雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

スマホの写真のパソコンへの移動

2024-09-14 07:13:36 | 発想$感想

★ 写真はスマホで撮っている。そしてそれをパソコンに移して、ブログなどに利用しているのだが、
 先日来、パソコンに移らなくて困っている。

 パソコンは富士通なので、富士通に電話して診て貰ったが、パソコンは問題ないので、スマホに問題があるのだと仰るので、
 ドコモショップに行って、スマホを診てもらった。
 最初に行ったのが火曜日で、店の方が私のスマホをしばらく触っていたが、
 「これで大丈夫です」と仰るので帰ってパソコンを操作すると移動出来ていた。
ところが翌日の写真がまた移動できないので、ドコモショップに行ったら、その時もスマホをいじっていたが、「治った」のである。
この2回は店を訪ねてたったままで、ものの1分ほど店の方がスマホを触ったら治ったのだが、どこをどうしたのかは分からなかったが治ったのである。

★ そして昨日は、また移動しないので3回目の訪問をして、
  今回は担当者の方とじっくり話をしてきた。
  店に行く前に三木山総合公園に行って写真を撮ってから訪問したのである。
  そしていろいろ聞いてきた。スマホは問題ないと仰る。
 そしてスマホの中のGoogleフォトの画面に現れる
 「バックアップ」の項目が「待機中」になっていなければ大丈夫で、
昨日の朝撮ってきたこんな写真は、パソコンに移動出来たのである。

  


 これがその写真である。

 


★そんなことで店の方ともいろいろ雑談などもして、
 ブログにこの件もアップするから見て下さい。と言うことになっている。
 ドコモショップで対応して頂いたのは「越後さん」で30歳くらいの若い方である。
 私が91歳だと言ったらビックリされていた。

 そして、このブログをアップするために、「ドコモの店の写真」を撮ってきたのだが、その写真以降が「Wi-Fi接続の待機中残り7個」と出て、
 今朝もまだ待機中で、このブログにドコモショップの写真を使おうと思たのだが使えないのである。

 いままでは、写真を撮ったら10分ほどでGoogle フォトに現れたのだが、
 なぜ、こうなってしまうのだろう?
 「待機中」だからそのうち移動されるのだと思うのだが、
 そして、こんな状態でドコモショップに行くと「治る」のは不思議である。
 たまたまその時間に「待機中」が解除されるのだろうか?
 今残っている7枚の写真は、家の中を試しに写したもので、ブログには使わないので、一度じっくり待ってみようと思う。

 果たして、どんな結果になるのだろう? 

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ばね指

2024-09-12 17:17:53 | 発想$感想

★ 結構健康で悪いところが少ないのだが、
 1ヶ月ぐらい前から右手の親指がかくかくして、
 病院にいて聞いてみると「ばね指の一種」だと仰る。
 
 「ばね指」とは、指の付け根付近に力がかかり炎症を生じやすいところがあって、その部分の腱や腱鞘が炎症を起こし、“腱鞘炎”になり、さらに進行すると引っ掛かりが生じばね現象が起こるのだという。

 まだ「ばね指」までにはなっていないのだが、その前兆だという。
 親指のストレッチをやればいいというので、






 いろいろとやっている。
 
  


★ 今日は山陽病院に行って先生に聞いてきたが、
 このようなストレッチを続けていれば治ると仰るので、
 時間のある限り親指を延ばしている。

 それにしてもいろんな病気があるものである。
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スマホの写真がパソコンに取り込めなかったが・・・

2024-09-11 05:51:33 | 発想$感想

★ スマホでとった写真をパソコンに移動して、いろんな写真付きのブログをアップしてるのだが、
 月曜日からそれが出来なくなってしまった。
 こうなると私の場合はお手上げである。
 アメリカの孫に電話していろいろ診て貰ったがダメだし、

 パソコンの富士通に電話して診て貰ったが、パソコン側は大丈夫だから、
 スマホのほうを診てもらうようにと言うことで、
 ドコモショップまでスマホを診てもらいに行ったのである。
 
 女性の係の方が出てこられて、
 状況を言うと、持って行ったスマホを1分ほど触っていたが、
 「これで大丈夫です」と仰る。
 ほんの1分ほどの立ったままの状態だったが、
 戻ってやってみたら治っていた。

 ホントにバカみたいな話で、私がスマホを幾らかでも触れたらいいのだが、
 スマホは写真を撮るのと、あとはちょっと眺めるだけで、
 所謂「スマホの役割」は何もやっていないと言った方がいい。


★今は今日撮った写真が並んでいて
 「スマホの写真や動画」というところをクリックすると、

  


