吉田クリニック 院長のドタバタ日記

日頃の診療にまつわることや、お知らせ、そして世の中の出来事について思うところ書いています。診療日には毎日更新しています。

服役中の伝説的ミュージシャン死亡、妻が国賠提訴「死なずにすんだのに、許せない」 その4

2019年11月12日 06時45分57秒 | 日記
 大きな病院で医療機器もふんだんに設置され、24時間いつでも緊急手術が可能で多くのスタッフを抱えた病院と、田舎で医療機器もなくスタッフも医師は自分一人などという診療所を比較し、同じ医療水準をもとめることは困難である。また解剖しないで体表面だけの検死では確定診断など難しいのは当然である。初診医師と北大法医の診断が異なるのもやむをえない。それにもかかわらず「事実と反すること」と結果論から追求されたなら、北大法医はともかく、初診医師への責任負担は過重なものと思われる。
 妻のコメントで「もっと対応を早くしてくれれば、死なずに生きて帰ってこれた。ふつうに外にいれば、病院に運ばれて、簡単な手術で終わるものなので許せない。放置した刑務所や病院がおかしい」とあった。 「早い対応すれば・・」というのは確かに「診断がついていれば」と言う前提ならば正しい。ところが本症は診断や緊急手術の可否判断が困難な疾病である。また早い対応とは言うものの収監中ということもあり一般市民とはまず状況が異なる。「ふつうに外にいれば」というが、ふつうに外にいた人ではない。一般人とすべて同じ条件や権利を持っているわけではない。


服役中の伝説的ミュージシャン死亡、妻が国賠提訴「死なずにすんだのに、許せない」 その3

2019年11月11日 05時36分05秒 | 日記
 いやはや、これはなかなか難しい問題である。収監中であるわけだから基本的な自身の能動的な行動は当然制限を受けるものである。これを一般市民とすべて同じ権利を受けられるのであればこの法治国家では収監する意味がなくなる。
 かといって収監に耐えうるだけの健康状態かどうかだけは最低限きちんと管理されるべきでもある。ここのところの狭間で服役者は揺れ動いているのである。かなり難しい問題である。
 その上での話であるが、異を唱えるものはすべて結果から遡って糾弾するわけである。確かに最初に腹痛を診察した町立病院の医師を結果だけからみれば「誤診」ではあるが、簡単に言うだけは容易い。
 しかしながら絞扼性イレウスの診断は難しい。特に緊急手術の適応かどうかの判断は困難を極める。しかも医療機器の整備もままならない病院や診療所では、本当にその医師の経験と判断に負うところが大きい。
 今まで自分は多くの絞扼性イレウスの診断・手術をしてきたが、開腹するまで「本当に腸閉塞だろうか?」と不安になったこともよくあった。開腹してみて手術中に腸閉塞だったとわかると、逆に「ああよかった」と不謹慎にも思ったくらいである。この安堵感は「自分の開腹適応判断が間違っていなかったこと」の安堵であり、けっして患者救命の目安がついたことに基づいたものではない。それだけこの疾患のdecision makingは難しいのである。


服役中の伝説的ミュージシャン死亡、妻が国賠提訴「死なずにすんだのに、許せない」 その2

2019年11月09日 05時46分03秒 | 日記
 しかも、北海道大法医学教室による死体検案書には「肝硬変からくる肝細胞がん破裂(推定)、出血性ショック」と書かれていたが、月形町立病院の医師の診断書には「急性胃粘膜病変」とあり、まったく異なっていた。
 満寿子さんは、北海道大死因究明センターに、伊藤さんの遺体を解剖してもらった。その結果、死因は「絞扼性イレウス(腸閉塞)による出血性ショック」だったということがわかった。つまり、死体検案書などでは、事実と反する記載がされていたのだ。
 満寿子さんは「もっと対応を早くしてくれれば、(伊藤さんは)死なずに生きて帰ってこれた。ふつうに外にいれば、病院に運ばれて、簡単な手術で終わるものなので、私としては、許せない。放置した刑務所や病院がおかしい。(裁判に)勝っても負けても、(伊藤さんが)受けたことを明らかにしたい」と、目に涙を浮かべながら話した。
 原告代理人の島昭宏弁護士は「昨今、日本全体でも、刑務所や入管施設で外国人が亡くなることが続いている。今回、たまたま奥さんの思いで、内容が明らかになった。こういうことは日常的におこなわれていると考えざるをえない。しっかり責任追及と実態究明をしていきたい」と述べた。


