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この塗色の時代 (国鉄型好き)
2018-08-08 23:42:35
30年前の夏は暫く新潟にいました。父が単身赴任の
ため私が遊びに行ったのですが傍に上沼垂運転所があり
これで鉄をするなとは無理な話です。115系はこの塗色
ですがまだ冷房準備車の状態です。冷房の165系に乗車
したいと思っていると当時昼間でも運用があり近くの
越後石山駅から1駅新潟まで行き原色の485系、165系
など今なら涎が出そうな車両を撮影していました。夕方
になり父が帰るので私もそれまでにと乗ろうとしたら
DD51+50系の磐越西線直通でした。これを180円×2で
体験したのです。50系は特に貴重とは思わなかったの
です。冷房が無くイヤと思っていたのです。今なら
贅沢な事ですね。個人の話ですいません。
 
 
 
古き良き時代でしたね (中央鉄道日報管理人)
2018-08-09 17:51:47
国鉄型好き様
こんにちは。
「一次新潟色」にまつわるエピソードをありがとうございました。
新潟に住んでおられた時期があったのですね。
私は毎年、夏休みに母親の実家がある、羽越本線の象潟まで行くのが楽しみでした。
上野を11時過ぎに発車の「いなほ」に乗って18時頃に着く時代から、
新幹線開業で新潟乗り換えになる時代まで何度行ったことやら。

今、M40編成に使われている塗装の70系は、おぼろげながら記憶にあり、
165系や50系に至っては鮮明に覚えています。
羽越本線の普通列車で50系客車には乗ったこともありますし。

ところが、なぜか、この塗装の115系の記憶がありませんでした。
今回、ようやく実物を見て撮ったという感じです。

国鉄時代の光景は、いつまでも懐かしい思い出ですね。





 
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