こんなスマホの写真がパソコンに取り込めるようになったのでほっとしている。


★ ところでここに並んでいる右下の日記の写真は、
 昭和32年(1957)川崎航空機工業に入社した年の日記なのだが、
 6月5日の日記に大学の野球部の同僚だった小野田から電話があったことを書いている。
 それは兎も角、財産課の電話が詰まっていて、
 隣の勤労課にかかって「小野田さんと言う方から電話です」とわざわざ言いに来てくれた女性がいるのだが、
 そんなことをなぜかわざわざその日の日記に書いている。
 この女性が実は家内なのである。
 家内が私に初めて声を掛けてくれたその第1声なのだが、
 その時は勿論、何の関係もなかったし、後お付き合いをするようになり、
 更に結婚するとは、夢にも思っていないのだが、
 なぜか日記に書いてるのは、私は何かを感じてたのかも知れない。


  
 
  
 ブログに写真がアップできるようになったので、
 こんな昔の日記の一頁もアップできるのである。


 
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昭和32年(1957)川崎航空機に入社した

2024-09-10 09:36:21 | 発想$感想

★昭和32年(1957)は神武景気と言われた年である。
 大学を卒業し川崎航空機工業に入社してサラリーマンの生活が始まった。
 この1年間の日記を読み返してみた。

 その日記帳の写真が何故かパソコンに現れないので、
 既にパソコン内にある日記の写真を使うことにする。


 


 この中の昭和32年の日記の写真が現われない。なぜかな?


★ この年の4月1日に入社し、教育機関があって配属されたのは4月15日で、配属先は業務部財産課であった。
 土地・建物・車両運搬具・工具器具部品などの財産物件の管理をする部門である。
 当時の川崎航空機は昭和28年に戦後の空白期間を終えて、再開したばかりの会社で、いろんなことがまだ整備されていない状況だった。
 私は直ぐ車両運搬具の担当になったのだが、購入記録から帳簿はあるのだが、現物との照合など出来ていないそんな状況だったのである。
 そんなことだから各部にある例えば自転車の現物確認を行い、それに車両番号を付けるとと言った作業から始めたのである。
 この課の大学出は課長だけで、私が初めての大学卒だったので、結構注目を浴びたし、職務柄各部門と接触があるので、大袈裟に言えば工場内に直ぐ顔を売ることが出来たのである。

★財産物件は毎期償却計算なる作業がある。
 こんなタイガー計算機を回して1件1件計算をするのだが、

  


 10月から担当した「工具器具備品」はその件数が多く大変だったのである。
 当時の財産物件は取得価格1万円以上のものを通常財産物件に指定するのだが、 
 ちょうどJetエンジン部門が新設された時点で、新設部門は特別に300円以上が財産物件にしてい出来て、300円以上の極端に言うとスダレやバケツまでが財産計上されていたのである。
 価格が大きくても小さくても計算の手間は同じで、
 償却時には毎日3時間もの残業の連続で、計算機を回し続けていたのである。
そんなことで翌年にはこれを何とかしようと、JETのアメリカ空軍部門にあったIBMに償却を載せるように作業して、民需で最初のIBM使用が実現するのである。

 大げさに言えば、日本でも初めての事務のIBM化だったのである。
 ずっと後、日本IBMの方に「10年間違っていませんか」と言われたことがあるのだが、日本にIBM社が出来たのは昭和40年後だというのだが、
 川崎航空機には米軍がいたのでIBM室があったのである。
 入社早々、そんな大仕事から始まっているのだが、
 これは何となく「新しいこと」をするのは学生時代の野球部生活で慣れていて、全然物怖じしなかったのが幸いしたと思っている。

★ 日記を読み返してみたら、家内のことが3回書かれている。

● 最初は配属直後の4月19日に、「勤労の給与係にいる女の子にちょっと惹かれる」と書いている。給与係は財産課の隣で給与計算をするために大勢女の子がいたのである。

● 二度目は6月5日で「小野田さんと言う方から電話です」とわざわざ私の席まで言いに来てくれた時で、それもわざわざ日記に書いてるから、
何となく気があったのだと思う。

● 3度目は11月6日で、入社以来8か月目に朝明石駅で一緒になって初めて「言葉を交わした」。
 神戸高校タイプだなと思っていたのだが、神戸高校卒だという。
 
その時はただそれだけのことで、この年は日記に3度家内のことを書いている。
 この年はただ、それだけで終わってしまっている。

★ 入社当時は社内で各部対抗のソフトボール大会などあって、
 当然のことながら大活躍だった、あまり上手すぎると言ことで何か月後からは出して貰えず、審判役を仰せつかっている。
 当時軟式野球だが野球部があって野球部にも入部したし
 兎に角、いろいろと顔を売って社内の人気者だったことは間違いない。

