りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

ウェルカム・バック。

2015-04-20 | Weblog
久しぶりに、図書館で本を借りた。



荻原浩の「家族写真」。
この方の作品といえば、「明日の記憶」とか「愛しの座敷わらし」といった映画化がされた作品が有名だけど、ワタシが一番好きだったのは、直木賞候補にもなった「明日へドライブ」だった。

軽妙だけど逸脱し過ぎない文体(これに抵抗があるという人もいるようだ)が、自身の感性とフィットしたようで、読んでいて心地よかった。
何よりも、どこにでもいるような平凡な中年男が、最初は抗っていた自身の境遇を次第に受け入れ、そこから自分の立ち位置を自身の力で作ってゆくあらすじに、大いに共感を憶えた。

今回借りた「家族写真」は、まるでその延長線上にあるような作品。

まだ半分も読んでいないけれど、文体は軽やかで読みやすく、思わず吹き出してしまうような描写もチラホラと。
登場人物も、すべて市井の平凡な中高年の男たちだ。

話は逸れるが、最近、本を読まなくなっていた。

どこをどうやっても、“読む意欲”というものが身体のどこからも湧いてこなかったのだ。
それは、時間がないとか、読みたい本がないとか、そういった手垢のついた有りがちの理由ではなく、単純にスマホを片手に過ごしている時間が増えたから・・・のような気がする。

スマホは、便利だ。
頭の中にこびり付いていた長年の疑問も、片手間にふと浮かんだ安易な疑問も、ちょちょいと指を動かすだけで、即座に解決してくれる。
この小さく薄っぺらな機械があれば、とりあえず生活をしてゆく上での面倒な苦労はしなくて済む。
・・・と思ってしまったワタシは、その頃から布団に入って指でめくるのモノが、本からスマホの画面に代わってしまった。

最近、思う。

それって、本当に便利というのか?
たしかに上っ面の好奇心は、一時的には満たされるかも知れない。
でもスマホを介して得た知識なんて、一晩寝て目覚めてしまえば、もう脳みその片隅にも残っていないことが圧倒的に多い。
文章にしても、心に引っかかるような言葉や文体に出会うことなんて、まずはない。
Yahoo!のニュース記事やNAVERまとめの記事で、今回借りた荻原浩氏の小説のような適度な弾力と質感を伴った文体にお目にかかることなんて、一生かかっても無いのではないか。

・・・というわけで、これからはまた以前のように、布団の中でスマホの画面ではなく、本のページをめくりながら眠ることになりそうです。
コメント
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