雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキワールド入場者100万人

2011-06-15 05:51:18 | カワサキワールド

★川崎重工の社内誌『かわさき』が送られてきた。

現役を引退して10年近くになるが、川崎重工は安定したいい会社になったなと思っている。

戦前、川崎造船から川崎航空機、川崎車輛、川崎製鉄などに分社されて、戦後川崎航空機は軍事産業と言うことで何年間かの中断もあったりした。

再開された川崎航空機に昭和32年に入社したのだが、若いころはその経営などよく解っていなかったが、そんなに楽で無かったことは間違いない。

その後、川重、川航、川車の3社が合併して川崎重工業として再スタートしたのだが、当時は全ての事業を造船が支えていた時期が長く続いた。

プラントも単車も車輛もそれぞれ苦しい時期を乗り越えて現在がある。

今はむしろ、造船以外の事業が、川重を支えているようである。

 

★送られてきた社内誌は、ちょうど決算期で今年度の決算状況を伝えているが、前期から大幅な利益改善になっている。

東日本大震災の影響も工場が西日本にあることもあって軽微で、リーマンショックの影響を受けた前期から利益面で350億円ほどの大幅な改善になっている。

まだちょっと赤字だが、ふるさとのモーターサイクル部門の経営状況が200億円以上の改善になっているのは、ほっとした。

量産事業は悪くなる時も大きいが、よくなる時もその額は大きいのである。

来年度も全社で500億円を超える利益を計上する計画を組んでいる。

何よりもバランシートの内容が以前に比べて格段に良くなっている。

証券アナリストなどの評価も非常に好意的である。

ずっと以前のように、ぎりぎりの頑張った無理した経営ででないところがいい。

 

★古巣のモーターサイクル部門は、来期は完全に復活するのだろうか?

世の中は完全に変わってしまって、かっての先進国市場よりは、新興国の比率が非常に高まっており、最近はブラジルやインドなどの市場の名前が上がっている。

量産品は、人口の多いところはそれだけの可能性があるわけで、中国やブラジルやインドなどは将来有望なのだろう。

ただ、母国である日本の市場が昔に比べて小さくなってしまっているのは、残念である。

 

そんな日本の中で、神戸のメリケンパークにあるカワサキワールドは、いろんな意味でカワサキのブランドイメージ向上に貢献している。

 

 

★今回の『かわさき』の裏表紙は、カワサキワールドで、鉄道模型の走行会の様子や、今年5年目を迎えるカワサキワールドは100万人の入場者を記録したという記事が載っている。

一口に100万人と言うが、これは大した数である。

二輪部門出身の田崎さんが社長時代に造られたものだが、いいものを残されたと思う。

今では神戸の名物拠点の一つになっている。

鉄道模型の壮行会などは1日3000人の入場者があったりするようだ。

 

 

これは何年か前の夏休み、カワサキワールドに行った時のアメリカの孫たちだが、100万人に3人だけだが、貢献している。

 

あの重工業の川重か?と思うぐらい立派でカッコいい展示に仕上がっている。

館内のこんな動画もある

まだ行かれていない方は、ぜひ一度覗いてみてください。

殆どの方が『思っていたより数段素晴らしい』 と言って頂けます。

 

 

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長生きと カロリーと メタボ

2011-06-13 13:47:36 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 日曜日の夜だったか、NHKで長生きとカローリーの 関係などテレビでやっていた。

ヨコになってうつらうつらしながら観ていたので、間違っているかも知れぬが、

確か、長生きには、『カロリーをあまり多く取らない方がいい』

それはいろんな実験や研究で明らかである、 といった論調だったと思う。

 

サルの二つのグループの実験では、同じ餌だが30%少なく与えた方のグループが圧倒的に長生きであったと言う。

最近は日本人の寿命も延びて100歳も珍しくなくなった。

個人的なことでいうと、私の祖母は102歳まで生きた。

母は今月28日が来ると102歳になる。

私は少なくともそのDNAとやらを受け継いでいるので、運がよければ長生きできるかも知れないと思ったりはするが、

父は52歳で、伯父も60の声を聞かずに亡くなってしまったから、長寿の家系とも言えないのだろうと思っている。

 

★78歳の今日まで、大きな病気は二度経験している。

20才の頃、肺結核で空洞、胸に穴が開いていた。何年も放っておいたのだが、会社の医者に野球をしているのを見つかって、療養所に入れられたら、不思議に1年で消えてしまった。

70歳ちょっと前に、札幌にいるころ警察で文句を言ってたら、アタマに血が上って、クモ膜下出血で倒れてそのまま病院に担ぎ込まれた。倒れた場所と病院が良くて、手術など一切せずに治ってしまった。

そんなことがあるものだから、『人間運がよければ生きられる』などと思っていて、あまり養生らしきことはしたことはない。

 

健康に関することなど、ストレッチ以外は殆どやっていないが、

なぜストレッチをやりかけたかと言うと、当時膝や腰が痛くて、通っていた先生が、

『ここで治療していても完全には治りませんよ。筋肉は何歳になってもつくのだから、毎日ストレッチでもされたら』と仰るのである。

それから始めたストレッチだが、常に現在が生涯で一番柔らかい状態で保たれている。

全くの自己流で、家で毎日欠かさずやっているだけだが、膝や腰痛など何処かに行ってしまったのである。

 

70歳ぐらいから始めたストレッチのお陰で、『20歳代の柔軟性』が保たれていると言うか、生涯で今が一番柔らかい。

それが平均値を押し下げて、毎年の体力測定でも 『体力年齢41歳』とコンピュ―ターがデーターを出してくれるのである。

ただ、同じ日の検査のメタボの測定では、『腹周りは85cm』は、はるかに通り越して1mに近いのだが、

何処かで聞きかじったメタボの定義で、

血液検査の結果がいいのだから、『私は決してメタボでない』と勝手に思っているのである。

 

★掛りつけのお医者さんで、年に3回ぐらいは血液検査を受けている。

先月受けた結果を昨日頂いてきた。

 

 

★ご覧の通り、血液検査の結果はフェアウエイのド真ん中を歩いているようなものである。

先生が、腹に脂肪はツイテいるのに『不思議』と仰るようないい結果なのだが、一寸肥え過ぎなのは間違いない。

せっかくNHKの番組も見たのだから、接取カロリーを落としてみるかと、思い立って今このブログに書いて宣言しているのである。

 

難しいことは、世間に向かって宣言するぐらいやらないと続かない。

ツイッターのフォロワー10万人もちゃんと宣言してスタートしている。

そんなこと、ホントは誰も覚えていないのだが、そうしておくと気持ちがすっきりするのである。

 

★改めて、メタボを調べてみた。

『メタボリックシンドローム(単にメタボとも)は、内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態をいう。』

だから、多分私はメタボではないが、腹周りは85cmではない。

そこまで行くかどうかは別にして、体重82kgはちと太り過ぎである。

 

昨日買ってきたスーパーの弁当、調べてみたら、みんなカロリー表示があるのに初めて気が付いた。

あまり、神経質にもなりたくないが、『摂取カロリー』を少なくすることは、一つの目標にしてみたい。

決めたら、結構ちゃんと続く方だが、戦後の食料難時代育ちの 『腹いっぱい食えること=幸せ』 と言う価値観を有する口いやしい世代なので、 果たして大丈夫だろうか?

