リコの文芸サロン

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短歌の言葉遣い

2022-06-02 | 短歌
★えんとこさん、こと遠藤滋さんが5月20日に亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りします。

○眼を剥きて仁王のごとく睨みたる「えんとこさん」の眼光するどし  涼風

○「短歌以外すべてあきらめた」遠藤さんの突き詰め築く最後の砦  涼風





2021年12月10日、発行
歌集『いのちゆいのちへ』を上梓されたばかりでした。

あけび歌会の令和年4年5月号の月刊誌に投稿された最後の短歌です。

目覚めの痛みとコーヒー  
        遠藤 滋
○目覚むれば激しき痛みの襲いきて足や胸など感電せるごと

○朝になり気づけば足の激しくも痛むに耐え得ずコーヒー求む

○今日こそは歌稿に目処をと思へども痛きは痛し緊張強し

○うたた寝の後にコーヒー飲みしゆゑなかなか眠れず朝になりぬる

○いつの間に眠りをりしや疲れ果つるわが身またも痛みにて知る

○うたた寝のあとも痛みの激しければコーヒーを飲み目覚め促す

○コーヒーはモカフレンチの深煎りか淹るるに上手き人あればこそ

○ブラックのコーヒー旨しそのうへにいつの間にやら痛みをも越ゆ  

★リコの属している月間短歌誌にT選者が短歌における言葉の使い方について良い文章を書かれているのでご紹介します。

「ある歌誌に次のような歌があった。
珍しくダイレクトメールなき朝刊ルンルン気分で手早くめくる

 この歌の「ルンルン気分」が、言葉だけでその内容が伝わってこない。この語はいわゆる俗語で流行語の一つ。辞書にはない。
勿論、俗語でも歌に使っていけないことはない。問題は使われ方である。つまり、これでは歌
としての表現がなされていないで、散文の域にとどまっているのが問題だ。
 小林秀雄は、「表現について」と言う文章の中で「表現とは本来、蜜柑を潰して蜜柑水を作るように、物を圧して中味を出す事だ。己れの脳漿を搾る事だ」と言う。とするとこの「ルンルン気分」はどうも内部から搾り出された語とは思えない。品のない流行語を手軽に拝借したような軽薄さがあって、どうもいただけない。
近年、「バブルはじけて」とか「草原のオゾン深く吸ふ」などと安易に使われがちで、短歌を俗化させているように思う。
流行語や外来語が短歌に新しさを呼ぶとでも思うのだろうか。
散文や日常会話ではそれで意味が通じるが、歌は意味ではない。読者に何かを感じて貰わなければならない。
作者の内部から発せられた叫びや呟きでなければならない。

 リコが思いますに散文を57577の言葉にして短歌に詠草される方が多い様に思います。
①〇〇は美しく・・・何が美しいのか自分で選択する。

②鮮やかな〇〇・・・どのように鮮やかか表現する、色、花の
種類か。 

③見事な景色・・・どのように見事か

④景色をカラーでなく白黒で見たら、
色とりどりは、カラーなら何色か色がわかるけど、白黒では何色か花の様子がわからない。

⑤自分の感動を詠まないで報告、説明に成っている。

⑥1〜4句まで名詞を使い(体言止め)、短歌がブツブツと切れる。
通常、一箇所か、二箇所(名詞か用言の終止形を使い)で切れるのはよいがそれ以上は短歌の調べが無くなる。  



              

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