。ジャンプをそんなにしなくても子供のゴールでは止められるとキーパーのようである。



この試合5-1で勝ったそうですが、このキックがそのまま1点になったとか。それもあってMVPか、とにかくおめでとう。







こんなアメリカのいい環境の中で次男のチームは流石中学生にもなると大人っぽい。



あまりごログに登場しない長男はもう高校生、写真には女の子も。



おばあちゃんも、夏休みを結構楽しんでいるようです。



あちらに戻れば、主婦ですから大変なのでしょうが、
私に似て、太平楽ですから、大丈夫なんでしょう。
あと1カ月、おばあちゃんをよろしく。

ブログには登場したことのない、お父さんにもよろしく。
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