 

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昭和55年(1980)47歳  国内は順調だったのだが・・・・

2011-06-13 05:35:30 | 自分史

★どうなるかと思っていた国内販社担当は、FX400というヒット商品に恵まれて前年度の1年目で『黒字体質への転換』を果たした。

昭和55年度の2年目もその好調は持続して、結果から言えば、2年続きの黒字計上をすると同時に、約10億円近くもあった累積損失や含み損を消去した上に、その年非常に苦しかった事業本部の損益対策に約3億円を考えたりするようなことになったのである。

量産事業は損益分岐点を超えると、総利益」*台数分がそっくり利益に積み上がっていくのである。

10万円の粗利のある商品が1000台売れると、1億円の利益が積み上がるのである。1万台では10億円である。

『損益分岐点』を如何に低く抑える事業構造にするかがKEYであり、それはトータルシステムをどう組み上げるかと言う問題なのである。

 

 

これは、私の個人の日記からの会社の仕事中心のこの年の1年間の記録だが、いろんなことがあったなと思いだされる。

 

★ 1月に販社グループの定期採用の再開の検討を始めて、秋には10人の新人の採用を決めている。

今のKMJの中心になっている人たちである。

それに対して、1月に富永、山田君というKMJの第1期、2期の先輩たちが、反対の意向を示している。

どちらが正しかったかは解らないが、ひょっとしたら『定期採用再開は間違っていたかも知れない』と、今思ったりもする。

富永君が主張したように、川崎重工が自ら営業人員を採用しないので、カワサキにマーケッテングの解る人材が育たないのだと言うのも良く解る気がする。

この2年ほど後だが、アメリカのKMCの再建には、カワ販から富永、日野君を逆出向させたのである。マ―ケッテングや販社、販売網の解る人材が事業部にはなかなか見つからなかったのである。

 

★この年から、KMCの経営がどんどん悪化していった。 ダンピング問題もあったのだが、スノーモービルも経営の足を引っ張って、予想される赤字は20億に達し、KMCの経営対策が事業本部の大きな課題となった時期である。

事業本部のみならず、川重本社にとっても頭痛の種だったのである。 事業本部の赤字は、当時の造船などの黒字で簡単にプラス、マイナス出来るのだが、そのあと海外販社の赤字との連結決算となるので、本社財務はKMCの赤字問題が大問題だったのである。

前述したように、量産事業は良くなればどんどん良くなるし、悪くなればどんどん悪化する構造なのである。

8月には、アメリカのリンカーンの工場に安藤さん、KMCに本社綜合企画から高田さんが行くことになったし、明石では田崎さんがアメリカ、カナダの担当になっている。

『アメリカを担当したら』という声もいっぱい耳に入ってくるような状況だった。

『単車事業部の赤字、若し自分にやらしてくれたら、直ぐ黒字に出来る』などと上のメモに書いているが、

販社の赤は、特にKMCの場合いは資金対策や頑張りすぎの『人災だから』、システムさえ変えたら、直ぐ正常化すると思っていた。

この年から2年後、最悪の状況になって、実際に担当することになったのである。 そのことはまた2年後の自分史に。

 

★お陰さまで、国内の販社は順調に回復していったのだが、悪かった時代の名残で、10数行との銀行取引が残っていたのである。

最初に営業を経験した東北で、銀行さんの体質はよく解っていたので、この機会に取引の停止と、保証枠の削減という、少々非常識なことをやっている。

財務の素人だから出来たのかも知れない。

全くの逆の論理からだが、

川重の子会社だから銀行は安心して金を貸すのである。

枠があって借りれるので販社は力以上の在庫を持ったりするのである。

それが銀行金利だけならいいのだが、余分な在庫を持って、旧型化して大幅な値引きが発生したりする。

 

カワ販グループの借入枠限度を自らの実力の範囲に置くほうが、より健全経営の近道だということが意外に解っていないのである。

カワ販グループは特約店制を始めた時に、保証金制度を敷いている。 ちょうど10年ほど前の大阪営業所長時代のことだが、これは借入金と同じなのである。

その額が、億の単位である仕組みなのに、銀行借入金などはなくても大丈夫なシステムだと言うことが意識にないのだと思った。

現実にこれから数年後の、ZEYREの頃は、銀行借入金ゼロ、自己資金比率35%という、ちょっと日本では珍しいグループになったりしたのである。

 

★この年、煙草を止めている。

高橋鉄郎さんが、先に禁煙されて、『いまどき煙草を吸ってる奴は・・・・』とボロかすに言われるのである。

『じゃあ 止めます』と 煙草は箱にまだ半分ほど残っていたが、即座に止めた。

それ以来1本も吸っていない。

ちょうど30年ほど前である。

今のような世の中『嫌煙状況』になって、あの時止めていてホントによかったと思っている。

高橋鉄郎さんに感謝である。

 42歳を過ぎて始めたゴルフも、このころは一生懸命練習してようやく40台が出たりして、会社のコンペのハンデーが10になったりしている。

 

★この年、王貞治が現役引退して、巨人の助監督になっている。

別に巨人ファンではないのだが、王が昭和34年巨人に入団したころは、まだ明石球場でキャンプをしていて、入団したころの王をよく身近で見ている。

広岡、長嶋の三遊間、藤田投手などスターいっぱいの巨人だった。

そんなことで、王の引退で、明石球場でのキャンプ時代の巨人も終わったなと思ったものである。

 

★子供たちは息子はサッカー、娘はバスケットに熱中していた。

娘は中学2年生だったが、何故か私の不得意の長距離走マラソンが早くてこの年の春のマラソンでも優勝している。

小学校の4年生から中学2年まで、5年間で4回優勝したと日記に書いている。

家計は豊かではなかったが、まだ中学、高校だったので、そんなに苦しいと言うほどでもなかったのだと思う。

この年も、いい年であった。

 

 

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動かぬ人、動く振りをする人、動く人

2011-06-12 05:50:26 | 発想$感想

★この週末、何となくのんびりと過ごしている。

 もう、現役は卒業してしまっていて、自分が先頭に立っての事業などはとても無理なので専らお手伝いに徹している。

個人的に手伝うことも勿論あるのだが、お手伝いの仕組みとして創り上げたのが、NPO The Good Times なのである。

我ながら、上手く最高のシステムに仕上がっていて、小さなことでも大きなことでも、大概の事に適応できるようになっている。

 

ただ、システムだから、使われる方次第なのである。

私自身、これを進めて欲しいな、と思うプロジェクトはいっぱいあるのだがが、

なかなか当方が思うように、『動いてくれる人』はそんなに多くはないので、今はもっぱら、動きそうな人をいろいろ探しながら待っている状態である。

それでも、周囲には『オモシロイ人たち』が集まってきて、結構動いてくれるので、楽しく過ごさせて頂いている。

カワサキの想い出、そして未来』のようなイベントでも、最高に上手く機能したのは、thiraiさん以下の中心メンバーがその気になって動いたからだし、全国からそんな人たちがいっぱい集まってくれたお陰である。

 

★やってみたいことはいっぱいあって、思い付いたら、直ぐ出来なくても、そのすべてを球根で寝かせていている。

どんどん球根は溜まってゆくが機が熟したら、ちょっと水をやったら直ぐ動きだしたりするのである。

みんな、周辺の人たちが、動くか、動かないかにかかっているのだが、世の中には、次の3種類の人たちがいると思っている。

 

A.『動かぬ人』 : B.『動く振りをする人』 : C.『動く人』 の3種類で、システムなどを積極的に利用してくれるのは、間違いなく『動く人、動きたがる人』なのだが、その割合は極めて少ない。

その比率は A : B :  C = 60 : 35 : 5  ぐらいの比率ではないかと思ったりする。

 

『動かぬ人』は、いわゆる普通の方である。 普通に会社に勤め役所で働いたり、普通の商売を普通にやっておられる方を指していて、働かないと言うような意味ではない。会社の重役さんでも、エライお役人にもいっぱいおられる。 動かぬ人の方が、社会的には偉くなったりする。

『動く振りをする人』 一言で言えば積極的なタイプである。いろいろ言われたりする評論家や、あちこち動き回る政治家のような人。 でもなかなか実績として残らないことが多いので、私流に『振りをする』と表現させて頂いた。  結果はともかく、よく頑張ったという類である。

『動く人』は、何ごとにも興味を持って行動する。どちらかと言うと 奇人、変人の類で、『動く人』が別にエライわけではないが、オモシロイ生き方であることは間違いない。

 

★振り返ってみると、ずっとやりたいことばかりをやってオモシロく、楽しく生きてきた。

現役を卒業した今でも出来たらやってみたいなと思うことは、いっぱいある。

●『新しい二輪文化の創造』 などのテーマは、生涯の目標として、お手伝いをしたいと思っている。自分が先頭に立ってやることはできないが、手助けなら幾らでも出来る。具体的な事項もいっぱい球根で転がっている。 昨日あたり紳助が鈴鹿8耐のチャレンジなどとニュースが流れたが、thiraiさんもそんな夢を持っている。

●今住んでいる町、『三木のイメージの高質化』にもずっと取り組んでいる。

現在の市長さんが、それらしきことを宣言されたが、まさに典型的な『動く振りをする』部類で、一向に取り組まれないので、それではとNPO The Good Times を立ち上げて、仲間と頑張っているのである。

