吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

服役中の伝説的ミュージシャン死亡、妻が国賠提訴「死なずにすんだのに、許せない」 その7

2019年11月15日 06時25分13秒 | 日記
 それでもなお今回の事例は「収監中の重病を放置され医療を受けられなかった」と主張するのであれば、江戸時代の「お解放し(おときはなし)」しかない。これは大火の際に牢屋に火の手が回った時、このままでは囚人が焼け死んでしまうような場合に行われた一時的開放である。火事が落ち着いたときに正直に戻ってくれば罪一等減じられるらしい。戻ってこなければ罪状が加算されるという当時の救命を目的とした一時避難である。
 今回の事例でも一時的に釈放するので、あとは本人、家族の意向で自由に希望する医療機関へアクセスすればよいだろう。それならば「放置された」とか「医療を受けられなかった」とは言えなくなる。収監中は
基本的な医療受診の権利は保障しているが、最高の医療水準を主張するのは疑問である。ならば「病気になったら釈放します。どうぞお好きに医療受けてきてください」・・・でいいのではなかろうかと極論にも思うのである。
でもおそらく本事例の病態であれば、一般社会にいたとしても助かったかどうか? 絞扼性イレウスでは自分は多くの「一般人」を失ったことを経験している。さて「お解放し」でも助かったかどうか?

 ついこの間の「乳腺外科医わいせつ行為裁判」は結局、無罪であり、ほぼ冤罪にも思えた。しかし原告の弁護士の論旨の展開を見ていると医学、医療を全く知らない者が頓珍漢な主張をしているとしか思えないのだ。今回も同様である。恥ずかしくないのだろうか。