吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

お手伝い? その6

2013年10月12日 06時46分05秒 | インポート

  小児科の患児も結構来院する。診察が一通り終わり、生活上の注意を療養担当者(多くは付き添ってくる母親)にするのである。「それでは、十分嗽をさせて、水分をとって、熱があるときは外出を控え・・・」と注意事項を母親に説明し始めると、こちらの話の最中に顔をこわばらせて「ほらっ、聞いときなよっ! そうなんだってさ」などと急に母親が患児にむかって強く言い聞かせる場面に遭遇する。おそらくは患児は普段は母親のいうことを聞かないのであろう。だからこちらの説明の最中に「医者の説明を聞きなさい」といわんばかりに突沸するのであろうが、まるでこちらが怒られているようでドキッとし一瞬引いてしまうのである。まあ気持ちはわからないでもないが、なかなか子供をcontrolするのは容易なことではない。母親の言うことをきかない子供であれば、なおさら赤の他人である私の言葉などきちんと守るわけはない。直接子供に療養上の指示をするよりも、療養担当者であるお母様にきちんと聞いてもらい理解してお手伝いいただきたいのである。診療中に子供を叱るのは、昔自分も母親に叱られたトラウマが蘇るので冷や汗一斗なのである・・・(笑)。確かに自分も昔は母親の言うことを聞かなかったお子様?だったので「歴史はくりかえす」なんでしょう。アフアフ。


お手伝い? その5

2013年10月11日 08時30分39秒 | インポート

   「あ お孫さんはよく分からないからそんなに本人に聞かなくてもいいですよ(というか、「あなたが情報をもってこないのが・・・」とはいえないのだが)。 まあとにかく診察も終了し、とりあえずお薬を処方する旨を伝えたところ、付き添いの祖父母が「何か検査しなくてもいいのか?」「この病気は一体なんなのだ」「母親が帰宅したらきちんと私が説明できるようしっかり教えてくれ」といろいろ説明を求めてくることがある。 う~ん、説明しますけれど、結局、お孫さんに付き添ってこられたのは一体何のお手伝いだったのでしょうか? この子は近所にお住まいなのでクリニックまでの道のりは本人も知っている。ということは一人でくることができる。学童なので自費分はないから会計もいらない。母親への説明ならあとで直接母親が電話でもしてくれればとても話が早そうである。 ということは、かえって子供一人での来院のほうがよっぽどスムーズなのである。 う~ん、「付き添い」というものは、おそるべしっ!なのである(笑)。


お手伝い? その4

2013年10月10日 07時13分16秒 | インポート

  学童になると、時々一人でクリニックに来院する子もいる。自分の症状をきちんと述べられるようになるにはやはり10歳以上にならないと難しい。その都度保護者に症状を確認したいのだが子供が一人だときちんとした病歴聴取はできない。しかしながら、それでは大人の付き添いがいればいいのかと言われると必ずしもそうでもない。むしろ子供一人で来院したほうがよっぽど話が早く進むこともある。例えば、祖父母などの付き添いの場合は難渋することがある。「では夕食後はしばらくの間は痛みはなかったのですか?」などと聞いても、「・・・さぁ? どうですかねえー、ちょっと?」 また「うちに来る前になにかお薬のんでいた様子ですがどんな薬ですか? どこかの病院からですか、それとも薬局の薬でしたか?」、「・・・うーん、さあ? どうなんだろうね? ずっとみていたわけではないのでね。母親は今働きに出てるしねー、ほら(孫に向かって)、先生にきちんとどんな薬か説明しなさい!」・・・。 といわれても患児は小学校低学年である。そんなに詰問しても答えられるわけがない。


お手伝い? その3

2013年10月09日 06時56分30秒 | インポート

  患者が小さな子供の場合は検査や処置がいろいろ面倒である。おとなしい子ならよいが、インフルエンザの鼻腔内の綿棒検査や、あるいは創の縫合などでは暴れられて困ることがよくある。とくに綿棒が鼻に入っている時に子供の手が伸びてきて綿棒にぶつかると鼻腔内損傷の原因になるし、縫合中、術野に子供の手が入ると縫合中の傷が汚染されたり損傷がひどくもなったりもする。そこで暴れる子供は抑えなければならないのだが、手が足りない時は付き添いの母親に「手が出ないように手を押さえていて下さいね」とお願いするのである。しかし多くの場合、手を押さえきれず子供の手が母親の抑制からすり抜けて術野や検査野に飛び出してくるのである。やはり母親は「大岡裁き」のように自分の子供の手を強くは押さえつけられないのかもしれない。スタッフがやればきっちりできるのであるが人手がないときは親御さんにお手伝いいただくこともある。不安げな表情のお母さんと泣いて暴れるお子さんの2人相手はこちらもなかなかしんどいのである。基本的にお母さんは医療側のお手伝いにはならないのである。「あ~○○ちゃん、可哀そうね~」と処置中にお母さんにいわれるとこちらも後ろめたくなってしまうのであるが・・・。<o:p></o:p> 