今春 e-音楽@みき も立ちちあがったし、 三木山森林公園も動きだす気配である。個々の仲間たちはそれぞれ毎日動いている。

●今年の目標が、『新しい公共』である。

そんなことで、この半月、神戸電鉄問題は具体的にマーケッテングだけは確り完了した。今の協議会が『動く振りをする団体』でないことを願っている。

『潮流、海流発電』は、ずっと応援してきたが、どうももう一つ上手くいっていないし、日本の政府をはじめなかなか『動く振りすらしない』のである。

韓国で EXPO 2012 YEOSE 麗水国際博覧会が来年5月から 『生きている海と沿岸  多様性と持続性可能な海』 というテーマで、開催されるそうである。こんなニュースも親切に情報提供して頂ける仲間も出来た。 日本の政府が『動かない』のなら、むしろ熱心な韓国と組む方がいいのかも知れない。

太平洋の黒潮による『海流発電』など無料で使えて、漁業権などなどの利権の発生しないものには逆に関心を示さないなどと言って下さる方もいて、昨日は久しぶりに『潮流、海流発電』の鈴木清美さんと電話で話したが、韓国の展示会の話はご存じで、既に出展を決められているようである。 これも三木の企業だし頑張ってほしいと思っている。

 

★『動く人』

大阪の橋下さんや、武雄の樋渡さんは、その典型的な方である。

ただ、『奇人、変人』の類と言っていい。普通の人ではないが、『行動力があってオモシロイ』

 

間違いなく、次から次に、常に『走りながら考えている』

東日本大震災に対する動きも、真っ先に『行動』からである。

樋渡さんの武雄市議会での演告の殆どが、『東日本大震災での活動報告』であった。

そんなことを書いたら、私のもう一つのブログにも直ぐコメントが来たりした。

 

この週末、いろいろ考えている。  幾つも周りにある球根たち、どれが動きだすのだろうか?

一斉に動かれると、身一つみたいなものだから、対応できないのだが、適当に動いてくれないとオモシロくないのである。

来週は、thirai さんと、アドバイザーbunCさんとのミーテングがセットされるはずである。

 

 

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大連立? それよりも政界再編?

2011-06-11 06:45:19 | 政治

★政治の世界はややこしい。

大連立などと言われているが、それが果たしていいのか、悪いのか?

 

ただ、Yahooニュースでの アンケート調査の結果は、約60%が大連立に、反対となっている

大連立でなければ、政界再編という選択肢も生まれるのかも知れない。

その方が、日本の政治にとっていい方向だと言う気がする。

 

日本の政治構造そのものが、間違いなく行き詰ってしまっているのである。

根本的な構造改革の方向に舵を切らない限り、大連立をしても、総理を代えても、なかなかうまく動かないのでは?と思う。

 

★連立であろうが無かろうが、、菅さんは辞めると言ったのだから、時期はともかく早晩退陣するのだろう。

そのあと、大連立であっても、なかっても、次の総理は決めねばなるまい。

いろんな人の名前が取り沙汰されているが、今言われている人たちでは、誰がなってもあまり代わり映えがしないように思う。

中央の政界は、人材不足なのだろうか?

そんなことはない。 みんな知らないだけで、多分、名前が挙がってこない人の中にいい人がいるはずである。

然し、仮にそんな人がいても、立候補することはできない年功序列型の仕組みになってしまっている。

 

★現在の中央での政治のあり方が、ある程度の年月が経たないと候補者にもなれないような仕組みなのである。

宮崎の東国原、大阪の橋下、武雄の樋渡さんなど、みんな政治は初めてであったが、従来の助役や副知事から上がった人よりは新鮮であったし、成果も上げている。

どちらかと言うと、政治の経験などない方が新鮮な発想が出来ていいのかもしれない。『リーダー』に求められるものは、経験ではなくて理念であり、想いなのである。

この人たちはみんな、国民が直接選ぶことが出来たのだが、この国の総理の選挙には国民は、手の出しようがないのである。

大体、前回の選挙の時に、こんな国難に直面するなど、想像だにしていないし、

選挙で1票を投じるとき、その人に国政の一部を委ねる気持ちは当然あったとしても、国政そのものを、ましてや総理を任せられるかどうかなどの観点は一切ないのだと思う。

 

現代の一国の総理は世界の舞台で国を代表して、その力を発揮する機会が多いのだが、こんなにくるくる変わる総理では名前も顔も覚えて貰えないどころか、相手にして貰えないのではないか?

先日のサミットの何処か国の漫画にも、日本の総理の顔は『麻生さん』の似顔絵だった。

東日本大震災も大変だし、その復興も大事だが、

その対応が機能しなかった現実を反省して、政治の構造的な問題に対応し、1日も早く国民自らが総理を選べる、システムに変えて欲しい。

東日本大震災の対応がダメなのは、単に菅さんが悪いだけではなくて、真の原因は日本の政治構造の基本の仕組みにあると思う。

 

大連立などという、対応策ではなくて、

縦割りの護送船団方式、国営よりは省益、団体の利益を優先させる、『利権構造』

中央の政治のあり方、『総理の選び方』、

そのための『憲法改正』

などなどの基本構造を、この東日本大震災を契機に考えるような形の方がいいように思う。

それは大連立ではなくて、それら根本問題を考えることが出来る方向に舵を切る『政界再編』の方向がいいように思う。

 

今名前が挙がっている総理大臣候補の中で、そんな構造的な問題に対して手の打てる人はいるのだろうか?

国益よりは、省益や、団体の利権など、どうもそちらの方に関心が大きいように思えてならないのである。

 

★ずっと、エネルギー問題で、『潮流、海流発電』の基本コンセプトが、いいと思って推してきたが、政府の環境省は補助金も出しているし解っているはずだが、今後のエネルギー政策の中で、名前すら上がってこないのである。

今脚光の太陽発電もいいが、夜はダメ、曇りはダメ、土地もいる、国民の協力もいるなどいろいろ難しい問題もある。

潮流発電ならともかく、太平洋の黒潮のエネルギー利用では、国がやると方針を決めれば、広大な海洋は使い放題、無料で、漁業権など『利権は一切発生しない』し、海底資源開発にも繋がるかも?と思ったが、

●『利権が発生しない』から、マスコミをはじめ、誰も一生懸命にならないのだ、と言われた人がいる。

ひょっとすると、それは本当かも知れない。

少なくとも、今回の総理候補にも名前の挙がった馬淵さんはご存じのはずなのである。

『金が、あまり動かない』『利権に繋がらない』ことには、みんなあまり興味がないのだろうか?

 

いろいろあるが、

今の政局に対しては、国民は大連立に『賛成か、反対か?』

こんなアンケートに参加するぐらいしか、参加することはできないのである。

 

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加藤喬久さん、八尾カワサキのことなど

2011-06-10 05:38:09 | カワサキワールド

★つい先日から何度か、ツイッターで八尾カワサキの加籐喬久さんからダイレクトメールを頂いている。

大阪の八尾カワサキの加籐さんの息子さんである。

お父さんの加藤さんはよく知っている旧い仲間である。、1977年八尾カワサキの1号店としてスタートしたお店は、大阪営業所の東ショップを加藤さんが引き継いでスタートしてくれたものである。

加藤さんとは、その前の名古屋のマリーナ当時も、さらにその前の北陸カワサキのころも、いろいろ関係があった。

 

今は大成功されて、カワサキとハ―レ―のお店を手広く展開されている。

いろいろバイクのお店はあるが、

ミッションステートメントをこのように発表されているのは珍しいことである

 

★息子さんがおられて、そのお一人とは一度お会いしてお話したことがある。

最近、ダイレクトメールをくださる加藤喬久さんは、そのお会いした息子さんかどうかも解らずに、このブログを書きだしたのだが・・・・

今朝のツイッターでは、

加藤 喬久 KAKATO_TAKASHI いやはや脱帽です。古谷さんはなぜフォローを増やしてるんですか?

