非常に共感を覚えた。
『出世を望まない若者が増えている』という産経新聞の記事がベースなのである。
『昨年、リクルートが高校生を対象に行った調査で、「将来、会社の中で偉くなりたい」という高校生は29.6%しかいないのに対し、「自分の趣味や好きなことができる仕事をしたい」は79.9%にのぼった。』
と言うのである。
至極当たり前の話で、、「将来、会社の中で偉くなりたい』ことだけが目標のような人は、仮にその地位についても、『何も、出来ない人』が殆どのような気がする。
「自分の趣味や好きなことができる仕事をしたい」 という生き方の方が、よほど人間らしくて、オモシロイ。
ずっと、『何になりたい』という人たちよりも、『何をやりたい』と言う人たちばかりを選んで、付き合ってきた。
会社の現役時代も、年金生活の今もそんな生き方を貫いている。
★どうも産経の記事は、一方的に決めつけてしまっている様な気がする。
大西さんはこの産経の記事に大略こう言われている。
『高校生を非難する前に、なぜそうなってしまったのか、なぜ若い人たちが夢をもてなくなってしまったのか、
社会全体がチャレンジしなくなっているわけで、若い人たちの意識もそんな社会的な風潮を映しているに過ぎないのではとも思います。
最後のダメ押しが、東京経済大コミュニケーション学部の関沢教授の嘆きです。
電車に座っている人全員が携帯を操作しているのを見て、「電車に乗る時間さえもバーチャル(仮想的)なデータにさらされ続けているのでは、五感が鈍っていくばかりだ」とは大げさではないか。
ではタブロイドの夕刊紙で恥ずかしくなるような紙面も広げる中高年の人たちは、五感による判断能力が低下していないのでしょうか。
おなじ携帯をやっていても、すべてメールとは限らない。ゲームかもしれないし、SNSかもしれないし、ツイッターかもしれません。
バーチャルな世界といいますが、つながっている先にはリアルな人間がいるわけで、誰が書いたかもよくわかららい新聞こそバーチャルそのものともいえるのではないか。
現代は、マスメディアよりは、SNSやツイッターという個人が起点となったコミュニケーションのほうに人びとの関心や重心が移ってしまったので、それで新聞の発行部数が減ったとしても誰も関心はない。
まあ、若い人達を嘆くのは、太古の昔からのお年寄りのくせですが、それだけ産経の記社さんも年をとったということでしょうか。』
★いつも大西さんは産経にはちょっと厳しいのだが、産経に限らず紙媒体はだんだん過去のものになるだろう。
新聞や紙の媒体が悪くなったのではなくて、新しく出るネットのシステムが素晴らし過ぎるのだろう。
携帯は持っていないので、よく解らぬが、パソコンだけでも、
私のような年寄りでも、今のツイッターなどのスピードや、その解析の素晴らしさや、見知らぬ人でも『繋げてゆく』そのシステムには魅せられてハマってしまうのである。
旧い人たちが、その分野に挑戦しないから、その良さが分からないのだろう。私が携帯の良さが解らないのと同じである。
若い人たちの不甲斐なさをこう嘆くのだが、
『知らない世界には立ち入らず、リスクを避ける。何でもネットで体験し、現実と触れ合わない風潮がある』
そう嘆く旧い年代の人たちも、『知らないツイッターの世界』などには立ち入らず、なんでも自分たちの経験だけが最高と信じ、現実と触れ合わない風潮がある。』
などと、思ったりする。
世の中、受け入れられないものは自然に淘汰される、競争社会なのである。
是非、若者以外の方も、もう立身出世は諦めたのかも知れないが、『何をやりたいのか』 自分のやりたいことを明確にして、新しいことにチャレンジして欲しいものである。
新しい世界には、新しい発見があるはずだ。