林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

しんしん

2014-01-14 | 知ったかぶり

わが猫額亭の庭園はツンドラ状態である。
空気は冷えきっていて、亭内に引き篭もっていても、腰から下が
しんしんと冷えてくる。

こう寒くては、何もする気にならない。
それでも何とかしないといけないので、「しんしん」を電子辞書で調べたら、興味は「津々」で、雪は「深々」だった。
しかし「しんしん・と・冷える」はなかったんですね。

次、イラストレーターである五味太郎さんがユカイな絵と文を書いた「日本語擬態語辞典」を探してみた。
ここにも無い。

この辞典では182もの擬態語を、日本語と英語で説明しているが、「しんしん」が無い。
「しんしん」は擬態語ではなく、「興味しんしん」や「雪はこんこん」のように、漢文由来の気取った日本語でしょうね。

で、カラダが芯から冷えてくるので、「しんしん」は「芯々」と書くのがピッタリしますが、如何でせうか?
寒くて心神耗弱状態で考えておりますので、間違いかもしれませんが。

なお、「心神耗弱」は恥ずかしながら、これまでず~っと「しんしんもうじゃく」と読んでおりました。

明日は雪が降るそうだ。東京の雪はびしょびしょ降る。
生憎、五反田にじじばばが集まり、新年会を開催することにしている。

今から雪靴を探し出しておかないとな。

挿絵は、五味太郎文・画「日本語擬態語辞典」(講談社+α文庫)から。

140114


ばななはばなな

2014-01-12 | 先輩のお言葉

吉本ばななが書いた「キッチン」と「TUGUMI」を通勤途中に読んだのは大昔のことだった。
奇妙な人物が登場し、何も起きない「退屈な」小説だったが、不思議なまったり感で、心が温かくなったものだ。

そのばななさんも早や来年は50歳とか。
すっかり文壇の大物に成長し、求人広告頁で就活中の若者に意見するようになった。おめでとう。

ばななさんは5歳の時に小説家で身を立てる決心をし、お父上の吉本隆明先生もこれを了とした。
その後同級生の就活を横目に、初めての小説「キッチン」で狙ったと
おり大きな文学賞を取り、以後は順風万帆。
松尾芭蕉より吉本ばななに大成し、まさに、センダンはフタバの頃よりセンダンなのだった。

そのばななさんにも得手不得手があるらしい。以下、広告から抜粋します。

 私が正確に書けないという対象には色気を出さないことを大切にしています。
 社会には分担というものがあって、自分が全部背負っているような気になってはダメなんだと思うんです。
 金物屋さんにお饅頭を買いに行く人はいない。
 私は金物屋だから、いくら困ってもお饅頭を売り出そうとは思わないことだ、と自戒している感覚があります。
 これはできる、これは苦手と判断しながら、己を知るというのが全てです。
 いい仕事をするというのは、自分の持っているその範囲を磨くってことなのじゃないでしょうか。

いやはや参ったね。
森生は饅頭屋でしかないのに、林住記を毎日更新するために、身の回りの全てに目を配っていたんですねぇ。
饅頭だって材料を仕入れなくちゃいけないのに、それが最近無いのよ。記事がつまらなくなるわけだわさ。

いくら頑張ったって一銭にもならないばかりか、アクセス数も閲覧数も土日祝日にはガクンだ。
書けないことに無理矢理手を出したって、どうせ無視されるだけなんですな。

それでも、若者はばななさんのような才能が無くても、将来がある。
好き嫌いを言わず、不得手なことにも挑戦しようね。

だが、じじぃのこの先は、僅かな年金しかない。
だから無理せず、明日は休載だぁ。

吉本ばななさんのご意見は、本日付け朝日新聞朝刊「朝日求人・仕事力」に載っております。
ばななさんが取った賞は「キッチン」で芸術選奨文部大臣新人賞、「TUGUMI」で山本周五郎賞、「アムリタ」で紫式部文学賞ほか多数です。

140112


懐かしい風景

2014-01-11 | 色めがね

「清洲橋」

ビル・ゲイツが、画廊に展示中の全作品を買い取ったといわれる版画家・川瀬巴水の展覧会。
名山先輩に誘われて、一緒に観に行った。

見たことがない日本の風景だったけれど、どれもがとても懐かしい風景だった。
特に水辺の風景、それも日没後の暗い家並みに、仄かに灯る暖かい明かりが素晴しかった。

完成作品の参考資料として、鉛筆で丁寧に描きこんだスケッチ帖が展示してあり、これがまた素晴しい。
絵葉書大の寸法で、彩色はごく一部分であっても、これだけでも立派な絵画作品に見えた。