というご質問を頂いたものだから、『NPO The Good Times の情報発信力を増やすために』とご返事し、団体会員で参加されませんか?とお誘いしたのである。

直ぐ返事が来た。

加藤 喬久 KAKATO_TAKASHI ちなみにThe Good Times 会員番号509番が僕の番号です

 

 

会員番号509番。

忘れてしまっていたが、

それならこのときお会いした息子さんに違いない。 旧いブログを探してみた。『バイクの世界2代目』と題して書いたブログである、直ぐ見つかった。

大阪公会堂でのSEMBAの展示会の時に出会って、個人会員になって頂いたに違いない。

 

 

その時、竹内さんと一緒に写っている写真で、ブログにも いろんなことを書いている。

 

『そこで出会ったのが、八尾カワサキの加藤喬久さんである。
八尾カワサキの2代目、お父さんはよく知っているが、息子さんとは初対面である。
36才、頂いた名刺には総務部長の肩書きであった。

・・・・・・・・・・・
八尾カワサキのスタートもこの前後のはずである。(昭和52年だった)
あの頃、特約店の選別の第1条件は、『人物』であった。
店の実績や、店舗の大きさや、財務状態などほとんど重きを置かなかった。

もし、あの頃なら、間違いなく『GO』合格である。
然し、今は『2代目』そんなに自由度もないのだろうし、仮に力があったとしても『創業者』のようには行かないだろう。

●今の二輪業界が、もう一つ迫力も、面白さもないのは、
メーカーも販売店も、完全に『2代目』の時代に入ってしまっているからだろうと思っている。

『2代目』は、ほんとは力があるのに、なにもせずにただ守ってしまっているのではないか?
ある意味、『自民党』みたいである。
『2代目の時代』に入っているのに、創業者が実権を渡していないのかも知れない。

 

★・・・・とこんなことを書いている。 読み返してみたが、今でもそう思っている。

二輪業界が、本田宗一郎がトップを走って業界を引っ張った時代には、業界全体に、『創業者の迫力』があった。

カワサキとて、初めての世界で、無茶苦茶背伸びして頑張ったのである。

今は、メーカーも、販売店も、雑誌社もみんな『2代目』になってしまって、業界に全然迫力が感じられないのである。

 

みんな気付いていないだけで、

二輪業界を小さくしてしまっている張本人は、『メーカーであり、雑誌社である』 と昨日『別冊モーターサイクリスト』の方とお話したばかりである。

あまりにもタテ型の枠の中に閉じこもって、真面目に、所属するメーカーの車や雑誌を一生懸命売ろうとするから、業界はどんどん小さくなってしまう。

『二輪は遊びの道具である』  遊び心が底辺にないと、ダメだと思う。

 

雑誌社は、バイクファンばかりを囲い込もうとするから、新人が入ってこれないおかしな世界を作ってしまう。

カワサキコーヒーミーテングなども、楽しいだろうが、言ってみればOB会みたいなものである。

もっと新しい世界、新しい分野を視野に入れて、発想しないから、どんどん縮じむばかりなのである。

八尾カワサキがスタートした当時のもう40年も前の販売網の発想のまま、現在も正規販売店などと言っている感覚がおかしいのである。

 

大体、世の中、創設者は偉大で創造し、2代目は守り、3代目が頑張ると言うのが相場である。

2代目の人たち、奮起一番頑張ってほしい。

それとも、3代目まで待たねばならぬのだろうか?

 

メーカーも、規制などせずに、末端が自由な発想で動けるようにするだけで、そんな雰囲気になれば、今の倍ほど売れるのでは?

世の中は、二輪にとって、間違いなく『追い風』なのである。

加藤 喬久

KAKATO_TAKASHI 「バイクレースを知らない人、好きでない人に見てほしい。」チーム紳助、16年ぶりに鈴鹿8耐に復活! はるな愛、サンドウィッチマンらがメカニックに!!http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110607-00000328-sph-ent
Soul ArchれむりノアマンYasutaka Miwa山下和彦Pooh古谷錬太郎 




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昨日はZ1会のゴルフでした

2011-06-09 04:55:04 | カワサキワールド

★昨日は三木セブンハンドレッドクラブでの恒例のZ1会のゴルフでした。

年に4回毎年行われているゴルフですが、会員の方の日頃のおこないがいいのか、一度も雨に当たったことがありません。

昨日も、朝までは雨だったのですが、集合時間の8時半には雨も上がってのスタートになりました。

いつもの通り、監事の仲さんの挨拶で始まりましたが、この時点でまだ何人かが来ていきていませんでした。

一番左は、青野ケ原より前に、カワサキのレースを当時の販社カワサキ自販と一緒にやられていた井出さん82歳です。

その横はこの会の会長、Z1の開発責任者大槻さん81歳です。カワサキノ初めての鈴鹿6時間耐久レースの監督でもあります。

このレースは、カワサキに初めて正規に任命された監督が出来たレースでした。副監督は生産現場にいた田崎さん(元川重社長)でした。

そのレースを走った飯原武志君も、そのレースがカワサキでのデビュー戦だった金谷秀夫くんも、このZ1会のメンバーです。

そのほかにもカワサキのレース関係者はいっぱいです。

ライダーでは、飯原、金谷、歳森、的野、清原、杉本、杉尾、塚本、梁など錚々たるメンバーですし

監督やメカなど関係者では、井手、大槻、平井、百合草、藤原、吉田、重本、などカワサキレースのOB会のような顔ぶれでもあるのです。

 

ご存じの顔もあると思います。一番ちゃんと写っているのは、Z1のエンジン開発者、稲村暁一さん、この会の副会長です。

 

 

上の写真には写っていなかった、金谷秀夫、バイクに乗せたらアタマをとったりするのに、集合するのはいつもドンケツです。

後ろにいるのは、現在のMFJのロードレ―ス委員長杉本五十洋さん。

 

昨日の私のパートナーは、その杉本五十洋さんと、左はカワサキの初めてのモトクロスもロードレースも走った飯原武志くん。

右に写っているキヨさん清原明彦が『師匠』と呼んでいます。

なんの『師匠』か?  ゴルフは間違いなく『師匠』ですが、バイクの世界でもテストライダーチームの先輩ですから、キヨさんも一歩も二歩も下がっての対応です。

天下のキヨさんに、一番づけづけ文句を言うのも、『いいさん』なのかも知れません。

『通称いいさん』の飯原くんとは、何となくご縁があって、このZ1会に私を誘ってくれたのも『いいさん』です。

今日のパートナーも、『いいさん』の指名で組まれたようで、そんな中に入れて頂いてよかったです。

杉本五十洋くんが一番後輩なのですが、現役時代直接関係がなかったので、『さん付け』で呼んだりしています。

 

 

前の組は、稲村、金谷、それに渡部達也、NPOの副理事長のタッチャん、そしてこの会の監事仲さんです。

このコンペのいいところは、どんな組み合わせになっても、間違いなく楽しく1日が過ごせるメンバーが揃っていることでしょう。

 

一緒に回った杉本五十洋くん。

準優勝でした。 優勝者と同スコアだったのですが、ハンデイの関係で準優勝、あと1打でした。

右に写っているのは、

ツイッターに出てくる yakisada さんです

 

久しぶりに、日本グランプリのモトクロスにW1でエントリーした伝説の猛者、『めーちゃんこと山本信行』くんも出場して、

独特の『メ―ちゃん節』を披露しました。 

 どんな話振り? 聞いてみたい人は、世界に同時中継で流れた 『カワサキの想い出そして未来』でのUstream をお聞き下さい

め―ちゃん節は一番最後ですが、田崎さんも、高橋さんも、平井さんも、大槻さんも、私も金谷秀夫くんも、小林ゆきさんも、スピーチも会場の様子も見られます。

既に800人以上の方がみられています。 今現在846人です。あなたは何人目になるのでしょうか ?

