北京・西安旅行3日目、故宮博物院の外朝部のあとは内廷部に進みました。
行事や外交で使用した太和殿、中和殿、保和殿を過ぎてさらに奥に進むと、そこからは内廷エリアです。
保和殿から北側に抜けるとそこからは乾清宮、交泰殿、坤寧宮がある内廷で、皇帝と皇后の生活空間であり日常政務を処理したり寝室や生活をしたところです。残りの東西六宮、御花園は妃たちが起居、遊楽、休憩した場所です。
保和殿の北側にある中央の階段には1枚の石に龍が浮彫りされた巨 大な石板があります。龍は皇帝の象徴。北京郊外の房山(50キロメートル)から運ばれたもの。当時は冬の道に打水をし、凍りついた道を2万人で約1ヶ月かけて運ばれてきたもの。皇帝はこの龍の上を輿に乗って通った。
乾清門の金獅子。門のそばには左右に塗金青銅獅子が 乾清宮(チェンチンゴン)を見守っている。
乾清門。 門とは言っても宮殿の作りになっており、中庭を囲んで部屋が並ぶ。清代には、ここで皇帝が家臣からの上奏(報告)を聞き、これを裁下することが行われていたため、お茶の準備室や書籍筆墨を置いた部屋には毎日4名の文学教養のある詞臣(翰林官)が乾清宮南回廊に皇帝の質問に答えられるよう待機していた。 その他、上奏文を取次ぐ事務室や政務を処理する事務室、宦官を管理する事務室などがあった。康熙帝などはここでよく裁決を行った。
乾清門をくぐり、さらに北側に進むと、乾清宮へと続きます。
乾清宮の中
清朝の雍正帝以前は、紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝の寝宮であったが、清朝の雍正帝以降、清朝歴代皇帝の寝宮は養心殿へと移り、皇帝が大臣を召見し、上奏文の処理、日常の政務を執る場所と筵宴(宴会)を行う場所となった他、皇帝が崩御した際、その棺を一旦、安置する場所ともなった。
乾清宮の先(左の写真)には、太和殿・中和殿と同じような造りで交泰殿があります。 紫禁城を居城とした明・清両王朝の皇帝の皇后の冊立の儀式が行われた場所で、皇后は元旦、冬至、千秋(皇后誕生日)の祝賀をここで受けた。乾隆帝の頃には印璽の収蔵に使用された。
右の写真は日時計。
後三宮 (乾清宮、交泰殿、坤寧宮)を抜けるとようやく紫禁城の北の端に抜けます。最後の主要な建物を抜けていくと、そこは御花園。
紫禁城最大の花園で楼閣がある他、堆秀山という山もあります。これは太湖石の築山で重陽節にここで観月をしたらしい。紫禁城を居城とした明、清両王朝の歴代皇帝が、后妃達と遊楽したという場所となっています。
御花園を抜けると、城壁の外に出て、いよいよ北の出口となります。
宮殿の規模は想像を超えて大きく、まさに圧倒される思いで見学しました。一方では、絶大な権力を持った皇帝ですが、このような閉鎖空間で生まれ育ち、帝位に就けば重臣たちの思惑に従い昼の仕事と夜のお勤めを機械的に果たす、庶民とはまったく異なる独特な生活が目に浮かんできます。
ようやく紫禁城の外に出ました。こちらが神武門で北側の入口にもなっていて、故宮博物院の正式な入口はこちらのようです。ツアーなので時間の制約で行けませんでしたが、中には青銅器館、陶磁器館、工芸美術品館、絵画館、珍宝館、鍾表館などの文物陳列があるようです。
故宮博物院のすぐ北にある、明・清代の皇帝の庭園となった人工の山を中心とした公園。 天安門広場から故宮博物院、景山公園は一直線に位置しています。 写真は、故宮博物院の正門である神武門からの眺めです。 山頂からは故宮博物院を一望できます。時間があれば上から紫禁城を眺めたかった。
故宮博物院を出て通りを歩いて行きました。途中白バイ警官が違反した人に切符を切っていました。何の違反かよくわかりませんが。通りを通る車の中には中国で良く見られるこんな車が。
さっき走っていた車。中はバイクや自転車のようです。 トロリーバスも多く見られました。
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