このブログの題名を考える時ふと目を上げると、本棚に中島らも著「獏の食べ残し」があったので、拝借した。
昭和40年生まれ、青春時代にサブカルチャーの洗礼を、ど真ん中直球で受けた。
おかげで、物を斜に見る癖はいまだに抜けない。
物事の見え方はコントラストで決まる。
悲劇性を際立たせるには、主人公がいかに幸せだったかをまず描かなくてはいけない。
恐怖を描くには、対極に笑いを持ってくると恐怖が引き立つ。
中島らも氏は対極の人だった。
ギャグが面白ければ面白いほど、対極の氏の中に潜む鬱の影がくっきりと現れて来る。
鬱と言うものがどんなものか、氏の本を読んでいて理解できていたおかげで、実際に自分が鬱に陥りそうになっても冷静に対処できた。
この本は氏が雑誌に寄せたエッセイや、他者の本の後付に書いた解説等が収められている。
この中の「砂をつかんで立ち上がれ」はビートたけしの「顔面麻痺」のために書いた解説である。
「顔面麻痺」は言わずと知れた、たけしのバイク事故後の顛末を書いた、痛い!話である。
らも氏はたけしの「顔面麻痺した芸人として生きる」決意を啓蒙する。
ここで、らも氏の「義眼の友人」の話が出てくる。
彼はらも氏に請われるままに、義眼を取って見せてくれたり、義眼に巨人の星のような炎を真剣に描こうと職人に頼んだりした。
悲劇を悲劇としてでなく「あったこと」としてとらえる、「転んでも砂(何か)をつかんで立ち上がる」そういう考えに強い啓蒙の意を表する。
実際に人に不幸はやってくるもんである。
私にもここ2・3年人生最大のピンチが訪れている。
でもすこーしだが、乗り越えるべき山の形くらいはわかってきた。
道も少しだけ開けそうだ。
砂をつかんで立ち上がれ この言葉のおかげのような気がする。
思えば、らも氏に二度も助けられている。
ご冥福をお祈りします。
昭和40年生まれ、青春時代にサブカルチャーの洗礼を、ど真ん中直球で受けた。
おかげで、物を斜に見る癖はいまだに抜けない。
物事の見え方はコントラストで決まる。
悲劇性を際立たせるには、主人公がいかに幸せだったかをまず描かなくてはいけない。
恐怖を描くには、対極に笑いを持ってくると恐怖が引き立つ。
中島らも氏は対極の人だった。
ギャグが面白ければ面白いほど、対極の氏の中に潜む鬱の影がくっきりと現れて来る。
鬱と言うものがどんなものか、氏の本を読んでいて理解できていたおかげで、実際に自分が鬱に陥りそうになっても冷静に対処できた。
この本は氏が雑誌に寄せたエッセイや、他者の本の後付に書いた解説等が収められている。
この中の「砂をつかんで立ち上がれ」はビートたけしの「顔面麻痺」のために書いた解説である。
「顔面麻痺」は言わずと知れた、たけしのバイク事故後の顛末を書いた、痛い!話である。
らも氏はたけしの「顔面麻痺した芸人として生きる」決意を啓蒙する。
ここで、らも氏の「義眼の友人」の話が出てくる。
彼はらも氏に請われるままに、義眼を取って見せてくれたり、義眼に巨人の星のような炎を真剣に描こうと職人に頼んだりした。
悲劇を悲劇としてでなく「あったこと」としてとらえる、「転んでも砂(何か)をつかんで立ち上がる」そういう考えに強い啓蒙の意を表する。
実際に人に不幸はやってくるもんである。
私にもここ2・3年人生最大のピンチが訪れている。
でもすこーしだが、乗り越えるべき山の形くらいはわかってきた。
道も少しだけ開けそうだ。
砂をつかんで立ち上がれ この言葉のおかげのような気がする。
思えば、らも氏に二度も助けられている。
ご冥福をお祈りします。
自分も、自らの命を絶ってしまう行為には賛成出来かねます。古い考え方かもしれませんが、親から貰った大事な身体を、安直に棄て去る行為には嫌悪感が有ります。
唯、所詮は自分はそこまで追い込まれていない身。実際に、心身共に身動きがとれない状態に追い込まれたら、そういった冷静な判断が出来るかどうかと言われれば、絶対に自殺等考えないと言い切れるかどうか、100%断言出来ない部分も。
でも、世の中には一生懸命生きようと頑張っている人々が居る事を知る度に、自分もどんな事が有っても生き続けないと駄目じゃないかと思わされたりと、色々考えてしまいますね。
唯、今回の少年の様に、迷いが生じている中で、自殺に踏み切らざるを得なかったというのは、明らかに間違っている行為だと思ってしまいます。
仰る様に、愚直と言われようが、何と言われ様が、もっともっと格好悪く生きても良いと思いますね。
上の御子様も下の御子様も、risa-ferunandesu様の深い愛情や強い思いを、ひしひしと受け止めておられると思います。親子を巡る信じ難い事件が多い昨今、その思いは、必ずや皆様を良い方向に導いてくれるものと信じております。偉そうな事を言える立場でないし、苦しい事も多い自分では有りますが(笑)、共に頑張りましょうね(^o^)v。
「ば○こう○ちの納得いかないコーナー」でのコメントに対するお返事です(^^)
こんな記事まで読んでいただいて恐縮です。
胸が詰まるようなエントリーでした。
彼らは「砂をつかんで立ち上がれ」を読んだでしょうか・・?
読めば何かが変わったと思うのですが・・・。
実はそれって、結構重い言葉ですよね。
なかなか「義眼に炎」ってほどまでは開き直れない。
だからこそ、
そのように開き直る人が素晴らしく見えるのかなって、
思いました。
私もサブカルの影響は受けています。
もうサブカルって時代でもないのかなって思いますけど、
「オルタネイティブ」って事の大切さを教えてくれたって思います。
「物事を斜めに見る」って、重要ですよねー。
日本でサブカルって言うと、らもさんにとどめを刺すって思います。
私もここまでは開き直れないですね(^^;)
おそらくらもさん自身もうらやましかったでしょうね。
だからあんなに飲んであんなになって、ホンマにこのオッサンは・・・(ブツブツ・・あっ失礼しました)
サブカルは結構ブログ界に生き残っているのかなって思います。
ナンシー関氏(この人も惜しいなあ)の影響をもろに受けたブログってたまに見かけますもん。
何でこの二人死んじゃったかなあ・・・