カワサキの想い出そして未来の総集編はこちらです。

 

 

 

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6月の庭の花

2011-06-08 04:56:25 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年は梅雨入りが早いのか、季節の訪れが遅かったのか、

5月の薔薇が一斉に咲いた感じがないままに6月に入った。

雨で花が痛むので、毎朝花柄を切るのが忙しい。

「京かの」この可憐な花も咲いた。

 

 

これは、「ラズベリー」この花たちが、みんな黒いベリーになる。

緑の実のようなのが、みんないちごなのである。

あちこちに勝手に根をおろしてこんなに大きくなった。

ちょっと持てあまし気味である。

 

 

ちょっと、見えにくいが、「睡蓮」も花開いた。

 

この花の名前は忘れてしまったが、

これも蔓性で放っておいても、幾らでも増える。

園芸は、世話もするのも楽しみの一つだが、手間のあまり掛らない方がいい。

 

 

この紫の花も宿根草、これも幾らでも咲く。

ピンクの花は、「ザ、フェアリ―」1月まで咲き続ける薔薇だが、まだ満開にならないのは珍しい。

 

 

こちらは「アンジェラ」、育てやすい。

大きくも、小さくも育てられる。つる薔薇だが、四季咲き性も強い。

薔薇は難しいなどと言われるが、この二つは、殆ど手間はかからない。

強健である。

 

「ダブルデライト」、何となく難しいが、花は綺麗である。

 

 

名前が解らないが、なかなかの存在感である。

 

 

「ブライダルピンク」、最初難しいと思ったが、最近は簡単である。

家に最初からあるバラである。気が大きくなって強くなったのかもしれない。

大体、4、5年も経つと、確りしてくるのである。

そのころで青年期かな、と勝手に思っている。

 

6月後半、もう一度、返り咲きの薔薇たちで賑わうことだろう。

 

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昭和54年(1979)46歳 まだ若いのに、エライさんばかりが相手だった

2011-06-07 05:48:49 | 自分史

★前年、アメリカのダンピング対策のために春先から、川重本社財務の人たちも入っての国内流通網対策は、流通の経験や販社の実務が解っている人がいないために、ヤマに登ってとん挫してしまったのである。

6月に常務会を通した原案がもう一つ現実離れがしていて、秋口になって、急遽本部長から指名を受けて、その対策に掛ったのである。

常務会の原案をひっくり返して作った案は、年末に本社各部もその上部会議もクリアして、正規の計画として承認されたのである。

さらに、計画立案だけかと思っていたのに、最後になって、国内グループの常務として実質指揮を取れということになってしまったのである。

46歳、川重ではまだ課長職であったが、それまで国内400人ものグループを纏めてきたのは、故田中誠社長以下役員や理事レベルの方だったのに、無茶苦茶の若返りだったのである。

確かに社長は塚本本部長、副社長は高橋鉄郎さんなのだが、実務は一切されないので若干46歳が、国内販社の先輩方を含めて統率すると言うことになってしまったのである。

 

★当時のカワ販グループは、売上台数2万台弱、売上高50億円ぐらいの規模だったが、累損、含み損合わせて10億円もの赤字のある不良グループだったのである。

本家の単車事業部の業績ももう一つで、この年はずっと川重を支えてきた造船部門が造船不況で、何千人もの人員削減をしなければならぬ時期であった。

本社財務もこの国内販社問題は、独り国内だけではなく主力市場のアメリカのダンピングと密接にかかわる問題だったので、放置しておけなかったのである。

このダンピング問題の責任者は、本社財務本部長の大西常務が担当されて、毎月国内の実績を本社に報告しなければならなかったのである。

 

30代の初めから代理店の経営や直営営業部の経営管理など、経営の真似ごとみたいなことは何度も経験したのだが、常務という肩書で実質経営を任されたのは、初めてのことである。

不思議なもので、肩書は世の中ではそのように扱ってくれるのである。

課長の分際で毎月大西常務に報告していたし、川重関連会社の社長会にも出席したりした。

大体関連会社の社長などは、川重の役員をされて、引退をされてから付かれるような職責で、出席されているのは、みんなそんな年配の方ばかりなのである。そんな席に46歳の若造が独り交じっているのは異様であった。

 

カワサキオートバイ販売の主力取引銀行は、当時の協和銀行の本店取引だったのである。 銀行取引はどこの企業でもあるのだが、『本店取引』など経験のある方は、まずないと思っていい。

なぜそんなことになっているのかと言うと、メグロの取引が協和本店だったので、当時大きな問題であったメグロをカワサキが引き受けたので、そんなことで特別扱いだったのである。

そのころのことはよく知らぬが、協和の方の口ぶりでは川崎に恩義を感じておられたのは間違いなかった。そんな対応だったのである。

決算報告に行くと、協和本店の立派な応接に通されて、ホントの専務さんや、常務さんが応対に出てこられるのである。

こんな経験が、その後も誰とお会いしてもビビったりしなくなってしまった。

ずっと、年の離れたホントのエライさんと話などすることに慣れてしまったのである。

 

前年まで、国内の販売会社を担当されていた私のかっての上司の方たちは、何処かに行ってしまわれたのではなくて、このグループの周辺にはおられたのである。

田中誠、高岡秀明、苧野豊明、清水屋辰夫さんたち、こんな先輩たちのお相手を、昼飯だけは応接室で毎日一緒に食事のお付き合いをしていたのである。

滅多に褒めてくれない田崎さんが、 『ようやるな』 これは流石に真似できないと、感心してくれたのである。

 

★そんなこともあったが、肝心の、国内の経営は、全く順調極まりなく推移した。

これは、一生懸命やったこともあるが、8割はツキである。

この年4月に、バイクファンなら大体の方はお解りのFX400が市場に出たのである。

カワサキのヒット商品を3つ上げろと言われたら、誰でも、Z1, FX400, そしてZEPHRE と言うだろう。

私がツイテいると思うのは、この3機種の時期に、いずれも国内市場を担当していたのである。

 

そんな中でも、FX400の印象は、強烈だった。 バックオーダーが解消されずに、作りさえしたら売れたのである。

秋口には、年間の事業計画の台数は売り切って、黒字転換は勿論のこと、10億円もあった累損も、含み損も殆ど消滅してしまったのである。

大西常務に年末に、『君ら昨年、改組問題を出してきたときに、こんなになると解っていたのか?』と質問されたが、

そんなこと解っているはずもない、結果がそうなっただけの話である。まさにツイテいたのである。

あれだけ大問題であった国内問題は、1年でほぼ解消したのである。

 

★旧い書類の中に、この年8月に作った、本社への報告書の中の1ページである。

当時の経営環境は結構厳しかったのである。

今のような従業員の給料が殆ど変わらないような環境ではなくて、毎年人件費は上がるのに、二輪の市場だけは一定で増えない中での事業経営だったのである。

赤字からの脱出は目途がついたが、経営の安定化はなお課題であった。

この資料を見ても、ちゃんと広く見て考えてるなと、今頃バカに感心して自分で眺めたりしている。

 

造船不況で人員整理や、ボーナスも上がらなかった中、この年の夏、カワ販の従業員に、川重が決めてきた水準に一人3万円を勝手に上乗せして支給してオコラレタ。

億の経営改善をやっているのだから、『1000万円ぐらいは』と思っただけである。

『権限とは、その人に与えられた誤りの量である』

私はずっとそう思っているし、部下の誤りもその範囲であれば、怒ったりしたことはない。『1000万円』はその誤りの範囲と思っただけのことである。

 

常務と言って威張っていても、川重課長職の常務にオコレル人は明石にいっぱいいたのである。

オコラレタけど、支給してしまった後だから、『返せ』とまでは言われなかった。

別に、反省もしなかた。 結果がよければ、何とかなるものである。

 

★世の中は、造船不況だったが、250円もの円安で、二輪事業は結構よかったのだが、何故か本社からは、信頼が薄かったのである。

受注事業ばかりの川崎重工業で唯一民需量産事業の二輪事業は異質で、そんな経験もないものだから、二輪事業のやり方が不思議のに思えたに違いない。

例えば、ニューモデル開発に試作車を何台も作って走らせる。この部品は量産ではないからべらぼうに高いのである。

本社の人たちの目には、『高いオモチャ』を作って遊んでいるように見えるのだろう。確かに試作車が何台作ればいいのか?

