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老犬?りんちゃんとの暮らし♡ 〜After story〜

ご報告です。 1/31(日曜日)〜2/11(祝日)

何から報告したらいいのか...

昨日、新しくフォローをしてくれた方もいるのに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが

実は、りんが体調を崩して2/11(祝)に余命宣告を受けました。


2/10(水)に携帯を水没させてしまい、昨日の夜にようやく修理から返ってきました。
不幸中の幸いで、データは無事で、りんの写真はそのまま、ブログにも無事にアクセス出来て安堵しています。


報告が遅くなりました。



りんは、私の考えで避妊手術はしていませんでした。


健康な臓器を摘出するということに納得出来ないでいました。


1年半くらい前から織物に異変を感じ、そのうちに膣の中にある筋腫に気づきました。

でも、だからってりんは元気で、織物は気になるものの、別に何も支障はないので経過観察していました。


と言うより、全身麻酔が怖くて、このまま何もないことを楽観的に願っていました。


1/23(土)〜ヒートが始まりました。
もしかしたら、これは不正出血だったのかもしれません。


りんは変わらず元気で食欲旺盛でした。



2月1日(月曜日)
今日も元気に!かまってちゃん♡

小さな公園に行って、日光浴time♡

公園の隣の会社のお姉さんと久しぶりに再会して、可愛がってもらいました♡









しばらく、りんちゃんをマッサージしていましたが、ママは、足がしびれてきたのでベンチに移動〜!
りんちゃんは、お構いなしにゴロりんこ♡






2月3日(水曜日)
今日も、小さな公園に行ってゴロりんこ♡time♡








2月4日(木曜日)
朝起きてくると、下痢に近い軟便がしてありました。

その後も2回、下痢に近い軟便。

心配しましたが、りんちゃんは元気いっぱいで、ママが朝ご飯を食べていると、いつものように柵を動かして催促吠え。

うどんを作ると完食。


出血も落ち着いてきたので、久しぶりに歩いて大きい公園にお散歩に♡






















しかし、その後、血便下痢を3回。

うどんをあげたことを後悔。

夜は絶食。


2/5(金)には少しずつ回復。


出血も収まり、胃腸炎も良くなってきてホッとしていた2/6(土)、りんの子宮筋腫が膣から今までよりも出ていることに気づきました。


この時も全身麻酔の怖い私は、ネットで「筋腫分娩自然にとれる」という情報を見つけ、このままお産みたいにポロッととれるのかな〜なんて考えていました。



2月7日(日曜日)
次男の11歳の誕生日でした。

りんも一緒に、誕生日ケーキとステーキを食べてお祝いしました♡

4日遅れの節分も一緒に楽しみました。

新聞紙の鬼棒で、悪い筋腫出ていけ〜!とバシバシ叩かれました笑。








筋腫はお産のように日に日に外に出てくる、そんな状態でしたが、りんは食欲があったし、2/8(月)は車で梅の花を見に行ったりとのんきに過ごしていました。


2月8日(月曜日)
梅の木がたくさんあるところは、梅の飴のにおいがしたね♡




りんちゃん♡お口にご褒美♡綿菓子ついてる♡♡♡笑

















2月10日(水曜日)
携帯水没。。。

事態が急変したのは夜でした。

食欲旺盛のりんが夜ご飯を残しました。

そして、その後、倒れるようにして嘔吐。


 

2月11日(祝日)
病院で筋腫の手術してもらうことをようやく決意。

りんは午前中、下痢をしました。

病院に行く前に、家からすぐ近くのいつもの小さい公園に寄ったら、おしっこをした後に、後ろ脚に力が入らず、そのまま倒れてしまいました。

私はりんをそのままにして、ダッシュで家に戻りました。
旦那と子供達がかけつけて、すごい近距離だけど、車をここに持ってくることにしました。

幸いにも、車を見たら起き上がって自分で車に乗ってくれました。

りんはこんな辛い状態にもかかわらず、お出かけだと思ったのかもしれません。


病院に行く前、私は子供達に、これがりんと会う最後になるかもしれないと話しました。

長女は一緒に車に乗り込み、病院の時間までりんのそばにいました。


病院は、旦那と2人で向かいましたが、コロナの為、付き添いは1名となっており、私が代表して先生と話すことにしました。

りんの体温を計り、低体温状態だと教えてくれました。

私はこの腫瘍をとってほしいと話しました。
腫瘍は全部出ているから、これを外側から切り取って、あとは子宮、卵巣の摘出が出来るんじゃないかと話してみました。

先生は、年齢も高いし、今の状態で全身麻酔は大変リスクが高いこと、手術が成功したとしても、今の状態まで回復できるとは言えないなどと、とても丁寧に話してくださいました。


私は病院に連れて行ったら、入院、開腹手術の方向に話が進んでいくものだと思っていたので、先生がおっしゃっている話が頭の中で整理できず、同じ話を何度も言っていたように思います。

しばらく会話が噛み合っていなかったと思います。


話しながら涙も出てきてパニック状態の私に、すごく混んでいる病院にもかかわらず、とても丁寧に対応して下さいました。


手術してほしいと話す私の会話の中に全身麻酔への迷いや、手術に対するマイナスな感情を感じたからこその対応であったと思います。


徐々に自分がりんにどうしてあげたいか、先生と会話も噛み合ってきて、今苦しい状態をなんとかしてあげましょう。という方向に話がまとまりました。


先生から、点滴、胃腸運動改善の注射、下痢止めの提案がありました。


私はこの期に及んでも、下痢止めは好きではないからやらないで良いです。と主張をしました。
先生は嫌な顔せずに、承諾して下さいました。


処置の間は、待合室で待ちました。
携帯がないので、ぼーっと過ごしました。
少しずつ、現実を受け入れていました。


処置が終わったと呼ばれ、診察室に入ると、背中がラクダになったりんがいました。


私は先生に、りんはあとどのくらい生きられますかと聞きました。


先生は、このまま何も飲まず、食べずでいたら5日間。食べたりすれば延びていくと言いました。


ぐったりしていたりんですが、自力で車に乗り込みました。


私はこの時、りんと一緒に帰れる喜びでいっぱいでした。


余命宣告されショックでしたが、それ以上にりんが病院から返してもらえた!みたいな気持ちでした。


りんを家で看取ろうと覚悟を決めました。



帰宅後、立ち上がる元気があったので、公園で倒れた時に腫瘍に砂がついてしまっていたので、お風呂場で洗いました。
りんは、水を大量に飲みました。

夜に買ってきた蒸しパンやプリン、私の手作りの胸肉チップスを10枚ほど食べました。

子供達もりんが帰ってきて嬉しそうでした。

子供達にもりんの余命を伝えました。


バパも子供達も、いつも通りの様子でりんと接していました。

私もいつも通りなママでいようと思いました。


夜、おしっこ、うんちなし。


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