吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

ステルス自転車 その1

2011年06月30日 06時18分19秒 | インポート

 歩道を走る自転車の数が急激に増えたような気がする。基本的には自転車は軽車両なので車道を走るのが原則らしい。まあでも歩道を走ってもよいのだが、それでも歩行者が優先である。最近、節電の関係上、夜間照明が暗くなっており、そのため走行する自転車が見えないことがよくある。闇夜から無音で視界にいきなり浮き出てくる自転車はさながらステルス戦闘機のようでありギョッとする。夜、出会う自転車の半分くらいは無灯火である。しかも最近のレース仕様の自転車などはライトが標準装備されていないようである。夜間無灯火は違反のはずだが、最近では警官も取り締まっていない。それとも夜間無灯火走行は法改正で許可されるようになったのであろうか。


林間学校

2011年06月29日 06時12分33秒 | インポート

 昨年より近所の区立小学校の校医をやっている。昔、自分もこの小学校に通学していた。昨日、山中湖へ林間学校にいくため生徒の前日健診を行なった。山中湖では豊島区の施設に宿泊するのであるが、自分が行った当時と同じ宿泊施設なので驚いた。もちろん昔のままの建物ではないと思うが、大昔、自分もそこに宿泊したと思うと感慨深いものがある。ただ当時は1つの施設では収容しきれなかったので、別の(民間の?)施設にも分泊した記憶がある。それだけ当時は児童の数が多かった。今では1学年1クラスでしかもその全員を診察するのに30分とかからない。児童の絶対数が減り、しかもこの地域では他の小学校に児童が流れていくようであるので寂しい限りである。


医療廃棄物マニフェスト

2011年06月28日 06時51分31秒 | インポート

 診療所を開設していると、本来の医療以外でも定期的に提出するべき書類は多い。例えば年度末までに従業員の結核感染の有無に関する検診結果や1月15日までに診療所を開設している届出や、そして今月は6月末日までに昨年度に廃棄した医療廃棄物のマニフェストを出さなくてはならない。医療廃棄物については以前、逮捕者が出たくらいかなり厳しい措置が適用されるのでこちらも神経をとがらせている。自分のところで出した医療廃棄物がきちんと焼却場で焼かれるまでは排出者の責任なのだそうである。廃棄料金を払って業者に廃棄物を引き渡した場合、たとえばその業者がどこか山林などに廃棄したとしてもその責任は廃棄物の排出者にあるのだそうである。業者が下請け、孫受けと二重三重に他の会社に委託しても責任は廃棄物排出者なのである。


もうすぐ7月

2011年06月27日 06時39分14秒 | インポート

 今年ももう半分が終わります。毎年この季節は同じことを言いますが、ついこの間お正月を迎えたとおもったらもう半年が経過してしまったような気がします。本当に時間のたつのはあっという間です。ところで6月より特定健診が始まっていますが、同時に成人の肺炎球菌ワクチンの予診票が区から対象者に送られていると思われます。これは5年に1回の接種ですが、当院での設定価格は¥10000です。区の予診票があると自己負担は¥4000のみで受けられます。内部事情ですが区の事業として行うときはワクチン接種料は区から¥8000と決められています。したがって当院設定価格よりも安いので当院では¥2000の減収になります。もちろん構いませんので皆さんに接種をお勧めします。ワクチンで予防できる病気であれば受けておいたほうが、はるかに有益です。


相槌 その6

2011年06月25日 06時11分22秒 | インポート

 毎回、奥様の愚痴は聞き流すしかないのであるが、ある日、「罠」にはまってしまった。いつものようにご主人に関する愚痴も2周目のサイクルに入ると同じ話は自分の耳には入ってこない。別のことを考えながら「ウンウン」と頷いて相槌だけはうっていた。しばらくして奥様の少し強い口調で我に返った。「ちょっとお、先生、そんなに同情してくれなくてもいいんですよ」 しまった、どうやらかなりきつくご主人の悪口を奥様は言っていたらしい。そこで不用意にも大きく「ウンウン」と大きく頷いてしまったものだから、私がご主人を悪者扱いしたものととられたようだ。私は奥様のご主人に対する愚痴は「そんなことないですよ。とてもいいご主人じゃないですか・・・」と切り返さなければいけなかったことに気がついた。後の祭りである。なんのことはない奥様のいつもの愚痴は実は「ご主人自慢」の裏返しだったのだ。しかしながらそんな禅問答やアンチテーゼみたいなことが外来で要求されるとは思わなかった。ごちそうさま。とても仲の良い微笑ましいご夫婦です。