船でも、電車でも、試作車など作らずに、最初から『ホンチャン』を作ると言われるのである。

 

ただ、毎月大西常務のところに報告に行って、いろんな話を周囲の方とも出来て、本社の方の二輪事業への理解や、特に若い連中には二輪事業への関心が出来たのも間違いない。

私自身は、業績の改善も顕著で、大いに信頼を勝ち得たのである。 ホントにツイテいた。

 

 

★夏の大会に、地元の明石南高が出場している。

中村治道さんがまだ、元気なころで、『女学校が甲子園に行くのに明高はどうなってるんや』と明石の野球部のOBの私に文句を言いに来られた。

中村さんは、明石の先輩で、あの中京―明石の25回戦を見たと言う方である。

明石南は確かに昔は女学校だったが、そのころでも明南を女学校などと言う人は少なかったので、辟易したが、如何にも中村さんらしくて懐かしい。

 

このころも、家のことなど見向きもしていないが、関心のあったのは息子のサッカーぐらいである。

小野高校の1年だったが、関西ユースに選ばれて、全国から集まる検見川の合宿にも参加し、1年生のベストイレブンに選ばれたりしている。

親バカで、ホントにひょっとしたらひょっとするかと、思っていたりした時期である。

 

自分のことでは、国内の成績がよかったこともあって、この秋10月に部長昇格になっている。

ずっと常務と呼ばれているので、別にどうともなかったが、川重の所謂第一選抜の数人の中に入っていたので、順調だったのである。

ただ、『何をやりたい』と思っている連続だが、 『何になりたい』と思ったことはホントにない。

78歳の今になっても、『やりたいこと』だけはいっぱいなのである。

 

昭和54年、46歳、  『まだ若いのに、エライさんばかりが相手だった』 そんな1年だった。

 

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菅さんと、国歌国旗問題と・・・

2011-06-06 05:02:09 | 発想$感想

★日曜日の午後、家に居たら、12時からはNHKの囲碁を見て、そのあと3時までは『たかじんのそこまで言って委員会』を観ることに決めている。

このスケジュールは殆ど変わらない。

関東の方は『観ることのできない番組』だが、その事実だけでも何となく関西が『優越感』を覚えるいっときでもある。

番組で話される内容は、なかなか次元が高くて、なによりも『ホンネトーク』なのがいい。

国会言葉の『一定の・・・』などは決して、出てこない、関西流、大阪流の『ざっくばらん番組』なのである。

 

司会は、いつもの通り、やしきたかじん  辛坊治郎だが、

 今回のパネラーは、三宅久之、金 美齢、田嶋陽子、桂ざこば、勝谷誠彦、宮崎哲弥、村田晃嗣、のほぼレギュラー陣、

それに初出場の中国人、チェン・チューさんだった。

 

★まず最初に、取り上げたのは、『菅総理の不信任決議案』問題。

昨日あたりが最高潮で、鳩山さんから一国の総理を『ペテン師呼ばわり』する失礼極まりない言葉も出たが、

それも仕方がないかなと思ってしまうような、菅さんの対応と、発言であった。

 

1月まで頑張ると言っていたのが、8月ごろまでとトーンダウンしたようだが、

今朝の新聞では、一転自民党との大連立などの話が一面トップを飾っている。

みなさんの意見も、権力の座にしがみつくのは『みっともない』というのが大勢であった。

 

★順番になれる日本の総理は、一国をリードする見識や、リーダーシップがなくても、総理大臣になれたりする。

菅さんだけが、ダメ総理だったわけでもないのだろうが、今まではこんな大問題に直面しなかったのでボロが出なかったのだと思う。

こんな1000年に一度の大震災の時に、総理の座にいたのが、『運が悪かった』と言うべきかも知れない。

この大震災の旗振りは、『菅さん』ならずとも難しいのは間違いない。

できないと思ったら、『辞めたらいい』のに、逆にしがみつくからいろいろ言われるのである。

 

東電の対応もとかく言われているが、東電ならずとも、関電でもどこでも、そんなに完璧に対応するのは難しいのだろう。

今の東電の社長さんもお気の毒である。

平時ならともかく、『私はとてもこんな重大な時期のリーダーにはなれません』と言ったら、多分『無責任』との大合唱になるに違いない。

何をしても、何と言っても、なかなか褒めては貰えない。

 

★こんな時には『腹を決めたら』いいのだが、

菅さんでも、東電の社長さんも、『能吏で、優秀』かも知れぬが、『リーダーらしくない』のがいけない。

よほど、何処かの町長さんや、福島原発の吉田昌郎さんの方がリーダーらしいのである。

 

こんな事を言うと、怒られるかも知れぬが、

大体、リーダーの資質など、生まれつき備わっているもので、

賢い能吏よりは、暴走族のリーダーや暴力団の親分の方が、組織や人を束ねる能力は持っているのではと思ったりする。

 どうなるのか、よく解らないが、次に総理をやる人も大変だが、次の総理はリーダーらしいリーダーになって欲しい。

 

総理の権力、歩くと前の扉は開けなくとも、みんな勝手に開いてゆくなどとはよく言われるが、

三宅さん曰く、ゴルフに行く時でも、赤信号が次々に青に変わって、『止まる必要がない』とか。

そんなの経験すると、辞めたくなくなるのだろうか。

そんな権力の好きな人ではなくて、『物事を纏める事が好きな人』は、いるはずである。

 

★そのあとの話題は、国旗国歌問題。

大阪の橋本知事の大阪維新の会提出の条例可決の話。

大体が、『右翼番組』と言われるだけあって、全体の流れは橋下さんに、『拍手喝采』する方が主流。 例によって田嶋さんが孤軍奮闘である。

 

先日私見を述べたが、条例まで作らずとも、こんなの世界の常識通り、自然に起立し自然に歌えばいいと思っていたが、

『公務員だから』

『教育委員会で決められ』  

今回は『最高裁の判断も出て』 『法律を守らねばならない』立場の先生が、自ら『法律を守らない』のはおかしい、

『いやなら、卒業式に欠席すればいい。出席して指示違反は…』

と言われると『なるほど』とも思った。

 

アメリカの最高裁では、別に立とうが坐ろうが自由だそうである。

でも、アメリカには至る所に星条旗は平日でも掲げられているし、国歌斉唱で座っている人はいないはずである。

そうすることは、まさに常識として、確りと社会に根付いている。

 

なぜ、こんなことになっているのだろうか?

二つとも、考えさせられる問題ではあった。

 

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野球はピッチャー

2011-06-05 05:54:30 | スポーツ

★阪神ーソフトバンク戦の2回戦、能見―杉内の投手戦で、今5回を終わって0-0である。

エースがいい投球をすると、なかなか点は入らない。

野球は9人、ベンチのメンバーも入れて10人以上でやる団体スポーツだが、ピッチャーがいいとチームの実力は大幅にアップする。

学生の頃、野球部にいて10年間も野球をやっていたが、チームのピッチャーには恵まれて、いい野球部生活を送らせていただいた。

能見―杉内の投げ合いを見ていると、高校時代の球友、溝畑圭一郎を思いだした。

彼もサウスポーだった。

 

もう60年も前の野球だから、今の高校球児のレベルと比べたら全然歯が立たないような野球ではあったが、その時代のレベルではトップレベルであったことは間違いない。

ひょっとしたら、最近の検索のことだから、『溝畑圭一郎』と検索したら何か出てくるかと思ってやってみたら、出てきたのである。

 

●不思議なことに、神奈川県の年度別戦績表1950年の夏の大会の主な出場選手の中に、明石高 溝畑圭一郎の名前が載っていた。

このころの甲子園は最初から優勝戦まで組み合わせは決まっていて、スポーツ紙の予想には、決勝戦は「瑞稜ー明石か」なと言われたりしたのも、『溝畑』というピッチャーがいたからである。

結果は、1回戦で鳴門高に4-2で負けてしまったが、決勝戦はその鳴門と松山東で争って、松山東が優勝したのである。

昭和25年、高校2年の時であった。

(ちなみにこの年、阪神の吉田義男が京都の山城高校から出場している。

山城高校、米子東と大会の後、確か豊岡市の市制何周年かの記念大会に招待されて、城崎温泉の西村屋に泊めて頂いた思い出などもある。

『吉田義男』小さいのに3番を打っていた。守備よりも打者の印象が強かった、よく打っていた。)

 

そんなに評価が高かったのは、兵庫県予選の準々決勝では灘高校を相手に『完全試合』をしていたからだろう。

当時は、完全試合が何たるやがよく解っていなかったそんな時代だったのだが

『野球はピッチャー』という典型的なチームであった。

 

★そんな溝畑がいたものだから、点をあまり取られないのである。 『野球はピッチャー』を身をもって体験した実感がある。

社会人は神戸製鋼だったが、都市対抗にはどこが勝っても補強選手に選ばれて後楽園に出場していた。

ゴルフなどやらしたら全然ダメなのだが、不思議に思うほど、野球だけ上手いのである。

 こんなブログを見つけた。そんな中に、溝畑圭一郎の名前があった

『溝畑さんは、平成20年5月の地元西宮市、尼崎市での第18回全日本古希野球大会を最後に辞められました。
彼は、神戸ロマンズが平成15年に結成された当時はチームの投打の柱で、監督は絶大な信頼をしてチーム内で特別扱いをしていました。
還暦野球とソフトボールにも関わっていたので、忙しくて神戸ロマンズの練習には全くと言って参加しないのに、全日本大会など大きな大会では先発メンバーとして使っていました。』

などと書かれている。

ごく最近75歳ころまでやっていたようである。


最近は会っていないが、元気にしているのだろうか?