 こんな調子で野球などもやっているのだが、
 健康的には空洞があって、診療所の御世話にもなっていたし、
 断層の写真を撮ったら空洞があったりしたのだが、
 あまり気にせず野球などやっていたのである。

 そんな入社1年目であった。

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兵庫県の斎藤知事、全然だめだな

2024-09-09 06:24:41 | 発想$感想

★兵庫県の斎藤知事のニュースが毎日流れる。
 いろんなことが報道されているが、これはダメだな。
 自民党に続いて維新も見限ったようである。
 私住んでいる兵庫県の知事さんだが、誰もが変わって欲しいと思っているだろう。
 
 


 答弁など聞いてるが、普通の神経の持ち主ではないように思う。
  


  「俺は知事だぞ」などとは、普通の人は言わない言葉だと思う。
  
  どんな結果で終わるのだろう? 
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ブログ   雑感日記

2024-09-08 06:01:01 | 発想$感想

★ 毎日日記も書いているが、2006年9月からネットで「ブログ・雑感日記」を書きだした。

 その書き出しのブログである。





このように書いている。

「美しい国,安倍さんの書いた本の題名に使われている。
美しいという言葉の意味は深く、外面的な美しさのほかに、調和のとれた、こころの優しさなど内面的な美しさもあらわしている。
本来、日本に至極似合う言葉だと思う。せかせかとしたことばかりが目立つこの頃だが、もう少しゆったりとした美しい生き方をしたいものである。
どなたが総理になっても、真に美しい国日本を目指してほしいものである。」

ブログに興味を持ったきっかけは、小泉さんや安倍さんの広報戦略を担当している参議院議員の世耕弘成さんのホームページでブログを見つけ、その後続いて高槻の市長公室長の樋渡さんのblogに関するコメントを読んだからである。
自民党の広報戦略の中心人物などの広報の専門家が他に先駆けてブログを採用したのは、これは時代の流れかなと、思ったのである。

★ そんなことでこの雑感日記も毎日欠かさずアップしてきたのだが、
 この9月からは「抜ける日」があってもいいことにした。
 何となくその方が「気が楽」なのだと思うからである。
 でも殆どすることもない毎日だから、この「雑感日記」を書くのも楽しみの一つなので、そんなに多くは抜けたりしないだろうと思う。

 それにしてもブログを始めたきっかけは前述したように、
 政治家の世耕紘一、高槻市の広報戦略担当の樋渡啓祐さんという
 広報の専門家と言える方たちがブログを始めておられたからである。
 私自身、現役時代に一番力を入れてたのは「広報戦略」だったし、
 広報や広告の世界には非常に興味を持っていたのである。

 樋渡さんとはご縁があって、武雄市長の頃は三木市とも繋がって、
 三木にも神戸にも来られてご一緒したりしたのである。
 
  


  ますますご健勝でご活躍のご様子、何よりである。
  そんな「雑感日記」だが、果たしていつまで続くだろうか?


  
  





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メダカの池

2024-09-07 06:21:58 | 発想$感想

★ 毎日産まれ続けているメダカだが、
 今年は暑さが続くのでまだもうすこしの間、産み続けるのではないだろうか?

 今日は、今年3回目の池にメダカの放流をした。

 


  こんなにいっぱいいる。
 3回目だから、大きさも大小さまざまになった。





 ホテイ草の間にもいっぱいいる。




  まだこちらのほうまでは泳いできていない。
  池がどこまであるのかが、まだわかっていないのである。






  これくらいの数になるともう「メダカの池」と言えるだろう。

  まだこの入れ物の中に残っているし、




   卵の付いたホテイ草がまだこんなにある。
  これが毎日順番に孵化していくし、




 
  親の水槽に入れたホテイ草には毎日卵が付着する。




 
  今年中にあと何回か放流することになるだろう。
  最初、生まれてすぐ入れたら、みんな食われてしまったので、
  少し、大きくなるまで待って入れることにしている。


  
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ヨコモジ氾濫 

2024-09-06 05:17:34 | 発想$感想

★ 昨今のテレビ番組を観ていると「ヨコモジ氾濫」で、私など解らぬことが殆どである。

 なぜこんなにヨコモジが多いのだろうか?
 今どきの一般の方は解っておられるのかも知れない。

 解らなかった字句のうちいくつかを並べてみると、
 「DX」、「マッチングアプリ」、「スイングバイ」、「日本版DBS」,「ゼオンメディカル」などだが、
 調べてみたら、