相槌 その5

2011年06月24日 06時19分34秒 | インポート

 ご夫婦で通院されている高齢の患者さんがいる。しかし一緒に来院されることはない。ご主人は背が高くいつもバリッとした服装で颯爽としている。とても格好イイのだ。しかし会話をしていると気づくが、話が長くこちらの話は一切聴いてくれていない。やはり一人で喋って希望する薬をこちらに告げて帰宅されるパターンなのである。一方、奥様であるが、気さくで世話好きで人の良い方である。もちろんお喋りも好きのようである。奥様も外来では、とりあえず近所の話から始まって、延々と自分の症状を語り始める。話が終わらないと診察させてくれないのでずっと聴いているしかない。ところがいつも必ず話す話題に、ご主人に関する愚痴があるのである。「うちの亭主は、自分勝手で我がままで、いつも私は振り回されている。あんなにひどい人は他にはいない」との内容のことを毎回聞かされるのである。何ともこれには返答しようがない。


相槌 その4

2011年06月23日 06時19分03秒 | インポート

 とにかく患者さんは「お世話になりました」といって帰宅されるが、こちらは全くお世話していない。ただご自身で喋られてそのままお帰りになるのである。こんな時は私は医療をしているのだろうかと複雑な気持ちになる。でも患者さんは満足されているようなのでこれでもいいのだろう。このように自然収束してお帰りになる患者さんは、話をされている最中にこちらからの「インターセプト」は効を奏しない。満足されるまでただこちらは「ウンウン」と聞いているしか手はないようなのである。ところで大体、同じ話も2周目になると私はほとんど患者さんの話を聴いていない事実に気がついた。困ったことに「さて今夜の医師会は何時からだったっけ?」などと別のことを考えながら、相槌だけ「ウンウン」と聴いているふりをしているようである。ところがいつもこのような対応をしていたら痛い目にあった。


相槌 その3

2011年06月22日 06時10分53秒 | インポート

 大体、同じ訴えを3つ4つ喋るサイクルが3周目くらいになると、どうも話が自然収束に向かうようなのである。私はその訴えの一つ程度にしか相談に乗っていないにもかかわらず、患者さんのほうから話をやめるようである。時にはまったく私からの提案や療養指示の話を聞かなくとも、サイクル3周目くらいになるとご満足されるのか「さてと・・、それじゃあいつもの薬だけど〇〇はまだ残っているので2週間分でいいわ。それから××はいつも足りなくなるの、多く飲んでいるわけではないけど、なぜかいつも足りないのよねー」と薬の指示をこちらにしてから、「じゃあお世話になりました」とお帰りになる。患者さんから身体の不調をいろいろ投げかけられたが、それについて何らコメントをしていない私のほうが居心地が悪い。「話が自然収束」といってもここまでの道のりが長く辛い・・・(笑)。


相槌 その2

2011年06月21日 06時31分27秒 | インポート

 さて循環する同じ訴えをウンウンとしばし聞きながら、頃合をみて療養上の注意を話し、訴えに終止符を打とうとした。「そうですか、それは大変でしたね・・。それでは家では、そのような時にまず血圧をはかって・・・」と言いかけたが、患者さんはこちらが話していることを意に介さず自分の愁訴を延々と「・・・ですからねっ、頭が重くなってめまいが・・・」と喋り続けるのである。つまり、まったく会話をさせてもらえないのである。ここで「ちょっと私の話も聞いてください」といってしまうと、一歩間違えば「あそこのクリニックは患者の話をきちんと聞いてくれない」と外で噂される可能性もある。しかたないので黙ってまた「ウン、ウン」と同じ話を聞くしかない。心の中では「あ~次の患者さんはイライラしてるだろうなー」と思いつつ、自分の心もとてもヤキモキしている。ところがそんな患者さんに限って結末は意外と簡単なのである。


相槌 その1

2011年06月20日 06時44分47秒 | インポート

 話の冗長な患者さんは多い。しかしそれにしっかり耳を傾けるのが開業医の仕事である。分かっているけど、どこかで終止符をこちらからうってあげないと延々と話が終わらない人が多い。しかもその話の内容が同じ話の繰り返しなのである。話題数を勘定するとだいたい3つか4つくらいであろう。それを循環して話されるのである。まあ「ウン、ウン」と聞いてあげることもあるが、うしろに患者さんがお待ちの場合は早々に切り上げなくてはならない。しかしながら切り上げるタイミングも難しい。進んでいる話のどの部分でカットインしたらいいのか分からないことも多い。つまり漫才で言うところの「上手なツッコミ」をしないと患者さんは気分を害されるであろう。そういえばこの前、やはり不定愁訴循環型の患者さんがこられた・・・。