高校の球友たちも半分は逝ってしまって、残っているのは溝も入れて4人だけである。

 

★阪神ーソフトバンクは、8回に入っている。

能見ー杉内 まだ0-0で投げ合っている。いいピッチャーは本当に、打てないのである。

 

大学の最後、1年卒業を延ばして、野球部の監督をしていたが、その時1年生で入部してきたのが、小山修身君である。

秋のリーグ戦、小山は54イニング連続無失点の学生野球記録を樹立した。54イニングも点を取られなかったら、勝って当たり前である。

チームメ―トのピッチャーには恵まれて、『野球はピッチャー』を体験したいい野球部生活だった。

 

能見は9回に打たれて、2-0で阪神は負けたが、いい試合であった。

7回二死満塁、能見に代打を送らなかった真弓監督、新聞にいろいろ書かれているが・・・・気持ち、解らぬでもない。

 

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Zegna のパンツ

2011-06-04 05:01:39 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 ★ある時期、身につけるものに凝ったりする。

時計を集めたり、スーツなども仕立てがいいとか悪いとか。

亡くなった父なども、背広は『神戸の柴田』などと言って、それでないといけないようなことを言っていた。

私自身も、50を過ぎるころからは、一応はちゃんとした銘柄など、所謂高級品を揃えた時期はあったが、その銘柄などには、あまり興味はなくて兎に角『いいと思ったもの』がいいと言うような選び方だった。

 

靴なども、イタリアの現地で買ったものなども、今でもあるのだが、最近はさっぱり興味がなくて、専ら運動靴である。

背広なども現役のころのモノがいっぱいあるのだが、

誰かに上げようと思っても、息子も、義理の息子も、どちらも体形が合わなくて、ずっと洋服ダンスに眠っている。

大体、上下のスーツを着る機会がまずないし、替え上着もゴルフに行く時ぐらいだが、それも最近では昔のようにちゃんとした上着でゴルフ場に行く風習自体がなくなってしまったように思う。

 

★身の回りを構わぬようになると、最近は安くていいものがいっぱいある。

ユニクロが流行る時代で、つい先日も夏の普段のズボンを2着3000円ほどで買ったばかりである。

そんな、最近の日常生活なのだが、

 

今日は、Zegna のパンツが、6本も届けられたのである。

ゼニアなど知らなかったし、縁がなかったのだが、

検索で調べてみると、イタリアの高級ブランドである。

 こんなサイトが現れた

 

 つい先日、2番目の妹が、母の見舞に来て、その帰り家に寄ったのだが、その時の会話で、腹周りは幾らだと聞くのである。

最近は、体重は80キロを悠に超えて、100cmに近い。

妹の主人、義弟はつい先ごろ亡くなったのだが、背は私より低かったが、結構な体形であった。

慶応ボーイで、写真はやるし、先日ちょっと紹介したように切り絵もやる。酒も矢鱈と強かった。

服に凝っていたのかどうかは知らなかったが、妹が股下は幾らだと聞くのである。

腹周りは合いそうだから、丈を伸ばして、ズボンを送ってあげると言うのである。

その時は、そのズボンが、Zengna などとは知らなかったのである。

 

★昨日、宅急便で届いたパンツは、当然新品ではないのだが、見ただけでその辺に売っているものとは違うなということだけは直ぐ解った。

早速、お礼の電話をしたら、妹曰く『あれは英彦の店の商品だから、イタリアのZegnaaで高級品だ』というのである。

パンツのサイトを見ても値段は、ゼロが一つ多い感じである

そう言えば甥っ子は、そんなところに勤めていた。

そんな高級パンツ、替えズボンから、ジーパンまで6本も揃って、これで一生ズボンは買う必要がない。

 

★別にお返しなどする気も、全然ないものだから、

お礼の代わりに、甥っ子の勤めている『Zegna』 の広報のお手伝いぐらいはしておこうと、ブログに書いている。

 

★甥っ子はもう一人いる。

こちらが長男である。

神戸の元町で、こんなプロフェッショナルなギターの専門店をやっている。

亡くなった義弟に似て、なんでも凝るところはよく似ている。

このサイトをご覧になればお分かりのように、なかなかのお店なのである

 

まだ活動はしていないが、NPO The Good Times の団体会員さんでもある。

今日のブログは、Zegna の高級パンツ6本も頂いたお礼の、

Zegna と TONE BLUE  の広報ブログである。

ツイッターで全国15万人に向け、ツイートすることにする。

有難うございました。

 

 

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「信じて任せられない」政治家の言葉

2011-06-03 05:19:44 | 政治

★昨日の午後、ずっとテレビを見ていた。

菅さんを始め、大勢の政治家の言葉を4時間近く聞いていた。

言葉を専門のツールとして、生きている方たちだから、みんな独得だが、どのような質問にも、どのような対応にも、上手に対応される。

聞いているその時は、それぞれその方の意見は尤もだと思うのだが、

ちょっと時間をおいて、思い返してみると、それがどこまで本音だったのか、

それこそ『信任』できないような気持ちになってしまうのである。

 

その4時間を、振り返ってみる。

 

★民主党の代議士会があって、菅総理は提出される不信任案に対して、

自らの想いを大要、次のように語った。

 『東日本大震災の中、野党から不信任案が提出された。私に不十分なところがあったことが不信任案提出につながったと受け止めていて、改めておわびしたい。

 今、私たちが置かれているのはどういう状況か。何としても震災の復旧・復興の道筋をつけていくこと、原発事故の一日も早い収束を図ることに、すべての力を傾注しないといけない。被災者からは、遅い、不十分だという厳しい指摘もたくさんいただいている。私の指導力や考え方に不十分だった点も多々ある。

 三つのことをしっかり目標として取り組んでいく。

一つ目は、震災は原発事故が継続中だし、復旧・復興もこれから本格化する。全身全霊をあげて最大限の努力をする。

二つ目は民主党を壊してはならないという根本に立って行動する。そして、

三つ目に、自民党に政権を戻すことがないよう対応していく。

 震災への取り組みに一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代に責任を引き継いでもらいたい。

一定のメドがつくまで責任を果たさせてもらいたい。

そのためにも、不信任案を一致団結して否決し、自民党に政権が移ることのない道筋を歩み、一定のメドがついた段階で若い世代への引き継ぎも果たしてほしい。

国民が政権交代で期待したこと、被災地のみなさんの望んでいることにつながると思う。 』

 

★何となく解るが、何となくはっきりしない表現である。

『一定のめど』とはどんなことか?

『なぜ若い世代』でなければならないのか?

『若い世代とは、何歳まで』を言っているのか?

など、兎に角、本音がよく解らない、政治家の言葉で語られている。

如何にでも、言い訳が出来るように、政治家の言葉で語られている。

 

今6月2日午後1時15分、今後どんな展開になるのだろうか?

