週末 淡路島の先祖のお墓の掃除とお参りと
大阪の両親の顔をみに帰っていた。
今回、実家の書斎で興味深いものを発見。
41年前の歯科月刊誌『補綴臨床』。
思わず見入ってしまった。
そして内容をみればみるほど、歯科の歴史の流れや
昔から変わらぬ手法もあれば、現在では否定された手技のもの、、
しかし、何よりも尊敬の念をいだくものは、
充分な器材器具がない中、自分自身の技術を駆使し
臨床と真摯に向き合ってるいる先人達の臨床である。
最新・トレンドといわれる器材・材料に依存しがちな現在の臨床医療、、
新しいものばかりに飛びつき、歴史を鑑みない昨今の我々に
警鐘すべきことではないだろうか。。。
日進月歩の医療の世界ではあるが、最新といわれたものでも
数年後には消えてしまったものもある。反面、
過去の良い考え・手技の中でも今も変わらないものもある。
新しいもの好きになるのでなく、良いもの好きになるべきである。
派手な手技、派手な治療で目立つことに躍起になるより
医療の根幹とすべきものは地味な手技の集合体であることを再確認できた。
これは第16巻なのでほぼ初版に近いものである。
親父いわく医院の書斎にたぶん初版もあるということなので
初版も是非見てみたい。
大阪の両親の顔をみに帰っていた。
今回、実家の書斎で興味深いものを発見。
41年前の歯科月刊誌『補綴臨床』。
思わず見入ってしまった。
そして内容をみればみるほど、歯科の歴史の流れや
昔から変わらぬ手法もあれば、現在では否定された手技のもの、、
しかし、何よりも尊敬の念をいだくものは、
充分な器材器具がない中、自分自身の技術を駆使し
臨床と真摯に向き合ってるいる先人達の臨床である。
最新・トレンドといわれる器材・材料に依存しがちな現在の臨床医療、、
新しいものばかりに飛びつき、歴史を鑑みない昨今の我々に
警鐘すべきことではないだろうか。。。
日進月歩の医療の世界ではあるが、最新といわれたものでも
数年後には消えてしまったものもある。反面、
過去の良い考え・手技の中でも今も変わらないものもある。
新しいもの好きになるのでなく、良いもの好きになるべきである。
派手な手技、派手な治療で目立つことに躍起になるより
医療の根幹とすべきものは地味な手技の集合体であることを再確認できた。
これは第16巻なのでほぼ初版に近いものである。
親父いわく医院の書斎にたぶん初版もあるということなので
初版も是非見てみたい。