二人とも、川瀬巴水のことをNHKの日曜美術館で知った。
放送は千葉市美術館での展覧会に沿ったものだったが、都内の大田区立郷土博物館でも、いま、開催中である。

古くて狭い会場ながら展示数は多く、解説は丁寧。入館者はまばら。版画鑑賞にはこちらの方が良いのではないか。
現在は「中期」作品の展示中で、「後期」も観たくなった。
なお、大田区の方は「入場無料」です。大田区住民の皆様、ありがとう。

「塩原 畑下」

時を忘れて川瀬巴水を楽しんでいたら、とっくにお昼時を過ぎていた。
食堂を探し、都営地下鉄西馬込駅、本門寺公園、本門寺と巡り歩いたが、坂の多い閑静な住宅街が延々と続くだけ。
東急池上線池上駅に着いた時は、朝食が暗いうちだっただけに、もうふらふらだった。

博物館近くの湯殿神社は、巴水の版画を連想させる明治大正期の雰囲気があり、参道の巨樹3本がお見事。
腹ごしらえをして、もう一度参拝したい寂れた小さな神社だった。

池上本門寺は広大な境内に巨大な伽藍や会堂が連なってはいるが、アッケラカンとして有難味がいまいち。
ひもじくて、ご本尊を拝む気にもならなかった。
川瀬巴水を拝めただけで満足な二人だった。


「雨の大宮」

詳しい内容は「大田区立郷土博物館」をご覧下さい。
よろしければ「千葉市美術館」もどうぞ。

140111


この冬いちばん

2014-01-10 | 林住期

今朝は5時30分に目が覚め、40分にはエイヤッと起床した。
外はまだ真っ暗。この冬いちばんの早起きだった。

このところだらけきっていて、毎朝8時過ぎに起床していたが、やれば、まだできたのである。

それもそのはず、池袋駅で友だちと落ち合い、川瀬巴水の展覧会に行く約束をしていたからね。
楽しいことがあれば、辛いことも我慢できるのさ。

中綿入りの防寒コートや襟巻き手袋は、前の日から用意しておいた。
西武電車は暖かく、グッスリ眠ることができた。

130110


逃げたダルビッシュ

2014-01-09 | うわごと

このところ退屈だったし、今も退屈である。
こういう時にはTVでも見ていればいいのかもしれない。
だが、バカ騒ぎと官兵衛と総集編と、高揚してペラペラ喋る安倍晋三にはウンザリである。

川崎で凶悪犯が逃走したそうだ。
警察から逃げ出した以上、容疑者ではなく犯人である。
近所の住民は恐ろしくて退屈するヒマはないだろう。ちょっと羨ましい、なんて考えるのは不謹慎である。

警察は犯人の写真を公開した。
一瞬、「これはダルビッシュ投手の弟ではないか」と思った。
「ダルビッシュによく似た小柄な男」と言えば、TVを見ずに聞いてる人にも通じるので、そう言うべきである。

当のダルビッシュ君にはメイワクな話だろう。
しかしですね、「これも一種の有名税」と諦めてほしい。

逃走した凶悪犯はまだ捕まっていない。
この寒空に、薄着で逃げるのは辛かろう。多分、仲間に匿われているんだろう。
匿われているうちは、付近の住民にとっては安全である。

雨は上がった。
雲が日射しを遮り、ここ高台の団地には冷たい西風が吹いているだけである。
退屈なので「民宿雪国」のアラ探しをしている。アラだらけだ。

午後、逃走犯・杉本がつかまった。
当分の間、TVはこの事件がもちきりになるだろう。

140109


民宿雪国

2014-01-08 | 重箱の隅

小説「民宿雪国」。
作者である樋口毅宏は、いま、新潮新書「タモリ論」で評判らしい。
大雑把な粗筋は以下のとおりで、詳しくは書ききれないほど盛りだくさん。

   寂びれた民宿雪国の主・丹生雄武郎は、晩年、国民的人気画家にのし上がった。
   しかしその生涯には謎が多く、実は殺人鬼だった。

話の展開が急で、次から次への大きななウソにすっかり乗せられ、あれよあれよと一気に読み終えた。

大変面白かった。しかし、どうもヘンだ。無理矢理に戦中戦後史を詰め込み、辻褄を合わせた感じがする。
読後感は大変書きにくい。
それで、もう一度読み返してみた。

ははぁん、樋口先生、思いつくままに書き上げたようだ。活字にする前に、読み返してないんじゃないのかなぁ。
小説のウソは大歓迎だが、ウソにもいわゆるリアリティっていうものがなくちゃぁね。
編集者は原稿段階で、先生にもっと注文を付けるべきだった。