お手伝い? その2

2013年10月08日 07時34分55秒 | インポート

  昔、大学病院に勤務し始めた時のことである。ある研修医が手術に助手で入った。もちろん何も役に立つわけではない。しかし助手なのでいろいろ鉤などひいて術野を確保するのが役目である。ところが時間がたつと手の力が緩んできて術野の視野がとれなくなってくる。人間は筋肉を数時間以上収縮させ持続的に力を出し続けることは到底無理である。手の力が緩んでくるのはやむを得ない。しかしこれは当然怒られるわけである。当たり前である。術者はスムーズに手術が運ばないので当然イライラしてくる。そして最後に彼に言われた言葉であるが、「手術の助手をアシスタントというが、君はアシスタントかい? それともレジスタント(抵抗者)かね?」 う~ん韻を踏んでとてもいい表現であると感心したが、実際彼は目一杯嫌味を言われているのである・・・(笑)。<o:p></o:p> 


お手伝い? その1

2013年10月07日 07時00分57秒 | インポート

  昔、日本橋のある商業施設に車でよくいった。そこには施設内駐車場があるのだが、そこの入り口のところには必ず係員がいて進入を誘導してくれる。それはいいのであるが、ある特定の係員の誘導が困りものなのである。それは進入路の真ん中に立って手招きするのである。真ん中に立たれると進入できない。彼がどくのを待っていると、いかにも「早く入れ」とばかりに、手を強く振って進入を促すのである。そのまま進入すると彼を轢くことになるが、彼は道をあけないのでこちらが左右どちらかによけて駐車場に入るのである。どうもその係員は気がついていないのか、これが正しいと思っているのか勘違いしているようである。その係員の誘導の時は「あっ、またこの人だ」とがっかりする。駐車場に進入するのに大きくハンドルを何回も切り返さなければならないのは面倒くさい。本来は誘導員とは「安全、かつスムーズに車を誘導する」のが仕事だと思うのであるが、これではアシスタントではなくレジスタントということになってしまう。<o:p></o:p> 

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体罰 その8

2013年10月05日 06時54分39秒 | インポート

  中学時代のこの理不尽な体罰は、その時はとてもいやであった。でも社会にでてからはこれよりもっとひどい理不尽をしいられることがいくらでもあった。体罰を受けるよりもっとつらい理不尽さが社会には存在するんだなと初めて知った。だから学校でのこんな理不尽な体罰など社会に出てからのことを考えたら屁みたいなものであると感じたし、当時のこの経験で適度な免疫がついたんだろうと思っている。もちろん今では体罰はまったく認められない世の中になったらしい。あの高校生への「ねずみ男式ビビビのビンタ」は確かにやりすぎで言語道断である。それはそれでいいのであろうが、キャスターの小倉さんのいうような、ちょっと気合をいれるものまで含めて体罰とするには「ちょっと複雑な気持ちです」という感覚がなんとなくわかる気もするのである。自分は大学時代柔道部であった。試合直前には顔が上気して足元の感覚がなくなることがある。そこで落ち着かせたり気合をいれるために、腰をたたいてもらったり、顔を張ってもらうこともよくあった。これのおかげで勝利をあげたこともあった。これは体罰ではないのだろうが、勢いこんな場合の「活法」までが暴力とか体罰とかに包含されないことを願うものである。<o:p></o:p> 