前立腺癌検診 追記

2011年06月18日 06時49分17秒 | インポート

 今年度の特定健診から前立腺癌検診が該当年齢の方にオプションとして付けられるようになりました。まだ特定検診の方の受診もそう多くはないこともあるのですが、前立腺癌検診を追加される方はさほど多くはありません。やはり追加分はプラス¥500ということも一つのネックになっているのかもしれませんね。豊島区では特定健診とは別に肺がん検診、大腸がん検診、乳がん・子宮がん検診があります。よく考えると「がん」検診で特定検診に併せて行われているのはこの前立腺癌検診だけですね。確かに通常のメタボ用に採取した血液の残りでできるのですからこれは検診方法としてはとても手軽です。紆余曲折あったようですがやはり方法として「手軽である」という部分は評価してあげるべきと思います。


路上弾き語り

2011年06月17日 06時42分38秒 | インポート

 開業してもうすぐ4年ですが、何とかここまできましたけどもまだまだ患者さんが増えているわけではありません。この前、医師会の帰りに池袋駅を通りましたが、若者が路上で弾き語りをしていました。通常このような路上の弾き語りでは聴いていく通行人は少ないのですが、この若者の周囲はかなりの人が立ち止まり彼の唄を聴いてるようでした。自分もちょっと立ち止まって聴きましたが、人が多く立ち止まっている理由がすぐにわかりました。それは「圧倒的な歌唱力」でした。路上ライブで人が立ち止まるかどうかは、何か圧倒的に抜きん出た魅力があるかどうかでしょう。たぶん開業も同じでしょう。他のクリニックと比し何か抜きん出た特徴がないとこれからの時代は難しいと痛感しました。


AKB総選挙 雑感 番外編

2011年06月16日 06時31分57秒 | インポート

 とかく男子は非現実的でありロマンチシズムに酔いしれ、そして日常と非日常の区別がつかなくなった哀しい生き物であると書いた。しかしはたと気がついた。韓流スターに群がり本国まで追いかけて応援しているタフな小母様方も近年その猛烈なパワーで日本中を席捲している。となると男子がロマンチシズムだの非日常だのと言ったが、実は日本の女子だって立派なロマンチストなのだ。ところで今この東日本大震災で世の中は大混乱であり、喧々諤々の政治討論が世を挙げて行われている。しかしその反面、同時に総選挙(政治のではない)だの韓流スターだのに入れ込んでいる日本国民の両価性はまことに不思議である。外国の人がこれを見たらまさに理解不能に陥るかもしれない。諸外国の企業は、被災地であらゆるインフラが消失した町々に新たに自分たち独自のネットワークを構築しようと虎視眈々と狙っている。日本が頑張るべきところは被災地にMade In Japanのものを組み立てていかなくては日本は日本でなくなってしまう。えっ? とうことはやっぱり現在Made In Japanでもっとも元気なAKBを今後復興の旗頭にすべきなのであろうか? う~ん あ でも少女時代もいいけどなぁ~(笑)。 


AKB総選挙 雑感 その3

2011年06月15日 06時27分50秒 | インポート

 こんな逸話がある。ある夫婦が目の前でUFOを見かけた。夫は「あっ、動き出した。どこに行くのか追いかけよう」とついていく。妻は一言、「あっ、空模様があやしいから家に帰って洗濯物とりこまなくっちゃ」と帰宅する。正しいのかどうかの確証はないが、それぞれのありうるであろう一般的な行動パターンとして興味深い。やはり現実的な女性アイドルの手のひらの上で非現実的な夢見る男子ファンが転がされているような感じがしてならない。やくみつる氏が「ファンの諸君。早く目を覚ませ。いくら応援しても彼女たちは君たちにはふりむかないぞ」と述べていた。同感である。非日常を非日常として承知して楽しむ分にはよいが、そこから逸脱しないことだ。「夢みさせてもらったね。アーバヨ!」と柳澤慎吾のギャグでいければいいのだ。 それにしても一般紙の報道では『今回1位に返り咲いた○○「さん」は・・・』と名字に敬称をつけていた。通常芸能人やスポーツ選手には敬称をつけない。ということは一般紙は彼女たちのことを普通の素人のお嬢さん扱いにしているということになり、またそこのところが笑えるほど面白い。


AKB総選挙 雑感 その2

2011年06月14日 06時15分24秒 | インポート

 もともとAKBとは「会いにいけるアイドル」「自分たちの手で育てるアイドル」といわれてきた。でもそんなことはありえない。それはあくまでも売り出し戦略である。確かに売れる前は身近な存在だったかもしれないが、それでも「自分たちが育てる」などという感覚は幻影にすぎない。結局彼女たちへの応援とは具体的にはお金を使うことでしか可能にならない。彼女たちも、自分たちが応援されることの度合いというものが、払われる額の多寡に相当することぐらいは承知している。つまり男に金を遣わせてナンボであるということは重々承知なのである。女性は、という一括りの表現はよくないが、彼女たち女性というものは極めて現実的であり、それに対してファンの男子は非現実的なロマンチストである。そして日常と非日常の境目がなくなってしまっている。あぁ男とはかくもロマンチシズムに埋没した哀しい生き物なのであろうか?