 

★自民党などの対応は、殆ど変わっていない。

ただ、小沢さんは、『今まで、引き出せないことが引き出せたのだから、「自主判断」でいいだろう。』と述べたようである。

もうすぐ、衆議院で、不信任決議案の採決が始まる。(13時半)

 

★衆議院での『不信任案、賛成、反対』の討論が続いている。

大島自民党副総裁、民主党の山井和則、自民党石原幹事長、公明党の井上幹事長、みんなの党柿沢未途、以上の討論が今終わった。(15時05分)

1時間ほど前に行われた民主党の対応にも、ちゃんと触れられていて、そのあたりは流石に早く対応できているとは思った。

みんななかなかのスピーチで、菅さんの言葉よりは説得力があると思った。

 

結局、小沢さん以下30人ほどの議員が欠席棄権、出席者のなかから松木けんこう議員は反対票を投じたが、

『不信任案』は反対多数で、大差で否決となった。

『 菅さんが辞める』ことで決着したが、今度は『何時辞めるのか?』『次は誰か?』が焦点なのだろう。

 

★この間、ずっとテレビを見ていて、この間沢山の政治家の人たちの言葉を聞いた。

聞いていると、『なるほど』と思うようにみんな上手に仰る。

然し、特に菅さんの発言などは、どこまでホントなのかと思う。

KEYは、『菅さんの辞任の時期』なのだが、鳩山さんの発言と、岡田さんの談話では、全然解釈が違うのだが、その辺のところがさっぱり解らない。

 

政治家の言葉も、政治的判断という言葉も、普通一般の人の言葉とは『異質なモノ』を感じてしまうのである。

この人なら『信じて任せることの出来る人』に次の総理はお願いしたいものである。

 

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昨日はゴルフでした

2011-06-02 11:44:57 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日は、三木の隣町小野の播磨カントリーで大学の野球部OB会のゴルフでした。

雨かなと心配していたのですが、何とか曇り空のもと、雨に降られずに楽しいゴルフでした。

 

★青空というわけにはいかなかったのですが、この程度の曇り空でした。

最近は、ウイークデイにやると、会社勤めの現役諸君の参加は殆どありません。

そんなことで、メンバーは還暦を超えた人たちばかりの5組でした。

 

それでも、私よりも2年先輩方が、3人も参加でそのうちお一人が優勝です。

このごろの年寄りは元気だと言うべきか、このような催しに参加する年寄りは元気だと言う方が当たっているのかも知れません。

★スタート前は、雨を覚悟して、こんな雨対策万全のメンバーもいました。

左は、一番先輩の太田さん、もう80歳だと思います。

右の雨対策万全なのは、つい先日まで、65イニングだったか、連続無失点の学生野球記録保持者の小山修身君です。

7試合連続で零点で抑えたのですから、勝つのは当たり前で、結構強かったのですが、近大が強いころで優勝は出来ませんでした。

私が大学5回生で、監督をしていた時の1年生ですが、昨日のコンペでは70歳以上組で、前のテイ―から打っていました。

以前はよく飛んでいたのに、めっきり衰えてしまいましアt。

 

★還暦を過ぎても、かっては野球部の連中ですから、結構飛びます。

私のパートナーは3人とも60歳代なので、レギュラーテイ―使用です。

一人だけ前から打つのも、もう一つなので、レギュラーテイ―から、付き合いました。

 

播磨カントリーは、かって日米対抗を何度も開催した、距離のあるコースです。

私は、ずっとメンバーだったのでよく解っていますし、若かったころの飛距離との比較もできるのですが、

スコアはともかく、ショットの方は昔と殆どかわりませんし、たま筋もいいのは、道具の進歩と身体の柔軟性、ストレッチのお陰だと思います。

大体最近は、ゴルフに対するスタンスが不真面目で、ヨセやパットを一生懸命やらないから、スコアが纏らないのは、その通りなのですが、

そんな集中力がないのが、年をとった証拠なのかも知れません。

 

★私も、78歳です。

高校の野球部の同期は半分になりましたし、

こんなコンペで、集まった時の話題に、いつも何人かの人たちが、いなくなってしまうのは寂しい限りです。

昨日も、昨年秋、OB総会で久しぶりに会った3年下の後輩が、この春急逝したと言う話でした。

そんな話は、悲しいのですが、いつまでも大丈夫と思ってしまうモノです。

 

次回は秋のOB総会の前日、11月11日にやろうと言うことで、昨日はお開きになりました。

元気なら、間違いなく次会も参加するつもりです。

 

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年配者のインターネット

2011-06-01 05:35:31 | 発想$感想

★ 定年後にj始めたパソコン、初めて出会ったインターネットの世界だが、今では1日5時間以上もパソコンの前に坐っている。

The Good Times というNPO法人も主宰しているが、このNPOもインターネットのいろんなシステムを縦横に駆使した、日本でも珍しい『システムそのもの』のNPO法人なのである。

IBMという当時パンチカードシステムにはじめて出会って償却計算に取り入れたのは、昭和34年(1959)ころ、まだ日本にIBMが一般的になる10年も前の話なのだが、

それ以来50年もご無沙汰していた『ネット、システムの世界』とは何となく性に合うのかも知れない。

 

確かに、78歳の年寄りのパソコン遊びとしては、少し普通ではない。

昨日は、このブログにも1294人の方にアクセスして頂いた。新記録である。

 ただ、世の中は年配者のインターネットも、どんどんその輪が広がっていると言う。

 

 

★yahooの意識調査でこんな質問があった。

『総務省の調査によると、60歳以上のインターネット利用率は、2年前に比べて右肩上がりで伸びているそう。あなたは、60歳以上になったとき、自分のインターネットの利用時間は今と比べてどうなっていると思う?』

(現在60歳以上の方は、以前と比べた現在の利用時間についてお答えください)

 そんな内容を覗いてみると、こんなことが書いてある。

● 総務省の調査によると、2010年末時点での世代別インターネット利用率は、60歳~70.1%、65歳~が57.0%、70歳~が39.2%、80歳以上が20.3%で、 2年前に比べて、いずれも右肩上がりで伸びている。

 「インターネットが一般的になったのは10年前の2001年。 70代の利用者となると、元技術者という人も多い。

などと書かれている。

 

そして

『あなたは、60歳以上になったとき、自分のインターネットの利用時間は今と比べてどうなっていると思う?』 という質問に対しては、

その答えはこんなことになっている。

大部分の人たちが『今以上に使っている』 というのは当然で、納得できるのである。

 

★私自身のことを振り返ってみると、仕事での現役は2000年までであった。 年齢で言うと67歳である。

現役時代会社には勿論パソコンもあったのだが、パソコンは一切触らなかったし、全く無縁だったのである。

携帯電話も持つように勧められたが持たなかったし、今でも持ってはいるが家に置きっぱなしで、使ったことは殆どない。携帯の番号を知っている人もいない様な状況である。

ただ、冒頭にも書いたように、IBMというモノに出会ったのは、一般の日本人がIBMに出会う10年も前、アメリカ空軍のIBMと関係があったのである。

 

パソコンを使いだしたのは、70歳代に入ってからで、このブログを始めた2006年9月の1年前、2005年72歳の時だと思う。

それも、全て独学で、習いに行ったりしたこともない。

リンクが使えたり、写真の貼り付けが出来たりしたのも、孫たちに教えてもらったりした独学なのである。

 

それから約5年が経って、

今では、ブログも。ツイッターも、SNSも、Facebook もやっている。1日のうちパソコンに向かっている時間が一番多いと言うよなことに様変わりである。

特にツイッターは、そのフォロワーが15万人を超えたから、半端ではない。

 

★個人に関する調査の結果を見ると、
インターネットの利用者数は、対前年比54 万人増の9,462 万人に達し、人口普及率は78.2%となり、インターネットの年齢階級別利用率は、70 歳以上の年齢階級で増加しているようである。

世帯に関する調査結果は、
自宅のパソコンからのインターネット接続にブロードバンド回線を利用している世帯の割合は77.9%。また、自宅のパソコンからインターネットを利用している世帯の52.2%が光回線を利用しているという。

都道府県別では、
個人のインターネット利用率は、大都市のある都府県を中心に高い結果となっていて、神奈川県、東京都、京都府、大阪府、愛知県などで80%以上になっていると言う。

 

このような結果を見ると、今後この傾向は、進む一方だから、行政などももっとネットの利用を進めれべきだと思う。

家庭の回覧板なども止めてネット情報中心で進めることで、『情報伝達のコストは大幅に減少する』はずである。

 

★日本の場合は、何事も一番遅れている段階に合わせるモノだから、そのコストが大変なのである。

アメリカのように、常に時代の先端の方に合わせるべきである。

そんな風に進めたら、できない人には周囲が援けてくれるのである。

アメリカに入国するためには例外なく、ネットからの申請がMUSTである。

パソコンが使えない人は、旅行代理店などに頼めばいいと言うのである。

 

自分がパソコンが出来るようになったから言うのではないが、行政などの行動が年配者への動機付けにもなるだろう。

お役所も、常に前向きであって欲しい。

 

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