9.尻手の南武支線E127系と川崎との往復
鶴見駅で鶴見線E131系1000番台を車両取材し、
「Wendy's First Kitchen鶴見ミナール店」で朝食を喰ってから、
京浜東北線08:07の北行で川崎まで行く。
川崎で南武線に乗り換え、08:18発で隣の尻手まで行く。
JR尻手駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の高架ホームを有する南武線の駅である。
また、南武線の本線のほか、浜川崎への支線も分岐する。
単式ホームの1番線は南武線本線上り川崎方面、
島式ホームの2番線は下り立川方面が使用、
3番線は南武支線浜川崎方面が使用する。
南武線は多摩川の砂利を運搬することを目的に設立された、
南武鉄道によって敷設された路線で、
1927年3月9日に川崎から登戸までの区間が開業、
同年11月1日に大丸(現・南多摩)まで延伸、
1928年12月11日に屋敷分(現・分倍河原)まで延伸、
1929年12月11日に立川まで延伸して本線は全通した。
本線全通後の1930年3月25日に支線が浜川崎まで延伸、
この時は貨物線のみだったが、
同年4月10日に旅客営業が開始された。
南武鉄道は戦時中の1944年4月1日に、
国有化され、南武線となった。
尻手に駅が開業したのは川崎から上りとまでの区間が開通した、
1927年3月9日と同時に開業した。
開業当時は停留場扱いだったが、
本線全通した1929年頃に駅に昇格している。
尻手は川崎の隣駅で、県道140号新川通沿いに駅舎を構える。
川崎から比較的近い場所に位置するが、
駅前は住宅地区の商店街といった様相である。
駅所在地は神奈川県川崎市幸区南幸町三丁目で、
開業当時の地番も川崎市大字南河原だったが、
駅名は隣接する橘樹郡鶴見町大字市場字尻手から取られた。
「尻手」とは「ある地域の後方にある土地」を意味する。
南武支線は尻手から浜川崎までの4.1kmの区間で、
本線からの直通運転はなく、
現在はE127系がワンマン運転で往復している。
首都圏では旧型電車や101系などが、
最後まで残っていた区間としても有名である。
E127系は新潟地区の普通列車用として、
1995年5月8日から投入された直流一般型電車で、
のちに長野地区でも100番台が投入された。
しかし北陸新幹線金沢延伸で並行在来線が分離、
第三セクターのえちごトキめき鉄道に移管されたため、
新潟支社所属の2両編成×13本=26両のうち、
10本が元信越本線の妙高はねうまライン用の車両として、
転籍され、ET127系に改番されている。
一方で残存した3本のうち2本が、
鎌倉車両センター中原支所に転籍、南武支線の運用に赴いた。
尻手で折り返し停車中のE127系を十分に取材し、
いったん川崎に戻り、始発の08:53で稲城長沼まで行く。
ここは駅取材のほかに、駅前の実物大ボトムス立像を取材するのだ。