● DXとは「デジタル経営戦略」のことで


  


 こんな画面が現れた。
 その「デジタル」とは 連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと。  計器の測定値やコンピューターの計算結果を、数字で表示することとある。
 何となく解ったような気もするが、具体的には解らない。

●「マッチングアプリ」は現在、アメリカ合衆国で主流となっていて、
 2017年の時点で、インターネットはアメリカ合衆国のカップルが出会う方法として最も多いそうである。
 現在、新しいカップルの39%が最初にインターネット上で出会っており、専門家は2040年までにこの数値が70%に増加すると予測している。
 日本でも2024年にこども家庭庁が行ったウェブ調査において、
 既婚者の25.1%が出会いの切っ掛けがマッチングアプリであると答えているという。




 

 「アプリ」とは、アプリケーションソフトウェアの略称で、
アプリケーションソフトウェア(application software)とは特定の用途や目的のために設計されたソフトウェアのことだという。
 兎に角、ヨコモジで更に略してしまうから、解らなくなってしまう。えらい時代になったものである。

● 「スイングバイ」とは
 宇宙船が宇宙空間を進む場合、自分が持っている推進燃料を使って、軌道を変換しながら目的地に向かうのだが、遠い惑星に到達するためには、たくさんの推進燃料を積み込まなければならない。
このための推進燃料を減らし、さらに、うまくすれば速度をアップできる「スイングバイ」というたいへん便利な方法、と言うからこんなのは解らなくて当然である。

●「日本版DBS」とはこんな写真が現われて「子どもを性犯罪から守る制度」であるらしい。

 


● 「ゼオンメディカル」とは、医療関係の会社の名前だった。

★ ざっとこんなところだが、このほかにも解らぬ単語がいっぱいである。
 このように調べてみて、更にこのように文章にでもすると
 何となく「解った」ような気にはなるのだが、
 今では自分とは無関係の事柄が多いので、多分忘れてしまうだろう。

 兎に角、家内以外の人と話をする機会が殆どないから、
 このような世の中の出来事は「無縁のこと」になってしまうのである。
 この調子では「解らぬこと」がどんどん増えてしまうのだが、
 それが「問題にならない日常」なのである。

 そう言う意味では、のんびりとして「いい日常」なのかも知れない。


  

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近畿6大学野球   雑感

2024-09-05 06:27:20 | 発想$感想

★ 昨日は神戸商大硬式野球部の部費のことでダンスパーティのことを書いたのだが、
 当時の野球部も近畿6大学にいて勿論1部だったのである。
 2回生までにリーグ戦は甲子園球場で行われていて、
 そんなことで私が一位番多くプレーをした球場は甲子園だと威張れたりするのである。

 現在は県立姫路工大と合併して兵庫県立大学となっているのだが、
 現在は1部どころか3部に落ちてしまって、
 リーグ戦の戦績が送られてきたが、4位と言う散々な成績なのである。

  



  なぜ、そんなに弱くなってしまったのかと思うのだが、
  部員も少ないし野球に情熱がないのだろう。
  ピッチャーにいいのがいないのが、最大の要因だと思う。
  野球は何と言ってもピッチャーだと思う。

  私自身は内野手だが、明石高校時代は溝端圭一郎と言う完全試合をした投手がいて、常に1,2点までに抑えてくれるので、そんなに負けたりはしないのである。
  神戸商大で監督をしてた時代も小山修身と言う53イニング連続無失点の学生記録を創ったピッチャーがいたから結構強かったのである。


★ 送られてきた連盟誌によると1部には和歌山大学大阪工大がいて、
 懐かしいし、和歌山大学が1位なのである。

 


 われわれの時代には近畿大学がいて常勝近大だった、
 いまは近大は神戸大学と入れ替わって関西6大学リーグに属している。

 いつの間にか3部まで落ちてしまったのだが、
 これから1部に復帰するのはまず無理だろう。
 いまの野球部を観ていると、野球部と言うよりは野球クラブになってしまっている。
 こんな憎まれ口を言ってるのだが、残念なことである。


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ダンスパーティーの想い出

2024-09-04 06:40:27 | 自分史

★ 昭和31年(1957)1月19日(土曜日)神戸商大硬式野球部主催のダンスパーティーを開催した。
 主催者は野球部だが、その起案を含めすべてその中心は自身であった。
 大学の3・4回生ではキャプテンを務め、卒業を1年延ばして監督を引き受けるなど野球に入れ込んでいたのはいいのだが、
 運動具店などへの借金15万円ほどになっていたのである。
 大学出の初任給が1万円の時代だから、今の時代のカネに直すと200~300万円ぐらいのカネだから相当な借金だったのである。