服役中の伝説的ミュージシャン死亡、妻が国賠提訴「死なずにすんだのに、許せない」 その1

2019年11月08日 05時54分31秒 | 日記
 10/30(水) 16:22配信 弁護士ドットコム
 伝説のロックバンド「THE FOOLS」のボーカルで、ミュージシャンの伊藤耕さん(当時62歳)が、服役中に亡くなったのは、刑務所や病院で適切な処置をしてもらえなかったからだとして、伊藤さんの妻が10月30日、国家賠償法に基づいて、国などを相手取り、約4320万円の損害賠償をもとめる訴訟を東京地裁に起こした。
 伊藤さんは2015年秋から、覚せい剤取締法違反の罪で、懲役2年6カ月の有罪判決を受けて、月形刑務所(北海道月形町)に服役していた。
 訴状などによると、伊藤さんは2017年10月15日、刑務所で腹痛を訴えて、嘔吐を繰り返したため、月形町立病院に搬送された。しかし、腹部の触診と痛み止めの投与だけで、刑務所に戻された。翌10月16日も、伊藤さんは痛みで座っていることができず、転倒を繰り返した。職員が起こしたときは目がうつろで、居合わせた医療棟の職員には、瞳孔が開きかけているようにみえたという。また、16日午前中、刑務所内の診療所でエコー検査を受けたところ、腹水がたまっていることが認められ、血圧もかなり低下していたという。伊藤さんは16日深夜、ふたたび搬送されたが、すでに心肺停止状態で、17日未明、搬送先の病院で亡くなった。
 満寿子さんは当初、「(伊藤さんの)死因がわからず、司法解剖になるかもしれない」と聞かされていたのに、結局、解剖されず、死因の説明もなかったことに不信感を抱いた。

東京五輪マラソン 札幌へ その3

2019年11月07日 06時41分52秒 | 日記
 そしてまた競技場のデザイン料めぐってひと悶着あったでしょう。これで違約金を外国デザイナーにずいぶん取られている。ここでも予算の無駄遣い。その後もいろいろ競技会場設置費用についてうなぎ登りの予算超過・・・。どこがコンパクトなのか、これはもう税金の無駄遣いとしか思えない勢いですよね。完全に東京五輪なんてやめてくれって否定的になりました。ここにきてマラソンは札幌って・・。これ何なの? これでこれ以上予算オーバーしたら怒ります。
 もし小池さんが札幌に変更して予算をびた一文出さないという所へ持って行ったとしても、いままで豊洲移転でもものすごい税金使っている過去があるんで、自分は来期の知事選に彼女はちょっと・・・。
 なんだか大事な都税を湯水のごとく使われているような印象しかありません。これで「札幌移転しても都からの予算持ち出しなし」なんて鬼の首を取ったように言われても誤魔化されません。
 もう東京五輪なんて完全に白けました。

東京五輪マラソン 札幌へ その2

2019年11月06日 06時30分25秒 | 日記
 それにしても、小池さんもただでは起きないでしょう。本来、日本の五輪開催の窓口はJOCであり、開催地の知事には連絡しなくてもいいのである。なのでIOCはJOCにのみ連絡すればいいのであるが、ここまで都知事へ忖度させているのであるから都知事の力も大したものである(というかJOCの森さんがだらしない)。
 おそらくここで小池さんは東京開催を主張し(演技であっても)、自身の力を都民に見せておけば来年の都知事選へのアピールにもなる。そりゃ東京五輪のときの都知事は自分がやりたいでしょうから。
 しかしながら当初はコンパクトが低予算な五輪などと言っていたが全部嘘であった。最初の国立競技場だって建て直すなんて聞いてなかった。コンパクトにっていうなら、あの1964の東京五輪の競技場にまた同じ聖火台が建てられここに同じ火が灯りますなんてやったら感動的だしコンパクトに抑えられると思っていた。ところがなんだか無理に建て替えるって・・・必要だったの? 建設業界へのサービス? 
 とにかく当初のコンセプトなんてまったくありゃしない。


東京五輪マラソン 札幌へ その1

2019年11月05日 06時21分18秒 | 日記
 まあ、何ともどんでん返しの連続である。ずっと東京開催ということで今まで準備をしてきた関係者、選手、都職員、関係諸団体の努力、そして費やした多額の予算はすべて水泡に帰したことになる。すべてが無駄になったわけである。しかもJOCの森さんと都知事の小池さんは最初っから仲が悪く連携も最悪であった。
 ということで「札幌でやる」というIOCのトランプ会長、あっいやバッハ会長の強権発動の指令は小池さんには伝えられず、まず森さんに伝えられ、そして札幌にまず打診され、札幌OKという返事が出た段階で小池さんに「札幌という案が出ましたよ」って伝えたもんだから、そりゃ小池さんは怒るよね。
 お別れする前に次の彼女を確保しておいてから別れ言葉を告げるやり方に似ているよね。
 あっ、でもこれは男女関係では常道かも?

教諭いじめに影響は…独自の人事異動「神戸方式」 その3

2019年11月01日 06時38分00秒 | 日記
 確かに現場の校長間での人材やり取りは、実際教師を現場で直接見てきているし長所短所も知っている。ここで各学校にそれぞれ適所配置すればうまくいくであろう。しかも教育委員会の人事では大所にたった人事はできるが、現場の詳細な実情まではわからないので不適切な配置だったということもある。
 そのような観点から1960年ごろからずっと神戸方式が続けられてきたということであるが、世の中の流れからは遅れているかもしれない。どこの世界でも人事は「人事部」が行うのである。現場でやり取りする話なんて聞いたことがない(とはいうものの大学病院の医局の人事権は病院側ではなく部長教授にあるのだが)。
 まあそれぞれに長所短所はあるが、世の中の流れというのは、いいか悪いかは別として現在のスタンダードを遵守しておいたほうがいい。つまり学校現場での人事と言うのはほぼ教育委員会が行っているというのがスタンダードらしいので、それに従っていなかったというのでは問題は確かに残るのである。