けんちん汁の会で、あんちく氏は採れたて洗いたてのぎんなんを下さった。
家に持ち帰り早速小笊に開けると、強い匂いが立ち上がった。
高麗川の清流で熟した果肉を洗い落とし、日に晒しても、匂いは抜けなかったのである。
電子レンジでチンをして殻を割ると、匂いからは想像できない美しい翡翠色が現れた。
ぎんなんの鮮やかな翡翠色は、子どもの頃を思い出させる。
あの頃は茶碗蒸しや八宝菜など、贅沢な料理は拝めなかった。
練炭火鉢に載せたほうろくで炒って殻を割り、鮮やかな翡翠色の実をそのまま頬張ったものだ。
少しほろ苦く、いまどきの子どもには喜ばれないだろうが、森生はこれが好きだった。
あの時のぎんなんに匂いはあったのだろうか。
今では思い出せない。なにしろいつも空腹だったからね。
この匂いは、時折、町の中にも微かに漂っていた。母が生まれた里へ行けば、常時、村中が匂っていた。
だから、ぎんなんの匂いは、今となっては懐かしい「芳香」である。
森生がけんちんの会に持っていった手土産は、恥ずかしながら市販品である。
いま流行っている麻布かりんとだが、採れたてで匂いが残るぎんなんに較べると、大分見劣りがした。
いちばん下の写真は「簡単つまみ&料理レシピ」さまから拝借しました。
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