体罰 その7

2013年10月04日 07時30分23秒 | インポート

  すると隊列最後尾を泳いでいた体育教師は「○○先生、ふざけているのはどの辺ですか?吉田のあたりですか?」といい始めたのである。この手漕ぎ船の教師もいい加減なもので「えっえっ? なに? 吉田の辺り? えっ、あ~そうです吉田でーす。」といい加減な生返事をしたもんだから大変である。この体育教師は猛烈な勢いで私のほうに泳いできたのである。「吉田ッ!またお前かっ!」というがはやいか、私の頭を押し付けて海に沈めるのである。「ちっ、違いますぅ、僕じゃな・・・(ガポポポ)」、「僕じゃなくて前の・・・(ガポポポ)」これを3~4回やられてまた体育教師は隊列の後ろに戻っていったのである。これは完全な冤罪なのである。しかし変な規則性があった。このようにだれでもいいのであるが誰かが生贄的に体罰を受けてしまえば、その「事件」はとりあえず終息し大団円?を迎えるのである。あとで体罰を行った教師も、ましてや体罰を受けた生徒からもクレームはなかった。逆に自分が「真犯人」の時にこの「生贄的冤罪」で助かったこともある。変であったが何となくこんなもんかと納得していた部分がある。<o:p></o:p> 


体罰 その6

2013年10月03日 06時42分26秒 | インポート

  幸い自分はなかったが、職員室の前にたたされることもあった。これは苦痛である。休み時間中では全校生徒のさらし者であった。「罪が重い」時は立ちながら「私は授業中○○をしました」という自分の「罪状」を書いた画用紙を持たされて立たされていたやつもいた。まさに「市中、引き回しの上・・・」といった刑罰に等しい。これなら瞬間的に終わるビンタのほうがよっぽどよかったのである。そして冤罪は数限りなくあった。当時、臨海学校の遠泳の時だった。隊列を組んで沖をみんなで泳いだ。隊列の横には手漕船で並走し教師が上から列の全体を見張っていた。そして隊列の最後尾は体育教師が後ろから泳いで監視していた。遠泳だと途中飽きてふざける奴もいる。自分の前を泳いでいる奴が急に「あ痛てて、クラゲだ、クラゲがいるぞ」とふざけはじめた。自分はこの時期にクラゲはいるはずはないと黙って泳いでいたが、周囲の連中が「何、なんだって、くらげ? くらげがいるって?」と騒ぎ始めたのである。手漕ぎ船の教師はメガホンで「おーい、そのあたりうるさいぞ! ふざけないで真剣に泳げ!」とどなり始めたのである。<o:p></o:p> 


体罰 その5

2013年10月02日 07時08分14秒 | インポート

  こんな日常だったので、「冤罪」で殴られることもよくあった。弁解しても通用しない。「吉田は悪いことばかりしている。だから今回も吉田だろう」という「逆オオカミ少年」的感覚が教師の頭にインプットされているからである。授業中、窓が開いていて少し肌寒かったので、前のやつに「おい、ちょっと寒いから窓しめてくれよ」と窓に向かって指をさした。その直後に「吉田ぁ、前に出てこい」と言われ頭を殴られた。「授業中窓の外を指さしているんじゃない。集中しろ」と怒られた。また頬杖をついてノートしている生徒も「前へこい」と呼ばれ殴られていた。「態度が悪い」ということであった。でも当時はこれが当たり前だと思っていた。いたるところで体罰があったが、でも体罰は瞬間的に終了するので肉体的苦痛だけですみ自分はこちらのほうがよかった。そうである肉体的体罰よりももっと辛いものがあったのである。<o:p></o:p> 


体罰 その4

2013年10月01日 08時28分47秒 | インポート

  確かに今、自分の目からみても、中学当時の自分は、よくいえば多感期、悪く言えばかわいくない悪ガキであった。もちろんイタズラ程度の悪さしかしなかったが不真面目で態度もおちゃらけていた。口で教師がわかるまで諭したっていうことなんか聞くはずがない。自分のような子供をコントロールするには体罰が一番簡単な方法であった。事実、怖い教師の授業ではだれもがおとなしくて、一方逆に優しくて怒らない女教師の授業は教室内がおしゃべりでやかましかった。そういえば授業中、態度の悪い生徒にチョークを投げてぶつける教師もいたが、多くは「おい、○○ちょっと前へ出てこい」といって授業を中断し、ビンタをすることが多かった。時にバリエーションで、出席簿で頭をたたく(私はこれで顔を叩かれたがこれは痛い)、指示棒で頭を叩く、竹刀で面を打たれる、ストーブに石炭をくべる鉄のスコップでお尻を叩かれるといったいろいろな手段があった。ただ流石に竹刀で打たれた生徒には「君、昨日は痛かったかい?すまなかったね」と教師は気遣っていたのだが。<o:p></o:p>