 当時の野球部の風習では、借金はそのまま次の世代が引き継いでいくことにはなっていたのだが、
 ちょっと額も膨らんだので、この借金を何とかするために開催したダンスパーティーなのである。

 当時は学生主催のダンスパーティーは数多く開催されてはいたが、
 その規模は大体200人前後のものだった。

 そんな規模では野球部の借金の返済などには役に立たないし、
 パーティーは手段でその目的は「借金返済」なのだから、
 私の起案その10倍、2000人を集めるという大規模なものだったのである。

 それが実現できるように選んだ会場は、
 新装なったばかりの神戸国際会館の5階の大ホーを借り切って、
 兎に角、部員全員で2000枚を売り切るという構想で行ったものである。

★ いまから70年近くも前の話だが、現存する神戸国際会館が新装開場したばかりで、
 その会場での実施が人気を集めて超満員になったので、
 当日券は途中で販売を中止するという大成功のダンスパーテイーで、
 まさに満員御礼だったのである。


 
 
 
 私自身は会社に入社してからもいろんなイベントは手掛けたのだが、
 この国際会館での2000人を集めたダンスパーティーが、
 人生で初めてのイベントだったが、私の最大のイベントだったかも知れない。

 
★ 当時の日記を読み返していたら、1月にこのパーテーをやっていて
 懐かしい入場券やその収支報告などが挟まれていた。
 入場券のデザインもデザイナーに頼んだので、結構カッコよく出来ている。
 
 
 


  その裏面である。
  後援をしてくれたのは借金をしていた運動具店である。


  
 


 その収支が出てきた。
 収入が20万円、支出が10万円だから、10万円の収益である。
 これは「目指した額」だから大成功だったと言える。

 収入の殆どはパーティー券の収入だが、
 支出の最大は税金32,700円で、会場費が27,200円なのである
 ちゃんと税金も払っての事業だったのである。

  
  



 そして、これが支払い先なのだが、
 運動具店のほかにもいろいろと借金をしてたようである。



 



 このダンスパーティのお陰で気分よく卒業することが出来た。
 それにしても、部員一同よく頑張ったものである。


★ ホントに超満員で、当日売りを途中で中止したりしたので、
  当時三宮にあったダンスホール新世紀に流れて、
  新世紀も満員になったそうで、何故そんなことになったのか不思議に思ったそうである。

  このダンスパーティーの成功は、
  何と言っても開催場所を開場したばかりの神戸国際会館の大ホールにしたことが人気を呼んだようである。
  当初はあの大ホールが埋まるかなと思ったりもしたのである。
  一口に2000人と言うが、それはホントに大人数だったのである。

  当日の大盛況で神戸国際会館の方たちもビックリされたようである。
  私の青春のいい想い出なのである。
  

  
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薬とのご縁

2024-09-02 05:42:11 | 発想$感想

★ 91歳だが結構元気に生きているのに、
  薬にはいろいろとお世話になっている。
  元気なのは、薬のお陰か、本来の体質なのかはよく解らない。
  病気をしたと言えば若い時に肺結核を患って、1年ほど入院したことがあるのだが、
  いまは全く大丈夫だと思うのだが、未だに血圧の薬は飲み続けている。
 

★ テーブルにはこんな感じで薬がいっぱい並んでいる。

  



 右手前の錠剤が病院で毎月貰ってる薬で血圧関連と、血をサラサラにする薬である。

 手前にあるヒザ潤滑源はテレビ広告に出てたのを、いま1ヶ月半ほどだが飲んでるが、効いてるのかどうかはよく解らない。
 左側は足の水虫の治療薬と目薬。
 目薬もいっぱい貰ってきている。
 それに湿布などもある。

★ いっぱいの薬だが、殆どが保険が効くので助かっている。
  全部の薬がそうなのだが、
  「効いているのかどうか」はよく解らない。
  特に血圧は、110前後で高くても130ぐらいなのだが、
  これが薬のお陰なのかどうかはよく解らない。
  一度飲むのを止めてみたらいいのだが、なかなかそうはいかないので、
  一生お世話になることになるのだろう。

  昔の人はホントに薬など飲まなかった。
  祖母などは、私の知る限り薬など一切飲まずに102歳まで生きた。
  父や伯父などは医者にも掛からずに、薬も飲まずに50代で亡くなってしまった。
  薬があれば助かってたのかどうかはよく解らない。

  兎に角、現代は「薬とのご縁」は切れない世の中なのだろう。


  
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