セーラー服で過ごした夏がある。
それは逗子海岸にあった「国鉄海の家」だった。
ここは台風の高波に中味を持っていかれる安普請のヨシズ張りではない。
木造2階建ての広壮な海の家だった。
従業員は大学生が5~60人。
正社員は、交通公社から派遣されたオバサン所長と経理担当女性のみ。
それに食堂の店長とコックのおじさんたち、合計5~6人だった。
採用には筆記試験と所長面接があり、勤務条件は文書で親に郵送された。
アンちゃんやねーちゃんが働く他の海の家とは異なり、湘南海岸のエリートだった。
石原裕次郎たちとは違い、マジメに社会勉強をしていたのだ。
制服は男女共通でセーラー服に白いマンボズボン。
始めは恥ずかしかったけれど、全員同じだからすぐに慣れた。
森生はここで、お土産売場を任された。
相棒は女子大生。旧鎌倉東御門に住む黒い瞳のご令嬢だ。
もしかしたら逆玉、酒と薔薇の日々になったかも。
しかし鈍感な青年は、千葉県鯛の浦煎餅の仕入れに熱中していた。
「逗子名物」のラベルを剥がすと、箱にそう印刷されていた。
何と「How insensitive」であったことか!
ございます言葉は、煩いオバサン所長にミッチリ仕込まれた。
ヘルスセンターと勘違いした埼玉の団体客のオッサンに、
あのぅ、恐れ入りますがぁ......。
タオルじゅぁなくぅ、パンツをお召し下さいマセェ。
などとね。
終業後は、海岸を見下ろすバルコニーで、フォークダンスに興じた。
鴎の水兵さんたちは、波にチャプチャプ遊んでいた。
夕凪時でも暑さは感じず、愉快だったな。
雨が続いて、客足がバッタリ途絶えた時がある。
所長は、横須賀線電車内でビラを配れ、と業務命令。
鴎たちは全員反抗した。
勤務条件にあるとおり、われわれはこの海の家の中でのみ働くのだ。
セーラー服を着たまま電車内で、ビラ配りなぞ出来るかっ。
オバサン所長はセーラー服に太っ腹をねじ込み、ひとり敢然と電車に乗った。
鴎の水兵たちは屈服した。
行きは横浜まで車掌室に便乗し、横浜から下り電車内でビラを配った。
セーラー服の美青年(森生のこと)は、車内で女性客から握手を求められたものだ。
歯も揃ってたし、手拭王子くらいではあったのだ。えへへ。
ああ..........。
061003
「遠い雲」も好きな、masaです。
生まれも育ちも田舎者。
「湘南ボーイ」にはほど遠い。あこがれてました。
でも、生まれ育った環境は違えど、いかに苦労し、苦労した分、人の心の痛みが分かる。
それが、ひととしての成長だと思います。
「遠い雲」を読みながら、笑いながらも、精進しなければと考えています。
意味不明なコメントで、すみません。