リツゲイ稽古場日誌

劇団立命芸術劇場の稽古場日誌です。日々演劇と向き合う団員たちの思いが垣間見える、かも...?

玉座の責務

2009-06-27 02:21:36 | 夏公演「Evil Narratage」
「何を思って演技しているか?」役者にとっては究極の問いでしょう。今日の練習の後、玲彩ちゃんが谷村役の谷脇に言っていた言葉です。「この台詞はこういうトーンで、こんな風に間を取って読むんだ。あの台詞はああ言うんだ」と、小さな積み重ねで芝居を作っているのではないか、という感じがしました。どこかで聞き覚えのある言葉だと思いました。そして考えてみると、それはほぼ1年前に私が「青く赤く青い空」の演出をした時に、渡会に言った言葉でした。
 乱暴に二分すると、会話劇での役の作り方には対照的な2通りのアプローチがあるとされます。一つは、各々の台詞の言い方や身体の動き、表情を細かく意識して作り込んでいって、そして役の人物像を形作っていく方法。もう一つは、役の感情を抽象化した意識として自分の中に取り込んで、感覚的に演技をする方法。私はほぼ間違いなく後者のやり方で演技をしていたでしょう。そのため演出を付けるにしても、役者は後者のやり方で役作りをする、という前提を無意識のうちに勝手に作っていたような気がします。おそらくそれが彼の役作りの仕方と相容れなかったのではないか、との不安が頭をよぎりました。
 度々指摘されてきましたが、私の演出はキャラクターの感情の変化を抽象的に説明しているだけで、個々の場の動きの指示が非常に雑なようです。地道な努力の積み重ねでなく、センスに頼って演技をしてきたことのツケが回ってきたのではないかという気がしています。
 しかし、作品世界において演出が皇帝(作品世界を創った作者が造物主=神=天帝であるなら、演出はそれを実際に生身の人間を使って運営していく天子=皇帝といえるでしょう。大それた喩えですが)として君臨し統治している以上は、そうした各役者の性質を良く見極めた上で適切な指示を出すことが求められます。   
「JUSTICE」の時にとぐろ先輩が言っていましたが、演出は自分は動かずあれこれ言うだけの、ある意味楽なポジションにいる。だからこそ徹底して指示を出し、公演において曖昧なことを無くしていかなければならない、と。それが私にはできるのか、できる、というしかないでしょう。演出の玉座は安楽椅子ではなく司令塔です。一旦司令塔に座った以上は、責務を全うしないといけませんから。

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1 コメント

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Unknown (小笠原)
2009-06-28 20:59:52
「役の感情を抽象化した意識として自分の中に取り込んで、感覚的に演技をする方法」を主体として演出することが谷脇君と合わなかったとありますが、僕は違うように思います。
彼と話したり、稽古場を覗かせて頂きましたが、どちらかというと彼も同じタイプであるように思います。


いろいろな方が演出さんに同じアドバイスをしている話は耳にしていますが(もうこの段階で遅いとは思いますが)、もう少し演者さんとお話する機会を持たれてはいかがでしょうか?
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