たとえば大法螺のほんの一例。
民宿雪国に一ヶ月無銭宿泊した放浪画家(山下清!)が書き散らした絵を下敷きにした作品が評判を呼び、

   ルーブル美術館が5点連作の肖像画を110億円で買い上げた。

   新宿御苑で執り行なわれた丹生雄武郎の国葬には20万人が参列した。

なんてところは噴飯ものですな。
もう一つ。民宿に仲居がいるなんておかしいよ。

小説の後半で、丹生雄武郎の経歴詐称を、手術で男になった(?!)記者に暴かせている。

だが、ウソはこのままに、もっと丁寧に構成すれば、雄武郎は殺人鬼・レクター博士に近付くことができたはずだ。
この小説を全面的に書き直し、更に「実は死んだのは替え玉だった」、として続編を出して欲しいですね。

文庫本の末尾に、在日の作家・梁石日との褒め合い対談や、町山智弘との映画オタク対談が載っている。
余計なおまけだったと思うよ。

 

「民宿雪国」は最高傑作ではないけれど面白かった。今日のように寒い日の暇潰しには、うってつけです。
それにしても、クラリスを連れて南米に逃亡した優雅なレクター博士はどうしてるのかなぁ。

なお、面白い読後感を発見しました。
宮崎悟さまのブログ「紙の空」です。併せてご覧下さいね。

140108


丸善が来た

2014-01-07 | 拍手

おせちや雑煮に飽きたので、飯能のまるひろへ、味噌らーめんを食いに出かけた。

いつの間にか6階に、丸善がどーんと出店していた。
西武線沿線で最大規模の書店ではないだろうか。ずらりと並んだ本棚には迫力がある。

でも、地の果て飯能で、今後やってけるのかなぁ.......。

丸善では、飯能駅ビルやスーパー内にある本屋には配本されない本まで売っていて有難い。
とりあえず以下の本を衝動的に買った。

  「長生きしたけりゃふくらはぎをもみなさい」 鬼木豊監修 槙孝子著 アスコム社刊

  「逝きし世の面影」 渡辺京二著 平凡社ライブラリー刊

  「森の力 植物生態学者の理論と実践」 宮脇昭著 講談社現代新書刊

  「死ぬ気まんまん」 佐野洋子著 光文社文庫刊

  「民宿雪国」 樋口毅宏著 祥伝社文庫刊

7階には飯能市役所の出張所がある。ただ机と椅子を置いただけの、社員食堂のような一角である。
暖房が効いて、店内で安いらーめんやカレーライスが食え、人は殆ど通らず、図書館よりいい環境である。

ここで先ず「民宿雪国」を読み始めた。

う~ん、面白い。これは大風呂敷を広げたとんでもない法螺話である。
のっけから6人も殺されては、読むのを止められない。

万城目学の「プリンセス・トヨトミ」にはガッカリさせられたけれど、樋口の構想力は花丸ですな。
半村良の長編伝奇小説に匹敵する。

それでゆうべは、気が付いたら午前1時だった。

  

そこで今年の方針。
ブログよりも読書を優先しよう。

死ぬまでに読みきれないほど本を積んであるからね。

130107


光陰

2014-01-06 | 歌の翼に

早くも5日過ぎてしまい、今年はあと360日しか残っていない。

正月連休中は、......そういえば何してたんだっけ。尻に根が生えてたことは確かだ。

そうそう、カビたレコードを聴いたり、黄ばんだ週間誌を読んだり、うつらうつらしていたようだった。

高麗神社には、初詣の人々が押し掛けていたらしいけど、いまさら神さまにお願いするほどのことはないもんなぁ。
お礼をする
ほどのこともなかったし........。



足指の腫れが引いてきたので、近所をふらふらと歩いてみた。

悲しいかな、年々歳々、自分にも、この町にも正月らしさがなくなってきてますね。
残りの300日は、この5日間のように、どうってこともなくアッと言う間に通過するだろう。

帰り来ぬ青春 (シャリー・バッシー / シャルル・アズナブール
yesterday when I was young / hier encore (Shirley Bassey / Charles Aznavour)

 

朝が遅いため、徘徊はどうしても夕方になる。午後3時を過ぎると日が翳り、酷く寒い。
 歩き回る気分は凍りついてしまった。

因みに高麗神社のご利益は、「出世開運」であります。
アズナブールの日本語訳はこちらをどうぞ。

140105 


めでたさは中ぐらい

2014-01-01 | 林住期

あけましておめでとうございます。

と言ってはみましたが、百年近く生きてるとあちらが見えてきて、芽出度さは中ぐらいですかね。

・・・ 

元日早々、シャモじぃから電話があった。
高麗神社へ初詣に行かないか、というご提案だった。相変わらず元気だなぁ。

昨年も確か行ったと思うが、今年は行けない、と。

一昨日の伐採作業中、切株に激しく躓き、足指が腫れてしまったからである。
大した怪我ではないけど、往復2時間歩行は辛いからね。

それに、起きたばかりで頭がぼんやりしていた。

・ 昼ごろに元日になる庵かな ・
                     ........一茶

そういうわけですが、今年もご贔屓のほど宜しくお願い申し上げます。

140101